任務がら、人目を忍んでいるからだろう。 密かに仮の拠点としている宿屋の一室は、半分閉められたカーテンの所為で午前の日差しの中でも薄暗い。 「どうやら、もう捜す必要は無くなったみたいだね」 光漏れる窓を横にして壁にもたれながら、垣間見えるバチカルの街を眺めて緑色の髪の少年が呟いた。 「どういうことだ」 呼び出されたからであって、好き好んでこの場にいるわけじゃない、と不満の表情を露わにアッシュが返す。 「例のモノさ。どういう因果か、公爵家に流れついていたらしいよ」 「……チッ……くだらねぇ」 掛かってくる赤い後れ毛を払い除けるように顔を背け、吐き捨てる。 不本意な任務というだけでも充分自分を苛立たせるのに、どういう巡り会わせか。 おそらくシンクの言う例のモノとは、自分達が探していた、いわく異なる世界がどうとかいう書物の事だろう。 あんな胡散臭いものが公爵家にあったなんて、と、舌打ちをする。 アッシュの言葉に同意する、というわけではないのだろうが、シンクも口の端を忌々しそうに歪ませる。 「はっ、まったくだね。あの能無し坊ちゃんの所為で、聞いてた手筈とは全く別の方法を取る事になったんだ。いい迷惑さ」 「……何だと?」 公爵家の能無し坊ちゃん、というのなら、あの軟禁されている一人息子に間違いはないだろう。 赤い髪と、翠の瞳をしているはずの。 目を瞠るアッシュを余所に、シンクは気だるそうな動作で腕を組んでみせた。 「術は、既に発動してる。あの馬鹿が何も知らずに暴発させたらしいね。 だから、使えそうな奴が呼び出されたのかどうかは判らない。まァ……聞く限りじゃ、まず今のところ期待は出来ないけど」 "公爵の一人息子"は着々と彼らの言う通りの能無しに育っているのかと思っていたが。 得体は知れなくとも、術を発動出来るだけの力は持っているのだろうか。 ただ、シンクの言う所によれば、目的の物だか者だかは、奴の愚行の御蔭で結果が裏切られたようだ。 「フン。なら、アイツもさぞ慌てている事だろう。思い通りに駒が動かなかったんだからな」 目当てのものは得られなかった。とんだ徒労に終ったというわけだ。 いつも逆らう事の出来なかった人間の顔が、頭に浮かぶ。今まで何もかもが、その人物の言うように動いていたのに。 減らず口を言いながら、けれども心を串刺すような言葉を放つその口が焦燥に歪むのを、想像できなかった。 「……残念だったね。あの人は笑っていたよ。"我が理想に翳りなどない"と、言ってね」 「…………」 やはり、そうなのか。 彼が焦りをきたす所など、情けないがアッシュには思い描く事は出来ない。 また、心の何処かで思い描きたくないという理想を、押し付けている。 「計画を成すのに役立つ事があるか判断するためにも、この件は今しばらく捨て置いておけ、だってさ。 ま、第六譜石って餌もあるし、能無しの呼んだ更に能無しでも、キムラスカは有効活用しようと頑張るだろう」 そして、何があっても、往き付く終幕は変わらないのだろう、細かなシナリオが書き換えられるだけだ。 それの全容は未だはかり知れない。底の知れないあの笑みがちらつく。 結局はこの胡散臭い任務も、取るに足らないアドリブの一つに過ぎないに違いなかった。 「……馬鹿馬鹿しい……俺は、ダアトへ戻る」 考え始めると気分が悪くなりそうな思考を打ち切るつもりでかぶりを振り、部屋の翳りで腕を組む少年に背を向ける。 追い討ちのように、冷ややかなボーイソプラノが背にかかってきた。 「別にいいよ……もう人手は必要ないから、アンタは邪魔。不用意に動き回られても迷惑だし」 いちいち癇に障る言葉選びの上手い奴だ、と内心で舌打ちをしながらも、無言で部屋の出口へと歩を進める。 相手にしていられるほど、自分の精神にも余裕が無い。この街に居る限り、きっとずっと落ち着かない。 「……聞くけど、」 なのに、追い払うような言葉をかけておきながら、最後にこれだけとばかりにシンクが訊ねてくる。 無視してやりたかったが、事実上は参謀総長殿の呼びかけに足を止めない訳にはいかない。 「誰にも、顔を見られていないだろうね」 身体は出口へと向けたまま、首を少しだけ振り向かせて目を眇める。 嘴のような形の仮面は口元以外を覆い隠していたが、下にはそれと何ら変わらない無機質な表情があるのだろう。 