「あの、すみません。人気があるって聞いてるものだから、帰りだと売り切れちゃってるかもしれないと思って……」 が危惧する通り、昼も近付いたこの時間の長蛇の列を見ればそれもあながち外れない事になるだろう。 「いえ……ルーク様のご要望とあれば、差し置くわけにはいきませんから」 とはいえ、慣れないのか、セシルの顔には困惑が浮かぶ。 周りでは年頃の可憐な女性達が、人気の品への期待感に胸を膨らませながら談笑している。 その中にあって、武骨な軍服の切れ長美人と、衣装負けした不景気な面持ちの貴族(?)のコンビは浮いていた。 (ぐうぅ……何だってこんな、時間と体力と人間性に見合わない事をしなきゃならんのよ……) そうまでして、何か特定の食べ物に拘らなくても。列の先に激安商品が待っているわけでもなし。 そういう意味では自分もこういった場は慣れないもので、身の置き場に困って何ともむず痒くなってくる。 横では場の空気に馴染む事を諦めたのか、むっつりと口を噤んだセシルが姿勢よく立っていた。 (さ、さすがに、将軍ともあろうお方につき合わせるなんて失礼だったかも……。 こういうの好きじゃなさそうだし、怒ってるのかな……) そうでなくても、喋るのが苦手な自分であるし、何とか場を和ませようとしても話題の一つも思いつかないが。 きゃあきゃあと賑わう列の中、そこの一部だけが静まって、変な違和感がどよんと漂っている。 (うわあー……重い、重いよ……ル、ルークのせいだルークのせいだルークのせいだ) 最早完全に自棄になって、この鉛のような空気に身を投じる事になった原因を、ひたすら呪う。 さっきは出られないならせめて、という気持ちもあったが、こうなったらもう何処かに八つ当たりするしかない。 「……あの……」 しばらくして、小さな問い掛けが、雑踏の騒がしさに紛れて横から聞こえた。 「ここの菓子は……そんなに、美味しいのですか?」 「えっ」 ぽつりと呟かれたような、落ち着いた温度の低い声に、整った横顔を振り返る。 気のせいかと思った問いかけは、やはりセシルが発したもののようだった。 「私は、流行りものには疎いので」 彼女はばつ悪そうに、伏せ目がちな瞳を彷徨わせる。 驚いて一寸言葉を失うも、話しかけてくれた事に嬉しくなって、頷いた。 「は、はい、美味しかったです。私も流行には疎いんですけど……この世界にも来たばかりで―――あ、っと」 しまった、と口に手を当てるが、セシルは動じる事無く薄く微笑む。雰囲気の柔らかくなった表情に思わず見惚れた。 「元帥から、窺っております。……けれど、気をつけて下さい。どこに誰の目があるやも知れません」 「……はい。すみません」 迂闊な自分を反省していると、セシルは視線を此方から外し、貌を往来のどこか遠くに向けた。 「あなたの様子を見る限り、この世界は、あなたの世界とは随分違うのでしょうね」 ここではごく当たり前だろう営みに、些細な事に、驚きを覚えている。 道往けば、上にも、左にも右にも、下にも目を奪われている。 「あなたの目に、この世界は、美しいでしょうか」 ふいに聞かれて、何だか、言葉につまった。 あまり表情は動かず淡々としているのに、セシルの声音はどこか身の内に入り込むようだ。 石畳を、自分の足が踏締めている。上を見れば、大気の所為か碧がかった青い空。不思議に浮かんでいる石。 そして、見知らぬ人々の行き交う街。どれも自分に馴染みのないものばかりだ。 でも、風に襟が揺れて微かに覚えのあるにおいを鼻腔に感じられると。 「……は、い」 という答えが、おずおずと出てきた。 「空はビックリするくらい澄んでるし、お城や、街の建物は綺麗だし……そこまでしか、まだ私は知りませんけど」 それを聞いてセシルが、微笑むような、けれども後ろめたそうな、何ともいえない複雑な表情を浮かべた。 「……そうですか」 どうして彼女がそのような顔をしたのかは解らなかった。 