光の街へ





「………うーん?」
何かを、忘れている気がする。
ガイの悲鳴がフェードアウトした扉を前に、は眉を顰めた。
その隣でルークは大きく溜息を吐くと、掛台に木剣を直して面白くなさそうに口を尖らせる。
「……ったく、ナタリアの所為で予定が滅茶苦茶になっちまった。折角、ガイと剣舞でもやろうと思ってたのによ」
予定といったって、つい先ほど立ったばかりのものだが、する事のないルークにとって退屈は死活問題だ。
不機嫌な気分を露わにベッドにどっかりと腰を下ろす。
「あーあ。師匠も来てくれねーし、何すっかなー………って、そういや」
は思い出しかねている事を必死で頭の中で追い求めながら、眉を顰めるルークを何とはなしに眺めていたが、
「へっ」
突然、翡翠のような目が此方を仰いだのに思考も吹っ飛んだ。
「結局お前、親父んとこに何しに行ってたんだ?帰る方法が見つかった……とか、そんなんじゃないんだろ?」
「あ、ああ、うん……まあ、そんなに都合良くはいかないみたい。とりあえず施設で調べるから、今日はそこに……」
言いかけて、やっと脳内の欠けていたパズルのピースがカチリと嵌った気がした。
「あ……ぁあーっ!」
気がした、と思った時には、もう遅かった。彼は連れて行かれてしまった後である。そうだった、うっかり忘れていた。
思わず悲鳴を上げたを、驚いた面持ちでルークが見る。
「な、何だよ。どうかしたのか」
「ガイさんが……ああガイさんが連れて行かれちゃった!どうしよう!」
の慌てぶりに対して、はあ?と、眉を顰める。何を今更。今まで目を開けたまま寝ていたのかコイツは。
そんな言葉が伝わってくるようなルークの冷ややかな視線など、今は些末な事だ。すべ無くオロオロと身を彷徨わせる。
「ぺ、ペールさんもいないみたいだし、どうすれば……セシル将軍待たせちゃってるのに!」
その寝巻きのままだと(当たり前だが)都合が悪かろう、とセシルも「準備して来い」と言ってくれたのだ。
とはいえ替えの服など無いし、毎回頼るのも何だが、ガイに相談してみるつもりで此処に戻って来た筈だったのに。
勢いに呑まれて、迂闊な事にガイを見送ってしまったじゃないか。
最悪このままでも仕方ない……と思いかけるが、今しがたナタリアにも猛烈に駄目だしされたばかりである。
かくなる、うえは。
「るっせーなぁ……何、ワケの解んねー事をゴチャゴチャ言ってんだよ」
冷や汗を薄っすらと浮かばせながら、ルークを恐る恐る顧みる。
鬱陶しそうに目を細めて見下してくる、この貴族の少年に頼るしかあるまい。
……本来はいの一番に頼りにすべき(したい)立場の人なんだけれども。
そんな心持ちも解する事無く、怪訝そうにルークは首を傾げた。



「ハァ?街に出るだぁ!?何でお前だけ!俺だってまだ出して貰えねーのに!」
事情を説明するなり降って来たルークの雷声を何とか身を硬くして耐え忍ぶ。
こういう反応が来るだろう事は予測していたが、きっと傍らにガイがいたら和らげてくれるだろうと期待していたのに。
ルークの自由への嫉妬心や、現状に対する不満等もろもろ複雑な年頃の負の感情を前から浴びつつ、
ガイを見習ってヘラリと笑ってみせる。彼ほど上手くはいかずに引き攣るが。
「で、でも、監視付きだし。それにほら、ルークは公爵子息様だから、大事にされてるんだよ……」
「へっ、どーだか!大事だってんなら、こっちの気持ちも考えて欲しいもんだぜ……ったく!」
ぶちぶちと母親や父親、果ては伯父であるという国王にまで文句を垂れ始めたルークを前に、やっぱり何とかして貰おう
というのは甘かったか、と肩を落として溜息を吐いていると。
「んで?それとガイと、何の関係があるんだよ」
不機嫌さを残したままだったが、ルークが切り替えるように問うてくる。一応話は聞いてくれるみたいだ。
「ナタリア様にも言われたけど、この格好で出歩く訳にはいかないでしょ?だから服を貸して貰えないかと思って……」
前回も、ガイはペールのお下がりを用意してくれた。出来れば着心地良く動きやすい、ああいう感じの服がいい。
異世界人の自分でも違和感なく見えるデザインだったと思う。
