Terpsichora sings in the abyss




認めたくない姿見を





言い切った。
あまりの痛みに、声が、裏返ってしまったが。
落ち着かせようと息を吐き出す。が、増すばかりの痛みに、喘ぐような息しかつけなかった。
今度こそ、支えられなくなった体に膝と両手を床につかせる。

「何なんだよ、お前は…」

俯き加減のルークの口から、漏れ出すように言葉がこぼれる。
静かで、ふつふつと込上げる怒りを押し殺すような声だった。痛みの強さが、彼の怒りの凄まじさ示している。
もう、耐えられそうにない。痛いなんてもんじゃない。
けれど、痛みに屈服すれば負けのような気がする。それは嫌だ。自分は自分の権利を主張しているだけだ。

「…なんで、お前なんかに」

我ながら馬鹿だったんじゃないかと思う。下から、ルークを見据えた。
この目を自分は知っている。
この目をする人間が、どういう事をするのかも、感情を持っているのかも、知っている。
ナイフが、ちらついた。目に見えない言葉のナイフを構えている目だ。自分は、それを過去に幾度と無く見た事がある。
そうなるよう、仕向けたのは、今回は信じ難い事に自分自身だった。
これまでの様子から、彼が、こんな風に言われて素直に謝るはずがない事は解っていただろうに。
一言でいいから、謝罪が欲しかっただけなら、どうしてこんな言い方をしてしまったんだろう。
そこが、自分の未熟な所だろうと苦い思いが拡がって、更に顔を顰めた。

「俺はお前みたいなやつ、要らねーんだよ!…出てけよっ!どっか行っちまえ!!」
「ルーク!」

はっ、と、普段めったに響く事のない強い声に、ルークは怯む。
遮るように声を上げたガイは、「言い過ぎだ」と諌めるように、硬直したルークを見遣った。
いつにない厳しい態度の幼馴染に、ルークは自らの言葉の鋭利さを自覚しつつ、それを認めたくはなくて目を背けた。
こんな筈じゃ、なかった。こんな事を呼び込むために「召喚術」を使ったんじゃない。こんなのは、要らない。
やらなければ、よかった。そんな気持ちが混ざった悔しそうな、恨めしい眼差しに、は身を竦ませる。
まっこうからの、拒絶。ひどく心を揺さぶられている自分に気付くのが嫌だった。
どうしてこんなに、他人なんかに心を掻き乱されなければならない。
そうならないように、いつものように、心を押し殺せばいいのに。諦めに任せて生きればいいのに。
言葉でしかないそれが、ショックでたまらない。
この屋敷の人間の、自分を見る、あの目。あれが全部、ルークと同じような事を自分に対して思っている証なのかもしれない。

(………どうして此処に、私は…いるんだろう)

唇を噛んだ。
恐らくガイが諫めてくれた時だろう、いつの間にか霧散した戒めの痛みが、酷く空しく感じる。


「……かってるよ…」


言葉を発するつもりもなかったのに、気力さえも失われた口なのに、制御の利かない声が漏れた。
小さなそれだったが、自分さえも驚く程悲愴な響きに、改めてガイとルークは此方に顔を向ける。


「…分かってるわよ。あなた達にとって私が邪魔なのは……本当に、解ってるから。
 だから…出て行かせてくれないかな。……絶対に迷惑かけないって、約束する…から」


美しくて、ずっと手を伸ばしても届かなかった煌びやかな世界。けれど、とても冷たい世界。
こんな場所はもう嫌だ。誰も彼もが、自分を拒絶する世界なんて。
一人きりで、誰にも干渉される事のない、空気のように繰り返しを生きるあの世界に還りたい。
ヤケにしか取れない言葉かもしれない。
けれども、話の流れを考える限り、自分がここに居なければならない理由は、一重にこの公爵家にもたらすかもしれない
自分の行動の結果による責任だ。下らない。そんなもののために棘だらけの鎖に繋ぎ止められるなんて御免だ。
幸い、当の"主人"の方も自分が出て行く事に関しては大いに賛成しているじゃないか。
アテなんか全くないが、自分にとっても、この屋敷の人たちにとっても、お互いそれが一番良い方法なんだと思う。
ここで無駄な感情のぶつけ合いをしているよりも、一歩でも前に進んで自分の世界に戻る方法に近付かねば。
(ああ、もう……またこっちが丸損なのよね…)
どうして、向こうの都合で呼び出されたにも関わらず、こっちが妥協をしなければならないんだ。
そもそも何故その「召喚」で、自分に白羽の矢が立ったのか。考えても仕方ない。またいつもの貧乏クジだ。