ただ、先ほどと比べて空気は軽く穏やかになり、他愛ない一言二言を交わせるようにはなった。 やがて、順番待ちの列も大分進んだ頃。 「ん……?あれは…」 ふと、セシルが一方を見て怪訝そうに眉を顰める。 それに倣っても同じ方向を見るが、特に周りと変わらない人の波があるのみだ。 しかし、目を凝らしていると。 赤毛やブラウン、果ては青や緑といった不思議な髪色のごったがえす中に、日の光のような金髪が見えた。 あの輝きには見覚えがあるような……金髪なんて此処じゃ見かける事も珍しくはないが、まさか。 首を傾げる傍らで、セシルは既にその誰かを認めたようだった。 「あれは……ナタリア王女? いや、まさか……何故、このような所に……」 驚くのも尤もである。一国の王女が、こんな民衆に溢れる下流階級の往路を歩いているはずもない。 けれども遠い人の群れの中、姿を消したあの後ろ姿は、見知った者からすれば紛う事無きナタリア姫その人だった。 「ひ、人違いじゃないですか?こんな所に王女がいる筈がないですし……」 取り合えず、内密にと言われて見送ってしまった手前フォローはしてみるが、如何程も効果は無さそうだ。 (わー!見つかっちゃってるよナタリア様ー!) の心の内の叫びを知らず、セシルはいつになく慌てた様子で列から抜ける。 「申し訳ありません殿!少しだけ様子を見て来ますので……」 「え!?いや、ああー……えーと……は、はい。私はここにいますから……お気をつけて……」 セシルの言わんとする事を頭で理解し、頷く。何とか引き止められないかと頭を捻ったものの、どうにもならず諦めた。 そりゃあ、護衛中と言えども国の要人の事となれば優先順位は言うに及ばないだろう。 もう一度頭を下げ、セシルはナタリアと思しき人物が消えた先へと、走り去って行く。 (お忍びが見つかって、あまり大事にならないといいけど……) もしも魔物退治に出かけたナタリアの身柄が確保されてしまったら、その手引きをしたとしてガイに罰が下るだろう。 きっと彼女の事だからガイを擁護してくれるだろうが、城や公爵家から一使用人の彼に厳しい目が向けられるかもしれない。 ルークの部屋にも、あまり遊びに来られなくなってしまうかも。 (ナタリア様も大丈夫なのかな……) 勿論ナタリアだって、王女とはいえ何もなしで放免という訳にはいかないだろうし。 どうやらお忍び用の格好をしているようだったが、彼女は次期王妃の身だろうに。 ガイを連れているとはいえ、セシルも今街では物騒な事が起きていると言っていたし、何か危ない事がないといいのだが。 「ちょっとぉ、あなた。前、つめてくれない?列に間が空いてるわよ」 後ろから声を駆けられて我に返ると、迷惑そうに顔を歪めた少女以下、顔を顰めた後ろの数人がこちらを見ている。 考え事をしていたら、前が進んでいる事に気付かなかった。 「あ、すみません…」 冷や汗を掻きながら後列に向かって頭を下げ、足を踏み出そうとすると。 「どいたどいた――――!!ホラあんた邪魔、邪魔!!」 「え、わっ!?」 突然走りこんできた人物に勢いよくぶつかられ、バランスを崩して尻餅をつく。 「あいっ……たたた……もう、気をつけて走ってよ…」 とはいえ、通れそうな隙間を作っていたのだから此方が悪い。駆け抜けていったその人の姿は、もう見えない。 立ち上がって土埃を払いながら、当人の前で言う度胸のない文句をブツクサ呟く。 まったく、この服は借り物だっていうのに。 『いいか、汚したらタダじゃすまさねーからな』 と最後に指を突きつけられて釘を刺されたのを思い出して身震いする。だったら貸すなよ、とは何となくつっこめなかった。 とにかくこんな事で汚してしまうなんて堪ったもんじゃない。 多分、「てめえこの地味ゴリラー!!」とか言われながら踏まれる。絶対踏まれる。 そうならないように丁寧に入念に、両手で布地を確認しては汚れを払っていると。 (……って……何で、両手空いてん……の……?) もう片方の手は、金貨の詰まった手荷物を持っていた筈なのに。 