「はーん。ま、お前なんて何着たって一緒だと思うけど。その辺の奴捕まえりゃ、何とかしてくれんじゃねーの?」
二言目は、全くもっていらない。
それに何とも投げ遣りな返答だ。やはりあの時、ガイ(というかナタリア)を止められなかったのは痛い。
「…そうできればいいんだけど。まだ良く思われてないみたいだし、また執事服とかメイド服とか持って来られても困るし」
「ぶっ……それいいじゃん!、着て出かけてみろよ。スッゲー面白い事になんじゃね!?」
噴き出したルークが何を思いだしたのかも、考えたくない。
「いやいやいや、魔物に加えて不審者まで出たらバチカルの人々が可哀相過ぎるので、やめておきたいです、はい」
そして不審者と同行しなければならないセシルに尚の事申し訳ないと思う。
「んだよ、つまんねーの」
ルークはまた機嫌を損ねたようだが、決行していい事などなかっただろうし、別に面白い存在になりたくもない。
といって、悉くの案を否定してみせても、解決策が浮かぶ気配は無いのである。
やはりそのまま行くか。となると、少なからず人目を引くし、公爵や城の人の取り計らいが泡に帰すかも。
なら、ペールやガイが帰ってくるのを待つのがいいのか。それだとセシル始め施設の人達を待たせる事になる。
たかが私のこんな些細な事で、周りに迷惑が掛かるなど。
「うーん……困ったな……どうしよう……」
というか現在進行形で待たせてるんじゃないのか。焦って「どうすりゃいいんだ」と頭を掻き毟りたくなった。
と。
「そーだなー。条件次第で、何とかしてやらなくもないぜ」
「……えっ!ほんと……ぅ」
苦悩の淵で悶えていた所に一縷の光のような言葉が降りかかってきて、ぱっと振り仰いだ。
が、ルークにしては珍しく、どことなく狡猾そうな物言いじゃないかと警戒心が先に立った。特に「条件次第」という部分。
「な、何とかって、執事メイド服以外で?……あ、あとヒラヒラしたのや、可愛いのもパスで……」
機会があるのなら、着てみたい。
そりゃ自分だって綺麗だったり可愛い服は大いに着てみたいが、すべからくスタイルという壁に心が殺られる。
そしてその姿は周りの人にとってはきっと二次災害だ。ルークやガイのようにお楽しみ頂けるといいが(よくない)。
「わぁってるよ。女っぽい服じゃなけりゃいいんだろ」
「うん、……あ、鎧とか変に目立つ服も勘弁して欲しいんだけど」
鎧はともかく、いまいち此処の服装文化を理解できていないので、ちょっと変な服を着せられても判断がつかなくて恐い。
何とかしてもらう立場で注文をつけるのも悪いと思うが、周囲への配慮のためだ。
不安な気持ちを一杯に顔に押し出して問う先で、ルークは心配すんな、と、胸を叩いている。
「大丈夫だって。その代わり」
「う、うん」
そうだ。服の事も心配だが、出される交換条件というのがどんなものかも、気がかりである。
まともな格好を提供するかわりに「メイド服で腹踊りしろ」とかそんな感じのが来るんじゃ…。
そうだったらもう、太陽の下パジャマで王の膝元の街を闊歩する覚悟を固めるしかない、と冷や汗もろとも拳を握る。
だが。
「あのマンジュウ、買って来いよ」
「絶対い……えっ、は、ハイ?」
もう既に拒否体勢に入っていた所、予想外の要求に目をしぱたく。
「……饅、頭……?」
「前、食ったヤツあるだろ、三人で。街に行くんなら、土産ぐらい買って来いよな」
何だ、以外に控えめだな、と拍子抜けしたが。
ガイも連れ去られ。も父の命令で街へ出るというし。でも、7年も続いた状況が変わるはずもなく。
今日一日暇を持て余す事になったルークには、これぐらいしか要求の幅はないのかもしれない。
悠々屋敷暮らしといっても、一人で取り残されるのは自分で考えてみてもちょっと憂鬱な気分になりそうだ。
休日に、仕事だと言って出かける両親に対して寂しくて土産をせがんだ事があったが、そんな感じなのかもしれない。
そんな風に思うと、少し、微笑ましく感じる。
「な、何だ……そっか。それならお安い御用だよ。私はまたてっきり腹お……」
「腹?」
「何でもありやせん!……でも、今私、439円しか持ってなくて……あまり数は買えないかもしれないんだけど」