「二人とも、落ち着けよ。も、そんな風に言うもんじゃない。出て行った所でアテなんかないんだろ?
 とにかく責任はこちらにあるんだ。何とか帰る方法が見つけるまでは任せてくれないかな」
ルークとが気まずくも睨み合う間に、ガイが割って入る。
いらない、責任なんか―――言い募ろうとガイの方を振り仰ぐと、優しく諭すような端正な顔がこちらを向いている。
思わず、ぐっ、と言葉につまり、慌てて顔を背けた。
(うう…苦手だ…)
なけなしでも、女心は健在なのだから、参ってしまう。
自分に自信がないだけに、輝く笑顔の素敵なガイとは、まともに顔を合わせたくない。
その点同じ位かそれ以上の美形のルークではあるが、性悪さが顔にふんだんに表れているのでまだマシだ。
平気では、ないが。

「…な。それにお前、帰るんなら嫌でもここにいなきゃならないんだから」

ぽん、ぽん、と肩を叩かれつつ、またも爆弾投下をしてくるガイを前に、は固まる。
「は?」
またこの人は、今何て言った?
その向こう側で、同じように疑問を顔に貼り付けたルークが「どういう事だよ」とガイに投げかける。
ガイは此方を向いたまま眉を八の字にして一度溜息をつくと、ルークを振り返った。
「お前なあ。ホントに呼び出すトコしか読んでねぇのな。その後のこと、全然考えてなかったのか?」
「そっ、そんな事ねーよ!色々見落としちまっただけだろ!……で!何だってんだよ?」
語気は強いくせに、翠の瞳はあさっての方向を忙しなく彷徨っている。本人に自覚はないだろうが、本気で呼び出す事
以上の事を全く考えていなかったというのが見て取れて、もう一度ガイは溜息をついた。
まぁ、八割がた胡散臭い術だと考えていたのだし、仕方ないかもしれないが。
机に置いた召喚の書のとある一頁を開いて、指で叩いてそこを示す。
「召喚獣は主人から一定距離、離れる事が出来ないんだそうだ。かつ、送還術もろもろ使用権限は召喚主に
 のみ発現するってさ。……つまり、を帰す事が出来るのは、ルークをおいて他にはいないって事だと思う」
つらつらと、まるで召喚術の先生のように並べ立てるガイこそ、いつの間にそこまで読み込んだのか。
「な…」
何と言うことだろう。ここまでひどい脱力感を覚えた事があったろうか、と呆然とルークの方を見る。
今さっきまでの、言い争いも、心の葛藤も、全て意味の無いものだった。
許容範囲はどれくらいか知れないが、ルークの傍こそ居るべきでない場所だと言うのに、離れられない上に
例え方法が見つかったとしても、最終的に帰り道となるのは彼しかいない、という事か。
(……ああ、眩暈がする…)
選択肢なんて、初めからなかったのだ。
今度こそルークの方も言葉がないようで、何てこった、と言うようにあんぐりと口を開けている。
自分がを還さない限り、どんなに責任を放棄しようが、知らぬところで勝手に解決してくれる事はないのだから。
今更ながら、やってしまった事の重大さと、面倒くささ(割合は2:8)を理解したらしい様子のルークを見て
ガイはほっとしたような、やれやれだ、といったような息をついて、肩を下ろしている。