「………え"……?」 サーッと、腹の底から冷たい感触が拡がって行くのを感じた。そんな。嘘。まさか。何かの間違い。 どんなに状況を否定しても、ある筈のものは手の中に無い。顔面蒼白のまま見渡してみるが、勿論自分の周囲にも。 (そういえばさっきの走り込んできた人が……手に何か持って逃げて……) 叫ぼうか、と思っても、喉が引き攣って声が出なかった。何をどうしていいのかも、頭の中が真っ白になって解らなかった。 追いかけなきゃ?でも、せっかくここまで順番を待っていたのに。頭が混乱して訳が解らなくなるが。 (馬鹿じゃないの私!お金が無きゃ買えないし!それにあれは私のじゃなくて……!) 「ど、ど……泥棒―――っ!!」 周りの乙女達がぎょっと目を剥くのにも構わず、声を限りに叫びながら、引ったくりの消えた方向へ駆け出した。 人々の驚く視線を後ろへ流し、おっかな吃驚人ごみを掻き分けながら必死で走る。 重力違いの御蔭で身体が軽くなった分、足には自信がある。以前に比べて、だけれども。 建物の上を飛んで移動すればもっと早そうなものだが、先日それで騒ぎを起こしたばかりだ。 (確か……ええと、緑っぽい服着てた!) その時の情景を思い出しながら、必死で走る。 そうすると、前方に見覚えのある後姿が走っているのが見えてきた。小脇には自分の手から奪った手荷物を抱えている。 やった、良かった、この大きな街の中で見つけられた、と気持ちが高揚した。 「あのっ、待って……待ってってばちょっと―――!!」 呼びかけると、一瞬振り返った引ったくりが逃げるスピードを上げる。 どんな曲者かと思っていたが、顔見て驚いた。まだ若い……少年だ。とにかく、相手が誰でも負けるものか。 「そ、そ、その人引ったくりです――――!!」 勇気を出してそう叫ぶも、周囲の人間は驚くばかりで動けないでいる。その合間を器用に縫って、少年は逃げていく。 自分もどうにかこうにか危うく避けながらも、もう一息、と、グンとスピードを上げて犯人に迫った。 「くそォっ、何だコイツ!異様に足が速いぞ!」 「異様で悪かったわね!大人しく返しな……ぶっ!」 その肩を掴もうとした矢先、勢いよく足が払われて派手に転倒する。前面に意識が集中していて周りが見えなかった。 「でかした!おい、ジャスパー!こっちだこっち!パスパス!」 身体を縺れさせながらも顔を上げて荷物の行方を追おうとすると、少し上の建物の屋根にまた別の少年がいる。 仲間にあたる人物に足をはらわれたらしい事といい、引ったくりは複数人で犯行に及んでいるのか。 「やめてよ!それは本当にとられるわけには……うわ!」 立ち上がって駆け出そうと勢い付いている所に、また別方向から足が掛けられて地に這い蹲る。 一体何人仲間がいるんだ。 「っはは! マヌケ野郎が、同じ手に引っ掛かってら! ……っそら!しくじるんじゃねーぞ!」 少年はそう言って、手荷物を建物の上の仲間に力一杯投げる。 「よ……っと!おお、重い重い。やあ、儲けさせてもらって悪いねぇ旦那ァ」 中で擦れ合う貨幣の音といい、その重量感といい、戦利品を受け取った青年はにんまりと卑しい笑みを浮かべる。 上体を起こしながらもう一度「返して」と叫ぼうとしたところに、地面を蹴って巻き上げられた砂埃に目をやられた。 顔を手で覆う外で、数人の足音が引き上げて行くのが聞こえる。 「よし、このまま撒くぞ!追いかけてきたら路地裏に誘い込め!」 最初にぶつかってきた少年は、どうやらリーダー格らしい。その指示に、何人もの男の声が応えるのが聞えた。 「……〜〜〜〜っ…」 蹲りながら瞼の裏の異物感を必死に涙で洗い流し、遠ざかっていく足音を聞いていた。 やがて暫らく経ってから、戸惑いがちに別の足音が近付いてくる。その頃には視力も回復していた。 「大丈夫ですかい?……あいつら、この辺を縄張りにしてる不良共なんです」 労働者風の壮年の男が、気遣うように此方を窺う。