温度を含まない声音からそれが解る。やや間を置いて、答えた。 「…………。あの日は酷い天気だった。マトモに顔を見た奴なんていないだろう」 「その酷い天気の日に、アンタは一体外套を何処へ忘れてきたのさ」 嫌味を言われるなら、あの日。 バチカルに着いたその日に、顔を隠す事無く宿に戻って来た日の事を言われているのだろう。 言葉の通り、降りしきる雨と強い風の中、他人の顔を判別がつくまで注視する人間なんていないと思った。 けれど、シンクの反撃の言葉には何も返せなかった。 「………………」 自分でも、何をしていたのか思いだすだけで、何とも腑に落ちない気分になる。 単なる気まぐれとはいえ、甘い事をしたものだ。 今思えば町の兵士に追われていたのだから、盗人か何かかもしれなかったのに。 でも、そういえば、あの変な女には顔を見られたかもしれない。 けれど。 「……テメェが言ったんだろうが。この街に、俺を覚えている奴なんていねえってな」 きっと、見られた所で、解らなかっただろう。 容姿からして異国の人間然としていたし、あんなみすぼらしい風情では城や公爵家と関わりがあるとは考えにくい。 そして祝祭か何かで過去に目にする機会があっても、もう今は、誰も。 「……見られてないって言うんなら、いいよ。とっとと行ったら?」 言われなくても、と、冷たい金属の仮面をひと睨みした後、アッシュは部屋を出て強めに扉を閉めた。 ふかふかのクッションを備えた椅子は、にとっては座り心地の悪い事この上なかった。 さらに、眉間に皺を寄せた公爵と見知らぬ人間の厳しい視線を横から受けながら、というこの状況は拷問に等しい。 「………、…」 口内にたまった、苦味さえ感じるような唾を密かに呑み込んで、目の前に翳される掌を不安げに見守る。 人払いのなされた、奥まった場所にあるやや狭い応接室にいるのは、自分を含めて全部で5人。 屋敷の主であり、自分の身柄を引き受けてくれている立場にあるファブレ公爵と、城から来たと言う壮齢の男性が2人。 身を包む服装や物腰から、恐らく位の高い人物達なのだろう。 アルなんとか大臣の名代として……とか何とか自己紹介された筈だったが、あまりの緊張に覚えていない。 そして自分も無事に名乗れたのだったかも覚えていない。多分地味ゴリラですとかは言ってない……多分。 とにかくこんなお偉い人たちのオーラが充満する場なんて縁がないものだから、頭が真っ白なまま勧められた椅子に かけて身体を硬くしてされるがまま。 そしてあとの1人は、目の前に立つ白い法衣を着た初老の男性だった。 「……駄目です、な……」 神官のような格好のこの男の事を、公爵達は「預言士(スコアラー)」と呼んでいた。 預言士はやや疲れたように一息をついて呟くと、此方に向かって翳していた手を残念そうに下ろす。 「やはり、そうですか。報告の通り、音素を受け付けないのですね」 使いの男の一人がそう尋ねたのに対して、顎に蓄えた髭を撫でながら預言士は首を傾げた。 「受け付けない……というよりも、空振りをするような感覚……ですかな」 厳しい表情を組んだ手の上に載せて、片眉だけ僅かに潜ませた公爵が「ほう?」と呟いて言葉に対して説明を促す。 「何も無い空間を相手にしているような……預言を詠もうとしても、第七音素が霧散して像を結ばないんです」 困ったように顔を顰める預言士を前にして、ようやく検査というこの行為が何をしていることなのかを理解した。 預言(スコア)というものを、この惑星の人々が必要不可欠なものとして暮らしている事は聞いている。 自分という存在も、そのサイクルに当て嵌まるのかどうかを改めて試されていたのだろう。 けれども預言士の言葉から察するに、それは完全に否だったようだ。 (そりゃまあ……身体の構成からして違うらしいし、仕方ないんじゃないかな……) ガイや、医者から聞いた話を思い出しながらボンヤリと考える。 溜息のような息が誰ともなく口から漏れたので其方を窺ったが、予想よりも公爵らに困惑は見られなかった。 「何も無い……か。けれども、彼女は其処に存在している」 「恐れながら……えー……殿、でしたか。物には、触れるのですよね……?」 