―――――コンコン

ノックをした人物は、「いきなり」というつもりも、驚かすつもりもなかったのだろうが、
変な沈黙を落としたこの部屋に、突如として響いた軽い音に全員が吃驚して入り口を振り返る。
「な、何だ?!」
ルークが慌てて返す後ろで、ガイがさっとベッドの陰に身を潜めるのを、は一体何だという風に眺める。
「失礼します」
語気の荒いルークの返事に動揺しつつも、それを顔に出さずに部屋に入ってきたメイドは一礼した。
「お夕食の用意が出来ましたので、食堂においで下さいませ、ルーク様」
「あ、ああ…解った。すぐ行くから。お前はもう下がれ」
折角呼びに来てくれたメイドに対してルークは追っ払うような態度を示したが、微笑みを湛えたまま彼女は
眉一つ動かさず、もう一度頭を下げると丁寧な動作で部屋を出て行った。
さすが、出来た人間は違うな、とは感心する。
自分だったら、絶対に口の端くらいは歪むのを止める事はできないだろう。
「ふー、冷汗かいちまったよ。参った参った」
そう言って、もそもそと立ち上がるガイに、首を傾げてみせた。
今の女性は見るに、ここに仕えているただのメイドだろう。
そんな人物に、ルークと軽口をたたけるような、こんなにも親しい立場の人間が何故堂々としていないのか。
「…何で、そんなにコソコソとしてるんですか?」
「ん?…ああ。俺はただの使用人だからな。下っ端もいいとこ。コイツの幼馴染だから大目に見られてる所もあるが
 ……やっぱ公爵子息様の部屋に入り浸ってるのがバレると、さすがにな」
後頭部を掻きながら苦笑いするガイを見て、ルークが不服そうに口を尖らせる。
「別に気にする事ねーってのによ。親父の奴、うっせーよな」
本人に立場的な自覚があれば、そんな物言いをする事もないだろうが、ルークの場合はそういったものは微塵も見られない。
だんだんと、ルークの思考回路の全容、それが恐ろしく単純な構造をしているのが解ってきて、は項垂れた。
(見た目は高校生くらいだけど……中身は小学生くらいなんじゃ…いやまさか…)
それにしても、だ。
ここへ来てから、ガイには何度耳を疑うような事を言われたろう。
ツッコミが遅れてしまったが、しぱたいた目を驚きに丸くする。
「って……ガイさんって使用人なんですか!?ただの!?」
砂漠の砂のような色の金髪に、南国の海を思わせる瞳、鼻筋の通った容貌は、どこか気品さえ漂わせる。
服は確かに、公爵達の事を思えば身分の高い者が着るには質素なものだと言えるが、度々見せるよれた苦笑さえなければ
使用人というよりも、よっぽどルークよりも貴族らしい貴族に見える。
「オイ、何で俺まで見てんだよ」
まじまじと見つめられて、居心地悪そうに頬を掻いているガイの横で、見比べられているような視線を感じてルークが唸った。
「あ、い、いえ。なんでも…」
おっと、失礼な事はいえない、とは首を振る。
「…ま、いいわ。ガイ、俺が表見てやるから部屋戻れよ」
「ああ、そうだな。悪い。……でも、これ位だったら、外から帰れない事もないぞ?」
窓を開けて下を見ながら言うガイに、ギョッとする。流石にルークも慌ててガイの服を引っ張って部屋の中に戻した。
「馬鹿言うなよ三階だぜ!?前の部屋と違うんだ!普通に中から帰れって!」
あはは、と事も無げに笑うガイは、一体どういう運動神経をしているのやら。
外から帰る事を諦めてくれたらしいガイを扉から死角になる位置に立たせると、ルークはそっと廊下側を窺う。
そう言えばこの部屋に入る時も、やたら周囲を気にしていたな、と思い出した。
案内をかってでていたラムダスという執事も、部屋の場所を聞いてあしらっていたし。
友人と会うのにも、こんなに気を張らなければならないなんて。
「何か……大変なんですね。折角の友達なのに、身分とかで色々と気を遣わなきゃならないって…」
そんな、不本意にもルークの言った事と同じような考えが浮かんでくるのは、身分制度が希薄な世界に生きるからだろうか。
には過去、親友と呼べるような存在に出会った事がなかったから、二人が何となく羨ましい。
「んだよ、急にしおらしくなりやがって。だいたい、こんな面倒くせー事やんなきゃなんねーのは、
 お前が俺の部屋壊したからじゃねーか」
「元はといえば、あなたが私を召喚したからでしょうが」
またもああ言えばこう言うな口論を始めようとしたルークとの間に、まあまあ、とガイが割って入った。
「ほらほらルーク。早いとこ食堂に行かないと、料理が冷めちまうし、呼びに来てくれた子も怒られるだろ。行った行った」
半ば強引に、ガイはルークを扉の外へ押しやっていく。
完全にルークの扱いに長けているなあ、とガイに尊敬の眼差しを向けながら二人を見送った。
「じゃあな、。旦那様の話だと、多分お前はルークと一緒にこの部屋使う事になるだろうから。
 ベッドも二つあるし、ゆっくり休めよ」
オイコラ、とか、勝手な事言うな、とか、ぎゃんぎゃん喚きたてるルークを扉の向こうに押し込んで、相変わらずの
爽やかな笑顔でそう残し、ガイはパタン、と扉を閉めた。