肉まんの相場だったら3個、ギリギリでも4個ほどしか買えない。その確立でエビチキンマヨは当たるのかどうか。
そもそも、多分此方では日本円は使えないとは思うが。
「エン……? ああ、金の事か?そんなら、後でまとめて屋敷から支払われるから、別にいいって」
金持ちの買い物ならそれが当然なのかもしれないが、とんでもない。
一時的にでも代価を払わずに品物を持ち帰るなんて。ツケだとか、借金だとか、そういうのは大嫌いだ。
「そ、そういう訳にはいかないって!屋台とかって、その日の売り上げで生計立ててるトコもあるから、きっと困るよ」
ガイの話を聞く限り、庶民が始めた庶民を対象にした店のようだから、常連でない限り「じゃあツケで」なんて迷惑だろう。
「それに多分、私が言っても信じて貰えないと思うし……」
もしそれがまかり通るなら、買う人間みんなファブレ家の使いを名乗れば饅頭がタダで手に入る事になる。
「あーっもー!お前の言ってる事、意味解んねー!……ったくうっせえなぁ。金がありゃいいんだろ」
ルークは頭を抱えて喚くと、ベッドから降りて部屋に備え付けてあるチェストやキャビネットを開けたり閉めたりし始めた。
本人の使わない贈り物や有り余る物品で、目的の物を見つけるのに苦戦しているようである。
「どこに仕舞ったっけかなー…………おっ、あったあった!そら!」
やがて引き出しの奥から光る物を取り出すと、此方へピッと勢いよく投げて寄越す。
「あだっ!……ってこれ、金貨……?」
はそれをおでこで痛々しく受け取り、手の中に転がり込んできた金色の塊を、恐々と弄ぶ。
メッキでも、チョコでもなく、そのずっしりとした質感は恐らく本物。
(うわ、わわわっ、き、金!本物の金に触っちゃったよ……!)
荘厳な輝きを放つ分厚い円盤には、細かな細工が施され、何事かの文字と公爵邸の所々で見かける紋章が刻まれている。
貧乏人には眩しすぎて、何だか持っているだけで衝撃波を感じるんだが。
お金って言ったって、これ一枚で相当価値の高いものなんじゃないのだろうか。そうルークに問おうとするが。
「一枚じゃ足んねーかな。ガイにどれくらいするのか聞いとけば良かった。しゃーねえな、あるだけ持ってけよ」
そう言って、軽い調子でわさっと両手に同じ金貨達を掴んで差し出してくるルークに、最早言葉を失う。
「………………あ、あのさ……これ、使えるのかな」
「さあ?けど、母上が小遣いやるって言ってくれるモンだから、これが金なんだろ?」
いや、知らんがな。聞かれても。
ガイさん、貴方を助けられなかった事、真に後悔しています。ルークと私じゃ、この世の『常識』『普通』『相場』が解りません。
どことなくだが、一万円札でガムを買う、という行為を遥かに凌駕するような行為をしようとしている気がする。
「ま、まあ……うん。わかった。これで買えるなら、買ってくる。……で、話を戻すけど」
取り合えず金貨を適当な布に包み、傍らに置いて今一度向き直る。
此方からは不必要なくらい力んで視線を送るが、ルークに動じた様子は微塵もない。
「その、服は……どうしてくれるのかなぁ、なんて思うんですが……」
交換条件というのは、案外簡単な事だった。ならば、問題は此方である。
大丈夫だと言ったルークは、どう解決してくれるのだろう。使用人に言って、地味めな服を用意してくれるのが理想だが。
「ああ、服な。俺の貸してやるよ」
だがしかしアッサリと言われた案は、意外すぎてファウルゾーンまっしぐらだった。
「ええ……いっ、嫌だ!」
思わず口をついて出てしまった言葉に、ルークがムッと顔を顰める。
「嫌って……おい、そりゃどーいう意味だよ。別に変な服じゃないだろ」
「いえっ、そんな、別に変じゃないけど……変じゃないですけど……」
それはルークだから似合うのであって。上手く言えないが、こう、自分が着るには何か根本的な所から駄目な気がする。
「さ……サイズ、とかさ……ルーク細身だし」
「いくら色気ねぇ体だって、男の服くらい入るだろ」
「ふ、服に顔が負けちゃうんじゃないかと……」
「どんな格好だって負けてんぞ、お前は」