落ち着いた調子で唸る使者の男の横で、もう一人の男が此方を恐る恐る窺うように訊ねてくる。 正直な反応といおうか、お化けや幽霊のような気味の悪いものを見るようなその目に、傷付かないでもない。 「それは……はい、もちろん」 でなければここで生活なんか出来ていない。 「試されてはどうかな、ジプサム補佐官。に、触れられるのかどうか」 発言を求められて戸惑いながらも返していると、上座にいた公爵が目を眇めて言う。 「い、いえいえ!遠慮をしておきます!そ……それはそうと、詳細な検査の事ですが……」 対して補佐は叫びださんばかりに勢い良く首を横に振って、話題を変えようと取り繕う。 そんな得体の知れないモンに触るなんてとんでもない!という感情が見て取れる。 溜息を密やかについたが、かぶさるように公爵がもっと深い溜息をついたので、小さなそれは覆い隠された。 「」 「……はい」 やっと話が進められる、と、表情を改めて引き締めて此方を見る公爵に対峙し、思わず背筋が伸びる。 「お前は、不慮の事故によってこの世界に来た。故に、ここでは当たり前の事が、お前には通じないようだ」 「は、はい」 預言士が、未だに腑に落ちなさそうな様子で席に座るのを視界の端に捉えながら、頷く。 「先日の一件は、互いの情報が足りなかったばかりに起きてしまった事と言えよう。しかし屋敷の者を守るため、 ひいてはオールドラントの理に準ずるための判断だったと、どうか理解して欲しい」 そんな事を言われても、その事については放っておかれた自分の所為じゃないじゃないか。 ここの人間にとって得体が知れないのは、自分にはどうする事もできないんだから。 理解して欲しいと言われても、それで殺される事を仕方なかったと思えとされるのは納得は出来ない、が。 「……そうですね……解っています」 でも逆の立場で考えたなら、無理もないかもしれない。 遊び半分でやった降霊ごっこなどで、何かが呼び出されてきたとしたら、例え人の形をしていたって薄気味悪い。 何か大変な事が起きるんじゃないか、その前に消せるものなら消してしまいたい、と思うのは当然だと思う。 相手が本当に害のないものなのか、明確にはどういった存在なのかが、解るまでは。 「そこで、お前には我が国が管轄する施設で詳しく検査を受けて貰いたいのだ。 正体を明らかにする事で、お前に対する皆の目も変わってくることだろう」 言葉を切ると、公爵は傍らに置いてあった呼び鈴を軽く振って鳴らす。 扉の外に控えていたラムダスが部屋に入ってきて、公爵の傍らに立って耳を寄せた。 そうして二、三言交わすと、一礼してラムダスがまた部屋の外へと消える。 「ご安心なされよ、殿。貴女を受け入れる準備は全て整っている。 己を知る事で、先の身の振りも、帰還への道も開ける事になりましょう」 公爵の方へ意識を向けていた所に、他方から声を掛けられたので顔をそちらに向ける。 ジプサム補佐官が、先程の慌てぶりを引っ込めて口元に笑みを浮かべて頷いていた。 「もしかすると、貴女には辛い記憶があるかもしれませんが……旧市街の第五音素専門研究機関へ御越し願いたい」 「えっ、……そこって、もしかして……」 まだ記憶の浅い部分にあるそれが、思い起こされた。それを確認しようと言葉を続けようとしたが、 「失礼します」 凛とした声と、扉を開ける音にそれは遮られた。 皆が其方へと視線を馳せる中、自分もそれに倣って、向きとは逆の部屋の出口の方へ振り返る。 「キムラスカ・ランバルディア王国軍所属、ジョゼット・セシル少将であります」 扉を閉めてそこに立っていたのは、赤い軍服に身を包んだ女性であった。 薄い色の金髪は結い上げられ、女性独特の柔和さを持たない顔はきりりと引き締まり整っている。 礼を解くと、セシルは末席に座っている此方の傍に歩み寄った。 「初めまして、殿。ルエベウスへの送迎、本日より責任を持って私が務めさせて頂きます」 「あ……ど、どう……も?」 思わず、頭を下げてしまった。やはり、ルエベウスへ行くことになるのか。 「研究」と名がついていたので、ただのゴミ処理場ではないだろうと思っていたが、あそこへもう一度行く事になるとは。 しかも、こんな美人さんに護衛をして貰って、だなんて、何て大袈裟なんだろうと気が引けたが。 