……「ルークと一緒にこの部屋使う」って…

私に胃潰瘍になれ、ってか、畜生…



結局。
畳み込まれたような感じは拭えないが、ここに留まる事になってしまった。
都合のいい位に、都合の悪い設定と展開ばかりだ。溜息もでてくる。
(しかもこれって…どういう状態なの…)
部屋の主が居なくなって、落ち着いてそこを見渡してみると。
どんなにが頑張っても一代では成し得ないだろう、後にも先にも決して手に入る事のなさそうな、妄想の
中でしか夢見た事のなかったような、豪華で、美しい部屋。
立派な窓には、月が―――――いや、月のようなものが、かかっている。
青白く光るそれは、少し緑がかっていなければ、地球から見えるものと大して変わらない。
ああ、そう。忘れそうになるけれど、ここは地球ではないのだ。
あの光る星も同じように見えるけれど、の知っている星座とは全く違う配置をしているのだろう。
ここは。
本来自分がいるべき場所ではないのだ。
ふかふかのベッドも、上等で触り心地のいい絨毯も、上品な装飾の壁も―――――ずっと憧れていたもの全てが目の前に
あるけれど、すべからくそれらが、自分を否定しているような気がする。
現に、不本意であるが、主と呼ぶべき人でさえ、自分の存在について納得していないじゃないか。
またも、溜息をつく。幸せが逃げる、なんて言ったって、もう自分の中に残ってるなんて思えない。
とにかく、先程から靴の下で潰れてしまっている絨毯の長い毛が可哀想なのでどこかに腰を落ち着けよう、
と、近くにあったベッドに座ってみるが。
「ぅうおっ!?」
予想以上、というか(硬い床やイスくらいしか馴染み無い)にとっては信じられない勢いで腰が沈み込む。
まあ確かに、高級品のベッドなので素材はいいが、あくまでただのベッドである。
しかしはといえばベッド自体、存在こそ知ってはいるが、体験したことなど無いもので。
「うあわわわ…な、何これ、何これ…ししし沈む!?」
重心を見失ってわたわたともがきながらも、何とか足に全力を持って行って、ふんぬ、とベッドという
スライム状モンスター(あくまで視点です)から逃れる事ができた。
ぜえはあ、と肩で荒い息をする。
「な、何なの…これって寝るものでしょう…!?こんなんに寝たら骨がグニャグニャになっちゃうんじゃないの!?」
ベッド、恐るべし、と睨みつけるに、お前の貧乏感覚も恐るべし、と突っ込むものは誰もいない。
立ち上がるために変な場所の筋肉を使ってしまったため、違和感のある太腿を引きずりながら、今度は置いてあったソファに
這い上がる。しかし手を置いた瞬間、物凄くふわっとした反発が返ってきたので嫌な予感はしたが、座ってみて更に
その心地いいと思われる感触に背筋がゾクゾクとした。
「うわああぁぁ…(怯)」
つくづく、ガイとの遣り取りではないが、自分の世界とは全く異なる世界に飛ばされてきてしまったんだなぁ、と思う。
そうでなければ、こんなに高級調度品に溢れかえった部屋になど、立ち入れるはずもなかったろう。
しかし、これでは神経がついていかない。体の方が追いつかない。
ちょっとは贅沢してみたいなぁ、と常々思っていた事は否定しないが、本当にちょっと、である。
いきなりどん底からてっぺんまで連れて行かれても、困るというものだ。
言うなれば、北極の白クマが、突然サハラ砂漠に放り込まれたような状況である。
(ふ、普通でいいのよ、普通で…)
ぐったりと、頭をもたげて項垂れるが、果たして自分の基準の「普通」が、ここではどこまでが普通なのか怪しいものであった。













むかむかする。
この苛立ちが伝染してか、胃の中までが同じ擬音語で満たされて、ちっとも食欲なんてわいてこない。
同じ住み慣れた我が家の一室と言えど、馴染んだ部屋を壊され、違う部屋を使う事を余儀なくされた上に
壊した張本人と、寝起きを共にしなくてはならなくなったのだ。
今まで閉じ込められていた代わりといえば何だが、好き勝手に過ごす事を許されていたのに、他人と過ごす事で
その特権さえ奪われてしまうのなら、これ以上のストレスはない。
ルークは頭を掻き毟って喚きたくなるのを堪えながら足早に歩を進める。
結局、それらが自分が巻き起こした事による結果である事は忘却の彼方だ。
もしも、呼ばれて来たのが、見た目にも中身にも可愛げがあって従順だったならここまで怒りはしない。
それが無理でも、せめてもうちょっとしおらしかったら。
しかし、実際呼ばれて来たのは、外見も中身も可愛げの欠片もなくて、反抗的で馬鹿力な自称人間である。
ああ、やっぱり腹が立つ!
部屋に戻ったら、あの得体の知れないムカつく奴がいて、しかもその横で眠らなければならないなんて。
そんな事を考え出すと、夕食なんて摂ってなんていられない。今すぐにでも父と母の部屋に行って、もう一度
何とか計らってもらえるよう、頼んでやろうか。