何とか回避出来ないものかと試みるが、にべも無い言われように返り討ちにされるばかりである。
というか、何か物凄い悲しい事ばかり言われてないか自分。
そうしてあぶらのような汗を掻く此方をほっぽって、ルークは大きなクローゼットの中を物色し始めた。
まずい、このままでは本当に、ルークの服を着る事に。
かっと、何だかよく解らないが、体が熱くなる。だって、そんな。
「ぃや、やややっぱ駄目だって!恥ずかしいし!」
「はあ!? てめ、じゃあ俺が恥ずかしい格好してるってのかよ!!」
実は最初見た時は目のやり場に困ってました――――て事は置いておいて、そういう訳じゃない。
さっきも考えたが、この世界の服装文化なんて知らないから、ルークの格好が変かそうじゃないかなんて解らない。
でも。
「違うよ!貸してくれるのは嬉しいし、助かると思うけど……その、ふ、腹筋とかが……」
言いにくい。非常に言い難くて、言葉が多々濁る。
その歯切れの悪さに苛立ちが募ったのか、段々とルークの額に浮かぶ青筋が増えていく。
「……くびれとか…全然ないし……」
いい加減限界を超えたのか、怒りがジリジリと『誓約の痛み』を呼び覚ます。
「だ――も――うぜぇ!!はっきりしやがれこの地味ゴリラ――――!!」
「は、は、腹出しは嫌なんだってば――――!!!」
ぎりぎりと締め上げられるような感覚の中、精一杯心の叫びを声の限りに叫んでみた。
何は無くとも、そこだ。20代4軍女の腹出しとかどんな厳罰ゲーム。
しかしその後「年がら年中腹出してる訳じゃねえっつーのボケ!」という言葉と服と一緒に、部屋から蹴り出された。
正直(え、そうじゃないの?腹出してない時もあるの?)と、服と金貨の包みを手に、呆然と驚いてしまった。





多くの美術品が並ぶ、公爵家のエントランス。
中庭の茂みで着替えを済ませたは、そこに足を踏み入れた。
床には塵も曇りも一つとして無く、広さの所為で耳につく程反響する足音を聞きながら、周囲を窺う。
壁に掛けられた立派な絵、精巧で神々しい像、以前割ってしまったものより価値のありそうな壷等が整然と並んでいる。
招かれた客人はこの素晴しき空間にまず感嘆し、そして流石公爵家だと感慨深く頷くことだろう。
実際も、口をぽかんと開けて見惚れるしかない。「高そうだな」という感想しか出てこないが。
しかし、いくら見渡してみても、求める人物の姿は無い。
散々待たせてしまったし、もしかしたらもう、外に出ているのかも、と大きな扉に足を向けたが。
「此処でお待ち下さるよう、将軍から言付かっております」
玄関口の内側を守っている兵士に、そう言われて阻まれてしまった。軍の偉い人なんだ、色々と忙しいのだろう。
仕方なく、エントランスホールを支えている大きな支柱の一本に寄り掛かって待つことにした。
(に、しても……)
深く、溜息を吐く。
(丈は弱冠長いくらいで収まったけど……まさかウエストが……ピッタリなんて)
ショックだ。ルークの服を着る過程で、ズボンを穿いた時のあの冷水を浴びせられたような気分。
ガイや他の男性と比べてもルークは小柄だが、それにしたって男の服が余裕なくピッタリって。
その認めたくない現実を、ちゃんと腹の出てない上着が隠してくれている。
結局着る事になってしまったが、どうなんだろう。メイド服の時と違って笑われている気配もないので、可笑しくはないのか。
ペールの時は感じなかったのに、妙に異性の服を着ているという意識がどこからともなく湧いてきて、ムズムズする。
しかもこんな上等な服、落ち着かないし、ルークの言った通り顔が負けているのは確実だ。
あーあ、と上を仰ぐと、鋭い切っ先が此方に向いているのが目に入って、慌てて支柱から離れる。
(び、びっくりした。誤って落ちてきたら、脳天からグッサリいく位置にいたよ、今……)
騒ぐ心臓を沈めようと手で胸を撫でながら、柱の高い位置に飾られている剣を見上げる。
他の美術品も劣らず美しいが、この剣も例に漏れていない。細工の施された柄、直刀だが特徴的な刀身。
その刃は不思議と、青白く光っているように見える。けれども据え置かれた美術品…にしては、鋭利な危うさが窺える。