セシル少将の言葉が終ると、今度は公爵が此方に向かって口を開いた。 「これより、お前の外出の禁を解く。だが、その素性については絶対に口外無用と約束して欲しい。 悪戯に民衆を騒がせるものでもないし、どこにマルクトの目があるか分からぬ」 成る程、セシルはその"監視"の役もかっているのだろう。 ルエベウスへの道中、敵国の目を警戒し、また此方が下手な動きをしないようにするための見張りか。 と、鋭利な印象を与える彼女から送られる、油断の無い真っ直ぐな視線に首を竦めた。 「……ありがとうございます、公爵。色々と、ご面倒をお掛けしてしまってすみません」 取り敢えず話は纏まったみたいだ。状況の真相はどうあれ、かなりの待遇を受けてしまっていると言えるだろう。 礼を述べると、いいや、と小さく公爵は首を振った。 「元はといえば此方が……ああ、そうだった。申し訳ないが、今しばらくは引き続き息子と同室で過ごしては貰えないか。 ……あの様子だと苦労を掛けるだろうが、事実上の抑止力はルークしかいないのでな」 うっ、と、何ともいえない複雑な思いが胸に湧いた。 既に色々と苦労は掛けられている事は否定しないが、何と言うか、もうちょっとこう。 「あの……公爵。私は……その……」 女なんですが、と言いたいわけだが、流石に憚られる。 ルークを信用していないわけじゃない。……というよりも、そういった心配はミクロ単位でも必要ないとは、思う。 でも、やっぱり。 (婚約者もいる……って、ガイさんも言ってたし。やっぱり、男女同室なんて駄目な気がするんだけど……) というか、いい加減人間の女として扱って欲しいわけだが。それも、ルエベウスで証明されない限りは無理な話か。 まごついたまま先を続けようとしない様子を、公爵は怪訝そうに眺めて首を傾げる。 「何か問題が?……そういえば、あの部屋にはベッドが一つか。小さいものならもう一つ入るだろう。 あとは……何か要望があれば申すがよい」 「い、いえ!な……なんにも………いりません…」 ベッドがあっても、そこでは眠れないし。寝食の保証をされている限り、これ以上の我儘は無い。 言いたい事を諦めて溜息をつくと、首を横に振った。 見計らい、城の官吏達と預言士が椅子から立ち上がる。 「それでは、ファブレ公爵、私達はこれにて。事の次第を城に伝えに戻りますので」 「ああ、宜しく頼む。……預言士殿も、ご足労を感謝する」 恭しく頭を下げると、三方は部屋を出て行った。 やがて公爵も席から立つ気配を見せたので、慌てても椅子を引く。 「では、殿。私は玄関でお待ちしておりますので、準備を整えてからいらして下さい」 立ち上がった所にセシルからそう声を掛けられたが、準備と言われても着替えくらいか。 着替えといえば、ガイから受け取った、ペールのお下がりの作業服くらいしか思い当たらないし、どこへ仕舞われたか。 取り敢えず部屋に戻ってガイに相談してみた方がいかもしれない。 (あれ……そういえばガイさんの姓って……) 何か引っ掛かるものを感じたが、入り口に向かう面々に応接室に置いてきぼりにされそうだったので 慌てて自分も扉の方へと急いだ。 「なんっだよ、あのスカした態度の兵士はよ! かーっ……よく解んねぇけどムカつく!」 メイドが閉めていった扉の方を指差して、髪を火の様に逆立てながらルークが喚いた。 「落ち着けよ、ルーク。それよりも、だけ呼び出しってのは……」 ようやっと出られる、と、ベッドの陰に屈めていた姿勢を伸ばして、顎に手を当てながらガイが呟いた。 報告に言った時にチラリと聞こえた城の使いとの会話が気になったが、それと関係があるのだろうか。 諌められたルークは、扉に八つ当たりしても仕方ない、と、さした指を下ろして肩を竦める。 「ったく……あー……ワケ解んねえ。親父のやつ、急にを回収するとか言いやがるし、城からも人が来てるみたいだし。 ……ゴチャゴチャやってねーで、とっとと本でも何でも見つけ出して解決すりゃいーのによ」 「そうなったらも元の世界に帰っちまうわけだが、いいのか?」 ガイが腰に手を当てて、口の端を悪戯に吊り上げながら言うが。 「い、いいに決まってんだろ!!当たり前の事聞くな!」 今度は此方に向かって毛を逆立てるルークに、ガイは苦笑を浮かべてまあまあ、と両手を胸の前で振る。 