うずうずとしている機嫌最悪のルークに声を掛け辛くて、やや後ろに付いて歩いていたガイだが、本気で食堂ではなく
公爵夫妻の部屋の方へ駆け出して行きそうな彼を、漸くたしなめることにした。
「…なあ、ルーク」
取り敢えず、緋色の髪を揺らす後頭部に向って声を投げかける。
「………んだよ。部屋戻れって言ってんだろ」
言いたい事は解っているんだぞ、と言外に含んでいるのは明らかな間を置いて、ゆっくりと半眼のルークが振り返った。
じとっとした目には、謂れのない恨みさえ篭っている。
予想通りの、というか、やや予想を上回るルークの迫力に、ガイは「う、」とたじろいだが、
直ぐに苦笑を浮かべると、立ち止まったルークの横に立つ。
「だってお前、今すぐにでも食堂と違う方向へ駆け出して行きそうじゃないか」
ルークはそんな事をのたまう彼を、不服な面持ちで見上げた。考えはお見通しというわけだ。
(…どうせ、そんなに怒るな、とか、仕方ないだろ、とか…そんな感じの事言うに決まってるんだ)
ルークとて、事態がどうにもならない事は心のどこかで解っているからこそ、ガイの言いたい事が予想できたのだろう。
でも。でも、だ。
自分だけが悪いんじゃない。
あの石と本は父親が調達したものだし、ガイだって了承を出したのだ。
なのには自分にばかり文句を言うし、父も、母も、ガイも、責任だの何だの、全部をこちらに押し付けてくる。
(悪いのは俺じゃない!あんな事になったって仕方なかった状況が悪いんじゃねーか!)
だから自分は怒っているのだ、とルークは精一杯自らを正当化した。
しかし、どうせガイが付いている今、どうあったって父と母に直談判に行くのは阻止されてしまうだろう。
だったら今、自分を安っぽい言葉で宥めすかそうとしてくるガイに、この鬱憤をぶつけてやる。

さあ来い、と迎撃態勢が目に見えてばっちりなルークを見て、ガイは、困って後ろ頭を掻く。
この状態で正面からぶつかっていく筈もないだろうに。
おそらく持て余した感情を、こちらに吐き出すつもりなのだろう。気持ちは解らなくもない。
ガイはもう一度ルークに苦笑を向けると、用意していた安い言葉を引っ込めた。効果なんか、きっと無いだろうから。
その代わり、とばかりに、ルークの意表をつけるような言葉を探して、口を開く。
を見ていて感じた事。ともすれば、いや、きっと更にルークの機嫌を損ねてしまうだろうけど。


「は……さ。お前とおんなじ、なんだよな」


ルークは、言われた事が一瞬理解出来ずに―――――理解したくもない言葉に面食らったが、次にはその言葉が
いかに自分にとって激しく心外であるかを顔中一杯に押し出した。
「はぁああ!?」
「い、いや、だからな」
掴み掛からんばかりの勢いで噛み付いてくるルークを、まぁまぁ、と顔の前に手をやってガードする。
意表をつき過ぎたか。こういう反応が返ってくるのは解っていたし、当たり前なのだけれど。
とにかく言わせろよ、と、どうにかルークを押し戻した。
「お前が誘拐されて記憶を失ってから、この屋敷に帰って来た時だよ」
そう言うと、ぴくり、とルークが反応して勢いを緩める。
およそ七年前の、その事件の前後の記憶は曖昧で、そのために今まで…いや、今も苦労している。
ガイには特に世話になったし、あの時の事を持ち出されると、弱い。
「……何がだよっ」
けれどもやっぱり、自分に似ている、なんて断固として認めたくなくて。
どこをどう取ったら、そんな感想が出てくるんだ、一体。逆にそんなトンデモ発言のオチに興味すら湧く。
言えるもんなら言ってみろ、と睨みつけてくるルークを前に、やれやれ、とガイは肩を落とした。
「あの時さ、お前、どんな感じだったか覚えてるか?」
やはり、本題から切り出さないガイに対して苛立ちを募らせるルークだが、それを押し込んで首を横に振る。
「だから、あんま覚えてねーんだって」
ろくに思い出す努力すらしようともしていないのは明らかだ。
ガイは苦笑したまま、公爵夫妻の部屋には行かせまい、と、ゆっくり食堂の方へ誘導するように歩き出す。
ムッと口を結んだまま、ルークもそれに習う。
「覚えてないとか、そういう事じゃなくてな。記憶失くして、空っぽの状態でここに来た時、どう感じた?」
「どう……って」
一旦、頭に昇った血を静め、問われるままに、思いを馳せる。
七年も前。何があったか、なんて、詳細に覚えているわけもなく。