その向こうに数人、気の毒そうに眺めている人々が居る。 常の事なのだろうか、皆気の毒そうなのと同時にまたか、というような顔をしていた。 「なかなか悪知恵の働く連中でしてね。ましてあなた程の身なりの方が、護衛も付けずに歩くのは危険ですよ」 「そう、ですよね……すみません、本当に、迂闊でした。……それで、どっちに行きました?」 「え?」 口の中にまで入り込んでいた砂を拭い、男の声を遮って問う。同情して貰っている暇は無い。 諦めるという選択肢は、自分には許されていないのだから。 「……あの人達!どっちに行ったんですか?あれ、絶対に取り戻さないといけなくて……」 じゃなきゃ、屋敷には帰れない。土産は手に入らず、金も奪われ。ルークに合わせる顔がない。 あんな大金をコソ泥なんかに奪われた自分が許せないし、彼らには撤回して貰わなくてはならない事もある。 「お、追いかけるって言うんですかい……旦那一人で!?」 相手が戸惑ったように言うのに対し、力を込めて頷く。 そうだ私は、「旦那」じゃない。 「ふあっ……ぁあぁ……」 頭の後ろで組んだ手を組み替えながら、ルークは遠慮の欠片もない大きな欠伸をした。 大きな窓辺にもたれ掛かりながら、空に戯れる鳥を何となく目で追う。 相変わらず暇だ。変わり映えもない。 思えば、そんな日々を呪って召喚術に手を出したんだっけか。 なのに結局その「対象」は父親始め周囲の状況に取り上げられてしまい、こうしてまた自分は退屈を貪る他ない。 せっかく、この息の詰まる屋敷の中で、ガイ以外に話せそうな奴が出来たと思ったのに。 は感覚の違いの所為か、身分をあまり深く捉えていない感じがする。 相性のいい人格かどうかは兎も角、そういう奴だと他の使用人より気安く接しやすい。 どうにか折り合いがついた今、色々と異世界とかいう場所の面白い事が聞けるかもしれないと思ったのに。 (あーあ。……ナタリアに連れて行かれちまったんだから、ガイのヤツは当分帰って来ないだろーし……) また欠伸が出る。 (検査って、どれぐらい掛かんのかなー……つまんねえなあ) 詮無き事をうだうだと考えながら、組んだ足を遊ばせていると。 「失礼します、ルーク様」 ノックの音がして、メイドが入ってくる。 「ルーク様、少しお部屋の家具を動かしてもよろしいでしょうか」 「あ?何だよ、いきなり。……って、おいおい、その後ろのでけぇモンはどうすんの?」 畏まるメイドの後方、部屋のすぐ外に、数人がかりでベッドを抱えた使用人の男達が見える。 「様のベッドです。ルーク様とはお部屋を一緒にお使い頂く事になりますので、用意せよとの旦那様のご意向で……」 やっぱり、また当分とは生活を共にする事になったわけか。辟易して溜息をつく。 まあ、父親から直接通告される前に、既に成り行きで寝食共にしてしまっていたが。 「あっそ。んでも、それ、いらねーぜ。どっかに片付けとけよ」 「え? ですが……」 息を吐きながらベッドを指差して言うと、メイドも使用人の男達も困惑した表情を浮かべる。 じゃあ召喚獣の寝床は何処に?と顔が訴えかけている。耳の横を掻きながらそれに答えた。 「あいつ、ベッド嫌いなのか知んねーけど、使わねーし。いっつも床で寝てんだよ」 「はあ……。ゆ、床で……ですか?」 無理に寝かせても、散々うなされた末に最終的には落っこちているし。 かといって、床が寝心地がいい、というわけでもないらしい。時折寒そうに身体を丸めていたり、直の床が痛いのか 楽な姿勢を求めて寝返りを打ちまくっている時もある。そのゴソゴソしているのがウザったいと思っていたものだ。 しょうがない、と、改めて大儀そうに溜息をついて肩を竦めた。 「ま、とにかくよ、ベッドはいらねーから」 「はぁ……承知いたしました……」 未だに納得のいかなそうにメイドは首を傾げたし、苦労してベッドを運んできた使用人達は疲労感を表情に滲ませた。 