剣を見る目に心得などないが、知らず「へえ」と息を漏らしてしまった。
「……きれいな剣だなあ……」
「宝刀とも呼ばれる逸品です」
まさか独り言に返ってくる言葉があるなど予想していなかったので、驚いて振り返る。
いつの間にかそこには、先ほど見知った淡い金髪に軍服を着た女性が立っていた。
「かつての戦にて、元帥が戦利品として持ち帰られた物だとか――…お待たせして申し訳ありません、殿」
セシルは剣に向けていた目を真っ直ぐ此方に向けると、頭を下げて詫びの言葉を述べた。
「と、とんでもない!お待たせしてしまったのは此方の方で……ええと、もうご用事はいいんですか?」
取り乱してブンブンと首と手を振りながら頭を上げてくれるように促すと、美しい彫刻のような無機質な貌に、
僅かな戸惑いと苦笑が混じった。
「ええ。街の警備に当たっている者から、報告を受けていたのです。何でも、貴族や地位のある人物を狙った
 スリや引ったくりが増えているらしくて」
「な、何だか物騒な話ですね……」
どこの世にも、人がいる限り犯罪はあるものだという事か。
一瞬垣間見たのみだが、ここのように貧富の差が激しいと、残念ながら無理もないと思わざるをえない。
「ご心配無く。殿は、私が護衛させて頂きますので。よろしいと仰るのなら、出発しますが」
引き締まった表情で言うセシルに、はい、と心持ち緊張しつつ頷いた。
検査の事もそうだが、いよいよ落ち着いて見られる異なる世界というのに、不安と期待が入り混じる。
勿体つけたような所作で兵士が扉を開くのを、胸を高鳴らせて待った。










白い鳩の群れが、街を讃えるかのように騒々しい羽音で空を駆け抜けていく。
見上げればレムの光を反射して目映く輝くかのような白亜の城に、ゆっくりと流れる雲の陰が落ちている。
温かい風が穏やかに、けれど力強く吹いた。それが、どこからともなく幾千の喧騒を運んできた。
微かな甘い香気、何かを焼くようなにおい、この土地の土や埃、そして強い潮の香り。
どれもが初めてで、そしてどれもが体験した事の無かった新鮮さに満ちている。
思わず、高台のようになった場所に駆け寄って塀に齧りつくようにバチカルという街を見渡し、感嘆の息を吐いた。
一度そこを駆け抜けたとはいえ、改めて見てみると、その壮大なスケールに圧倒される。
「……はあぁ……」
手前から遠く遥かな裾野まで、大小様々な建物が立ち並んでいる。
行き交う人々の多いこと、多様なこと。色んな髪色髪型、変わった服装。
走っている人もいれば、ゆっくりと往来を物色している人もいる。座り込んでいる人もいれば談笑している人もいる。
その上を幾つもの客車が人や物を乗せて流れている。
ロープウェイのように見えるが、その数も整然とした動きも、自分の知っているものの比ではない。
「殿、危ないですよ。あまり私から離れないで下さい」
困ったような声が後ろから掛けられて、ようやっと年甲斐のない自分の行動を恥ずかしく思った。
「す、すみません、つい。凄く大きくて、綺麗な街だものだから……」
横に追いついてきたセシルは、同じように眼前の景色を見下ろした。
「綺麗……ですか。この首都バチカルは光と称されています。確かに、ここからの景色は素晴しいものですが……」
そこで一度言葉を切り、大きく山型に広がる街の遠くに目を馳せる。
「どこもかしこも、という訳にはいきません」
淡々と言う彼女の横で、黙って景色を目に焼き付ける。
切り立った崖に囲まれる形のそこは、下が深い穴に吸い込まれていってるように見える。手前に近付く程街並みは美しく
遠くなほど色褪せて見える。雨の中見るのとではまた印象の違う、日の下でその全容が露わになった。
カツンとブーツの音が響いて、横の存在が街の景色から遠ざかる。
「行きましょう。ご存知かもしれませんが、ルエベウスはもっとずっと"下"にありますので」
素晴しい景色に後ろ髪を引かれながらも、も頷いてセシルの後を追った。
石畳を踏締めながら、"上"を見上げる。天を突くかのような王城の尖塔の横に、立派な邸が構えているのが見える。