けれど。
『帰って来た』なんて気持ちは、まるで無かった。

そこは全くもって知らない世界で。知らない場所で。

記憶に無い自分の家だという場所で、見知らぬ人々に迎えられた。


セピア色の記憶の断片。
迎えてくれた多くの人達の笑顔は、初めて見たもの。
『この人達は、誰?』


『ここは……何処なの?』

物の名前も、してはいけない事も、この世の決まり事も。
『知らない、あれも、これも…こんな場所、こんな人達…何も…』



…―――――何も、解らない―――――…!



自分は、忘れてしまっているだけだと言い聞かせるけれど、初めて見る自分を取り囲む世界。


とても恐くて、とても不安で、けれど、



「ルーク?」
はっ、と顔を上げると、黙り込んだこちらの様子を、心配そうに振り返っているガイの顔が見えた。
「ああ……いや――――…」
ルークは、視界の端にちらつく暗闇を払うかのように、頭をふる。
小さく深呼吸じみた息をつくと、求められた答えを出すため、そろそろと口を開いた。
「…あん時は……とにかく解んねーことばっかで…不安っつーか…」
しどろもどろ、と、どうやら本音らしい言葉に、ガイは至極満足そうに口の端を上げた。
それを見てルークも、自分が彼の求めている答えのうち、まさにそれだというものを言い当てた事を悟った。
「…そこが、同じだって言ってるんだよ。知らない世界で、知らない人間に囲まれて…
 突然、わけの解らないことだらけでさ」
…確かに、そうかもしれない、と、ルークは今になって初めて、の立場に近い場所から考えてみた。
状況だけなら、あの時と同じと言える。着ているものや言動から、この世界の知識なんて、全く無いだろう。
「……その上、帰る方法が今のトコ解らない。自分を知っている人間も、一人もいないときたもんだ。
 せいぜい、帰る方法が見つかるまでは、うまくやれるよう努力はしてやれよ」
な、と肩を叩かれる。
言うだけ言うと、ガイはそのまま、また食堂の方へ向って歩みを再開させた。
「…………ちぇっ……なんなんだっつの…ったく」
何だか言い負かされたみたいで悔しくて、小声で悪態をつく。
軽い感じに流されそうになるが、ああ解った、なんて安請け合いはしない。
自分との反りが合わないのは、これまでの遣り取りで充分解ったし。今思い返してもやっぱりムカつくし。
けれど、と、思う。
前を行く薄い色の金の髪の後ろ姿を、擦れ違えば恭しく頭を下げていく使用人達を、廊下の途中に設置されている
姿身にうつる整った自分の姿を、見て思う。
自分は、迎えられてここに居る。
こっちは全て忘れてしまったが、周りは以前の自分を知っていて、変わらぬ愛情を、友情を与えてくれて。
それが鬱陶しいと思う事は度々あるが、自分には確固たる居場所と"ルーク・フォン・ファブレ"なる人間である、という事が
与えられた。けれど、は違う。
突如として眼前に広がった見知らぬ世界に、混乱する先に突きつけられたのは、鈍色に光る切先と敵意の眼差し。
周りには味方はおろか、自分を知っている人間は、一人もいなくて。
同情はしたくないが、自分がその立場だったら心底御免だ、とルークは思った。
これで、さらにそこから追い出されたら、と想定すると…居場所に関しては譲歩してやるか、という気になった。


もう公爵夫妻の部屋の方へ意識を飛ばす様子なく、食堂の方へ自ら進むルーク。
最初の頃に比べると、随分落ち着いた感じの彼を見て、ガイは自分の説得がどうにか成功した事に胸を撫で下ろす。
思えばそもそもの責任は、止めなかった自分にもかなりあったのだから。


扉の両側に控えた使用人によって、ゆっくりと開かれる食堂の扉を見て、ルークはふと思う。
(あれ…?そういやアイツ、メシどうすんだ…?)


主人公が不憫になればなる程、書いていて楽しかったりします

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