「とにかく、元は俺達のやらかした事とはいえ、ここまで話が拡がるとどうしようもないな。 "殺さない"っていう、旦那様の言葉を信じるしかないだろ」 信じるしかないだろ、というガイの言葉に、しかめっ面になるのをルークは止められない。 ろくに話もしない、聞いてもくれない相手を、どれほど信じる事が出来るものか。 「けっ……なーんか気に入らねー。もで、もっと抵抗してやりゃいーんだ。馬鹿力が聞いて呆れるぜ」 苛立ちを舌打ちにのせ、両手を頭の後ろで組んで吐き捨てる。 「無茶言いなさんな……そんな事をしたらどうなるかって事くらい、あいつも解ってるんだろうよ」 青い瞳に苦笑を深めて、幼馴染の使用人は窓辺の定位置で腕を組む。 確かに、状況に逆らって従わなかった事が、先日のような事件を引き起こしたのだろう。 「……ま、何はともあれ、仲直り出来て良かったじゃないか。それどころか、いつの間にか仲良くなってて驚いたが」 「お前はさっきから……! 冗談じゃねえ、あんな地味ゴリラ!サムい事言ってんな!」 いかにもたこにも心外だ!と不快感を露わに、言い放つ。 そりゃあアレだけ邪険な扱いをしていたら、大した事がない行為でも「仲良くなった」ように見えるかもしれないが。 対してガイは笑んだままだったが、眉が八の字になる。 「お前なあ。夜……の事は、まあ置いといて……また一緒にメシ食ったりなんかして、随分打ち解けた 感じじゃないか? 結構な事だが、お前にはナタリア姫がいるんだから、ほどほどにしとけよ」 「ナタリア」という名前がガイの口から出た途端、苦い薬でも飲んだかのようにルークは顔をしかめた。 「何でそこでナタリアが出てくんだよ。別にメシ食うくらい、普通だろ。俺はアイツに何か言われるような事はしてねえ」 どことなく、言わんとした事がズレて伝わっているような、そもそも伝わっていないような。 ガイはわざとらしく大仰に肩を竦め、首を横に振る。 「……やれやれ。お前ってやつは、女心が解っちゃいないねぇ」 何で日がな悲鳴を上げて女から逃げまくっている奴に、そんな事を言われなくちゃならないんだ。 だいたい、別に女心がどうとかじゃなく、考えるのが面倒なだけだ、と口を尖らせる。 「はっ、解りたくもねぇっつーの。……くだんねえ事言ってねえで、稽古に付き合えよ。今ヒマなんだろ?」 「ああ、構わないが……そういえば暫らくナタリア姫を見てないな。ここ最近の騒ぎなら、 いち早く聞きつけて飛んできそうなものなのに」 壁に立てかけてあった木剣を手に、肩を回しながら扉へと向かうルークを目で追いながら、ガイが首を傾げる。 木の柄の感触を手に馴染ませながら、まだその話題を続けるのか、と出入り口を前に不満そうにルークは振り返った。 「何処だったか、視察だってよ。当分顔が見れねえって喚いてたから、まだ暫らく戻って来ないんじゃねーか?」 「そうか……大変だな、王女も」 身分は天地程違うが、やはり幼馴染として多忙な彼女を思い、苦笑を漏らす。 「……やめようぜ。折角うるせーのが居ねえんだ。噂でもして、帰ってきちまったら面ど……」 「ルーク!!!」 バガンッ!! という、大音量で名を叫ぶ声と、痛々しい「音」が背後から襲い掛かってきた。 もっとも「音」の方を聞き取る余裕はルークには無く、突如としてみまわれた後頭部の激痛に、ひたすら蹲って悶える。 思わず滲む涙を堪える傍ら、物凄く嫌な予感が胸に渦巻くが、半分窓から逃げる勢いで仰け反っているガイの顔が 青く引き攣っているのを見て、それが確信に変わる。 「ナッ……ナナ…ナタリア……さま」 彼がぎこちなく名を呼ぶのを聞いて、やっぱりか畜生、と、半ば睨むように来訪者…いや来襲者を振り返った。 「ルーク……ッ!」 そこには、度々訪れるメイド達とは違って綺麗な装いをした少女が、凶器となった扉のノブに手を掛けたまま立っている。 華やかな金髪は肩の所で切り揃えられ、新緑の瞳には、いつにも増して気迫が湛えられている。 「こンのッ……痛ってえじゃねーかナタリア!!何しやがんだ!俺は何もしてねえって言ってるだろ!?」 咄嗟に先程の会話を引っ張ってきて食って掛かる。 だがそんな事を気にも留めない様子で、ナタリアはつかつかと部屋に踏み入ると、ズイと此方に顔を近付けてきた。 