(……こんなに大きな世界が広がっているのも知らずに、7年も)
自分はたかだか数日間しか囚われていない。でも彼はあそこで、ずっと。
あの中は、広くて完璧なまでに美しい――――でも、こうして外に出られるとやっぱり感じるものの量が違う。
変な同情心が湧きそうになったけれど、それを自分が抱くのも、またそういった感情もお門違いだ。
でも、同居人として、ペットとして、自分がしてあげられる事といえば。
「あ、あの、セシル将軍!」
チャリ、と、傍らに持つ手荷物の中で金貨が擦れ合う音がした。
昇降機へと向かうセシルを呼びとめ、振り返った彼女に小走りに駆け寄る。
「すみません…ルエベウスへ向かう前に、その……寄りたい所があるんですけど」






馬車や荷車、老若男女貧富の差までが様々な人が溢れるように行き交う往来は、その広さに関らず狭く感じる。
物売りの威勢のいい口上や人々の談笑する声、子供達の上げる甲高い笑い声も、道を少し外れて建物の影になると
とたん遠方の世界のように感じられる。廃材やゴミの積み上げられた路地、警備の目もあまり届かない湿った空気の
そこは、所謂"良からぬ輩"の溜まり場となる。
たまにその隙間に気付いて目を向ける一般人がいても、暗がりからの悪たれ者達の睨みで震え上がって逃げていく。
「シケた仕事してんじゃねえよ!もっと羽振りのいい奴狙えって言ってんだろう!」
日の光の及び難い其処に荒々しい怒鳴り声が響くと、差し出した戦利品を引っ込めて「ひっ」と少年が悲鳴を上げた。
苛立ちに怒鳴った人物を囲むようにいた者達も一瞬怯んだが、彼を宥めるように姿勢を直す。
「熱くなるなよ、ジャスパー。最近は化けモン騒ぎで貴族の奴らは上から降りてこないし、そうでなくても護衛を連れてんだ」
比較的若者達が集うその中でも年長に見える青年が言うと、そうだ、と数人が頷く。
「今まで通り、セコい生き方してこうぜ。貴族相手に下手やって打ち首なんざ、俺ぁゴメンだよ」
「チッ、……どいつもこいつも腰抜けばかりかよ…こんなはした稼ぎじゃ、いつまで経っても……」
血の気が多いと見えるジャスパーという少年は、仲間の進言に苛立ちを隠さず吐き捨てる。
すると、仲間達の向こう、日の当たる大通りを往く人物がふと目に入った。
自分が求めているような、身なりの良さそうな人物だ。
きょろきょろと、周りを感嘆の表情で眺めながら落ち着き無く歩いている。
たんまりと金目の物が入っていそうな手荷物に対する意識は随分と疎かで、見ている此方が危うい程だ。
「お、何か良さげなカモ発見……って」
ジャスパーの視線に気付いた仲間も、同じ方向へ目を馳せるが。


「うわぁ……凄いな……」
溢れかえる人や物に忙しなく目移りしながら歩いていると、クイと嗜められるように腕が引かれた。
振り返ると、渋い顔のセシルがいて「しまった」と背中に冷や汗が流れる。
「殿。あまり私から離れないで下さいと申し上げているでしょう。ここは貴族街と違って危ないのですから」


薄暗がりの路地に、落胆の息が漏れた。
「げぇ、軍服……軍人連れてやがる。ありゃ駄目だな……」
青年の一人がそう言う隣で、けれどジャスパーはニヤリと口の端を上げてみせた。
「そうか?軍人を連れて歩けるほどの、身分の高い世間知らずな貴族様ってわけだ。こりゃ狙い目だぜ」
その言葉に、周りの仲間の悉くは目を瞠って驚く。
「おいおい、正気か?あの制服、将校のだぜ?ドジ踏んだら火傷じゃ済まねぇよ」
「軍人ったって、あんな細腕の女じゃねーか。カモの方も随分無防備だし、いけると思うぜ。何なら俺一人でやってやるよ」
自信満々な口ぶりに対して、不安そうに周囲は黙り込んだ。だが、ジャスパーの言う事もリスクは高いが美味い話だ。
「……しょーがない、手伝うよ。……けど、ジャスパー。お前、何をそんなに焦ってるんだ?」
「……………」
溜息をついて問う青年の言葉に、鋭利な光を瞳に宿した少年は何も答えなかった。


腹の出てないルークの服……幼少時のヤツみたいな感じですかね

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