街の人々に話を聞きながら、そこかしこの暗がりを覗き込み、道に迷い、ついに此処まで来た。 時にゴミ漁り中の野良猫に顔を引っ掻かれ、時に別グループのならず者達に絡まれそうになり、時に道ならぬ恋に 燃え上がっている真っ最中の二人の所へ出くわしてしまったりしたが、そんな苦労も犯人達の根城を突き止められた 今はさしたる事ではない。震える足と拳に叱咤しつつ、その路地裏に立つ。 「まさか本当に追ってくるとはなぁ。しつこい男は嫌われちまうぜ?」 周囲を取り囲んでいる連中の中、比較的年長そうな青年が溜息をつく。 引ったくりにしつこいと言われる筋合いは無い、と、は怯みながらも前方を睨みつけた。 民家の塀が周囲を囲い、屋根が日光を遮るそこは、鬱陶しく空気がこごっている。 ちょっとやそっと、大声で叫んだくらいじゃ表の通りまでは届かないだろう。 逃げ道を塞ぐように、そこにも下卑た嗤いを浮かべる少年達が立った。 四方八方から送られてくるプレッシャーに耐え切れず後退りすると、靴の裏で湿った土がざり、と音を立てる。 声帯を震わせようとしたが、喉がカラカラに乾いてしまってそれはままならず、先にごくりと唾を飲み込んだ。 「にっ、荷物を返してください。さもないと……」 どもった上に掠れた声は、何とも情けないものになってしまう。 「さもないと?さもないと、どうしてくれちゃうっての?」 ひどく面白そうに、一人の少年に続き数人が目をギラギラさせ、少しずつにじり寄ってくる。 「さ、さささささもないと……さも、ないと……」 うまく噛み合わない口でそう言いながらも、冷や汗を大量に流しつつ後退りできる方向を必死で探す。 「こんな所まで一人で来ちまって、馬鹿な貴族だな。軍人さんも助けには来てくれないぜ?」 言われて、セシルの事を思い出した。そういえば断り無くあの場を離れてしまったのだった。また迷惑を掻けてしまう。 かくなる上は急いで荷物を取り返して、戻らないといけないだろう。 でも。 「へへへ……」 「……くくっ」 肉食獣のような目の男達の視線に、「ひいっ」と全身総毛立つ。 とはいえ、もう盗られるものもないし、多少の暴力なら刃物を持ち込まれなければやり過ごせるはず。 「と、とにかく、あれは私のお金じゃなくて……返して貰えないと本当に困るんです」 「困るって言われてもなぁ。ここには無い物を返せっていわれたって、こっちも困る」 正面の青年は、肩を竦めてみせた。どういう事だ、と、も眉をひそめる。 先程自分を襲ったのは、この少年達に間違いない筈。けれど確かにその場にあの荷物は見当たらないし、隠せそうな 場所も無い。そして、肝心の人物が足りないのではないかという事に気付いた。 「アレは今、ジャスパーが持ってるぜ。せっかく此処まで来て貰ったのに、すまないねぇ、旦那」 そうだ、最初に自分にぶつかって荷物を奪い、他の仲間に指示を出していた少年がいない。彼らが完全に上手だった。 苦労をしてこの様かと思うと、ほとほと悔しくなった。 「……ていうか、旦那じゃないですから!」 唇を噛み締めて叫ぶと、青年を始め周囲の連中からニヤニヤ笑いが一瞬消える。 「あん? もしかして……よくよく見れば顔といい、体つきといい……お前、女!?」 よくよく見なきゃ解らんのかい。確かに今は男物の服を着ているが、声とか(解り難い大きさだが)胸とかあるだろうに。 突然発覚した事実に一同は混乱しているようだったが、やがて腹の底からの笑い声が各々の口から噴き出る。 「ぶあははは!微妙すぎだろこれ!」 「なんだ女かよ!ますます馬鹿だろ!」 相手が女だと解って、さらに少年達の士気が上がったようだ。 「な、何!?悪いですか!? 笑ってないで、そのジャスパーって子が何処に行ったのか教えて!」 怒りと羞恥に顔を赤くして喚いて見せても、一向に嘲笑は収まらなかった。悔しさと恐怖で唇と肩が震える。 やがて、やっと腹に手を当てて笑いを落ち着かせようとしながら、青年が言葉を発した。 「まあまあ……そんなにカッカせずに落ち着きなよ」 そうして顔に笑みを残したまま、こちらへと躊躇する事無く近付いて来た。 何をされるのか。攻撃を仕掛けて来るにしては随分無防備だなとは思ったが、身構えようとしたところ。 「い、一体な……!?」 青年は此方の顎を掴んで顔を覘き込んでくる。細められた目が自分を見た。 「ゆっくりしていったらどうだい?あんたみたいなんじゃ、こんな美形に囲まれる事なんて滅多にないんだろ?」 「え……? は……?!」 何をされてるのか、何を言われているのか一瞬全く解らなかった。 「お前本当に悪食だなー。女なら何でもいいのかよ」 からかう不良仲間の言葉に、やっと自分の状態が解ってカッとなる。何て失礼な物言いだろう。 確かに素行も品行もなってない悪漢と言えども、顔は悪くない方と言えるかもしれない。 そんな人物に顎を捉われて顔を近づけられたら、以前ならば万が一にもドキリともしていたかもしれなかったが。 「……生憎、美形なら見飽きてますので」 浴びる程見ているというか、常に囲まれているというか。 朝も昼も夜も美形の使用人や主従や公爵子息と一緒に暮らしてみろという話だ。 感覚麻痺で、もう何にときめいていいのか解らなくなる。 「……へぇ、そうかい。そりゃ結構な事だな、"お嬢様"」 その答えを聞いて、青年の声のトーンが一段低く冷たくなり、笑みに苛立ちが混じった。 つっと、突き放すように顎から手が離される。触れられた其処に嫌悪感を覚えて、ごし、と擦った。 それを見て青年の笑みが、益々歪んだ。 「いいぜ。ジャスパーの居場所を教えてやるよ。……ただし、探しに行けたらいいな」 そうして、その顔で周囲を窺い、目配せをする。一定の距離を保っていた仲間達が、じり、と此方へ更に近付いた。 腹の底から警鐘が鳴るみたいな感覚を覚える。 ぴりぴりとした空気が肌を刺す。滲んでいた冷や汗が集束し、頬の端を一筋流れた。 殴られるくらいなら大丈夫……と自分に言い聞かせつつも、やっぱり複数人を相手取るのは怖い。 「こいつ、剥いちまえ。服を取り上げて真っ裸にしてやりゃ、軍人も呼びに行けねーし、追って来れないだろ」 予想外のその言葉に、驚く暇さえ無かった。 青年がそう言って顎でクイと此方を指すと、途端、横や背後から一斉に手が伸びてきて、身体の随所を乱暴に掴まれる。 「ええ!? ちょっ、ま、待って、何言って……それは困る!」 「チッ……暴れるんじゃねぇよ!」 思わぬ抵抗する力の強さに、腕を拘束しきれないでいる少年が舌打ちする。暴れずにいられるもんか。 仮にも成人した女として、ひん剥かれて捨て置かれるなんてそんな事。 「わあ!引っ張らないで……この服借り物なんだから!やぶれるから、やめてったら!」 こんな連中、剣持った騎士団に比べたら、何てことはないんだろう、けど。 「黙ってろってんだよ、こいつ!」 あくまで抵抗しようとすると、男に横っ面を張られた。全く痛くはないのだが何だか心が痛い。 「大人しくしてな。俺達紳士だから、あんま乱暴はしたくねえのさ。……裸んなって動けなくなるのと、 動けない身体にされんのと、どっちがいい?」 異世界でまでこんなに下衆な輩に出会ってしまうなんて最悪だ。何とも屈辱的な思いが胸を満たす。 「女一人に対してこんな……恥ずかしくないんですか?」 感情を押し殺しながら自分を囲む少年達を睨みつけるが、耳障りな嘲笑が巻き起こっただけだった。 「お前こそ、そんなナリで女だなんて恥ずかしいもんだぜ!今度からはもっと色気のある格好してるんだな!」 「な……なにを!」 頭に血が上って、思い切り身を捩ってみる。男と言えど、自分にすれば大した力ではない。が。 「おっと!」 無理に押えつけようとした男の手が乱暴に服の袖を掴み、そこが「ビッ」と嫌な音を立てた。 「あ」と思った時には遅かった。白く上等な布地に裂け目が入り、そこから自分の肌が覗いている。 顔面から、さっと血の気が引いた。こんな上等な、きっと凄く高い服。弁償にいくらかかるか。 そうでなくても以前にも公爵家の壷を壊して、いつかその分も弁償しようと思ってるのに。 (ひいいっ!何てこと……また壊しちゃっ…!) どうしてこう抑制がきかないのか。自分さえもっとしっかりしていれば回避できたろうに。 その一部始終を見て、ならず者達の仲間の一人が呆れたように声を上げた。 「オイオイ、"中身"はどうでもいいが、服は大事に扱えよ。値が下がっちまうじゃねーか」 「………なっ」 服を掴んだまま男は頭を下げながらも、対して悪びれた風でもなく笑っている。 「わりーわりー。けど、持ち主に似合わず生地は上等だぜ。破れたってさぞかしいい値がつくだろ?」 「…………」 「いっそコイツをダシにして、あの美人の護衛にも一肌脱いで貰えたりなんか……」 彼らの、そんな呑気な遣り取りは途中で途切れる。 「…………いい加減に……して」 あんなに沢山の金貨だけでは飽き足らず、服まで奪って金にするつもりなのか。 冗談でも、自分をだしにして他人まで脅そうだなど言語道断。 町の人は、この連中を常習犯だとして困っていた。 自分以外にも理不尽に金品が奪われた人がいるのかと思うと。 こんな最低な人間達が、まっとうに金も稼がずにのさばっているのかと思うと。 地の底から這いでるような怒りがふつふつと恐怖も羞恥も呑みこんでいく。 腕を掴んでいた男は、何らかの危険を感じ取ったのか、訝しげな顔で拘束の手を若干緩めた。 「……さっきから好き勝手言いたい放題……」 「引ん剥け」と指示を出して事を傍観していた青年は、こちらの怒る様をさも愉快そうに嗤った。 「ははっ、何だよ。傷ついちゃった?ま、本当の事なんだからしょうがない……」 「ぅわあああああ――――!?」 突然の悲鳴。 後ろ手を掴んでいたはずの男がポーンと青空を飛んでいく。 間も無く、"ガシャーン"という衝撃音と、「何だ!?」「空から人が!」といったどよめきが、向こうから伝わってくる。 男は、表通りの野菜売りの屋台脇に積んである空箱の山に綺麗にダイブしていた。 「…………」 「…な……」 「……え?」 数人の呻くような疑問の声以外は、しいん、と、息遣いさえも凍りついていた。 人が振ってきたと騒ぎになっている表通りの方から、恐る恐る、自分達が取り囲んでいる人物に視線を戻す。 相変わらず貧相な顔体の女だったが、右手は高く掲げられ、その腕を取っていた筈の仲間は野菜箱の上でのびている。 「えっと………話し……合おうか」 ついさっきまで愉快そうだった青年の顔は、引き攣っていた。 各々戦慄した顔のまま、そろり……と後退って、取り囲んでいた輪が崩れていく。 「ねえ、お嬢さん。い、今何したのか知んないけど……ら、乱暴は良くないよ?」 形勢が逆転したと感じ取ったのか、周囲のならず者達は冷や汗をたっぷり湛えた顔にぎこちなく笑みを浮かべた。 「ええっと、よ、よく見たらお嬢さん美人だよね!?低い鼻とかのっぺりした目元とか胸も主張控え目で可愛い…」 余計な騒ぎは起すまいと心に誓ってはいたけれど。 ちょっと八つ当たりが入っているかもしれないのが申し訳ないとは思うけれど。 「……それは、どうも」 金を盗られ、散々探し回ったと思ったら、ハズレ。馬鹿にされて、裸に剥かれそうになり、服は破れる。 オールドラントでの初めての外出なのに、じつに、散々だ。 この際、彼らによって被害にあった他の人の分の無念も共に晴らして見せよう。 「はっ、話す!知ってる事は全部話すからっ……許して!許し……ギャ――――――!!!」 青年がうっすら目尻に涙を浮かべて悲鳴を上げるのも気にせず、むんず、とその首根っこを掴んだ。 その日バチカルの一角で、人がたくさん空を飛んでいたという。 |
夢主の現時点で可能な攻撃モーション→投げる、投げる、ひたすら投げる。非常に格好悪くてイイネ!
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