「……なっ……」 見慣れた筈の、けれども気の強そうな整った顔が必要以上に目の前に迫ると、どぎまぎして退け腰になってしまう。 それを隠して、更に睨みつけた。 「おっ、おい、何だよ……」 「よくぞ……」 一瞬後、少女の怒ったような顔が急激に緩んだと思うと。 「ああ、ルーク!よくぞご無事で……わたくし、心配しておりましたのよ!貴方が魔物に襲われたと聞いて……!!」 「はぁ!?」 両手に手を取り、安堵の息をついたナタリアの口から出た言葉に思わず声を上げた。 こいつの言っている事の意味が、さっぱり解らない――多分後方でガイも同じような表情を浮かべているの だろうが、相変わらずナタリアは此方の様子をお構い無しに、顔に頭にと確かめるように手で触れてくる。 「怪我など、ありませんわよね?まったく白光騎士達は何をしていたのかしら………って、 まあぁ!?何て大きなコブが、こんなところに……!!……大変な目にお遭いでしたのね、ルーク……」 「ああ、ほんの今さっきにな……」 後頭部の負傷箇所を探り当て、大いに同情の目を向けてくるナタリアに、言葉が通じないのを覚悟で力なく呟いてみる。 「ご安心下さいな。わたくしが帰ってきたからには、もう大丈夫ですわ!」 ……が、やはり案の定彼女は聞いてなかった。 「だ……大丈夫って、何が一体大丈夫なんですか……?」 いつにも増して勢いのあるナタリアに、諦めて言葉を失くしているルークに代わりガイが脅えながら訊ねる。 「解りきった事を!ルークを襲い、屋敷を荒らし、人心を惑わせ、未だ城下で暴れているという不届きな魔物を、 わたくしが成敗して差し上げるのですわ!」 正義感と自身に満ち溢れた表情で、誉れ高く言い放った。 「な……何だそれ……どっから湧いてきたんだよ、その情報は」 「何だか色々……曲解や誤報や虚言や早とちりが混じってるみたいだな……」 「お黙りなさい!」 「「 はいッ 」」 ぴしゃりと言い放たれた少女の言葉に、男二人は逆らえずに背筋を伸ばして返事するしかなかった。 「視察から戻られたのですね、ナタリア様」 取り敢えず、と勧めたソファに掛けるナタリアに、落ち着きを取り戻したガイが言葉を掛ける。ちょっと遠くから。 「ええ、今朝方に。そうしたら、城下の方で魔物が出たという話を耳にしましたの。驚きましたわ、この街中に……」 ぶっすりとベッドに座って不貞腐れているルークは話を聞いてないようだったが、ガイは語られた言葉に眉を顰めた。 おかしい。もう既には身柄を確保されているのに、噂がまだ沈静化していないなんて。 バチカルを警備している兵士から、民衆に通達が行き届いていないのだろうか。 「わが国の混乱ですもの。わたくしも黙っていられなくて、多くの者に話を聞きましたわ。……でも、何故か要領を得なくて」 それはまあ、そうだろう。 基本はの事は一部の者しか事情を知らないし、口外しないものとされているし。 未だ魔物と思っている人間もいれば、召喚の儀式の事を知らないでルークが襲われた、と認識している者もいるだろう。 「で……姫様が、朝から今までに集めた情報を繋ぎ合わせてみた結果……」 「さっきみたいなオチになったわけかよ。……アホらし」 片膝で胡坐をかいた所に頬杖をつき、溜息のように吐き出したルークを、きっ とナタリアは睨みつけた。 「その言い方は何ですのルーク!!また貴方に何か事が起きたのではないかと、わたくしは心配で……!」 「おわ!な、何だよ!別にお前にゃ関係ねーだろ!!」 がたん、と勢いよく椅子を引き、その足で詰め寄ってくるナタリアに、またもルークは気圧される。 自分だったら気絶モノの光景に薄ら寒いものを感じながら、ガイは苦笑して溜息をついた。 恐らく王女という立場上、自然との事は正しくナタリアの耳に入るだろうが、今ここで自分達が言及しても いいものなのかどうか。この興奮っぷりの所には、あまり余計な情報は与えない方がいいかもしれない、と考える。 「関係なくなんてありませんわ!わたくしは貴方の婚約者ですのよ!どうしてそんな事を仰いますの!?」 「どうしてもこうしてもあるか!親が勝手に決めたんだろ!オイ、ガイも何とか言ってやれよ!」 ああ、全く相変わらずだ、と、少し久しぶりの光景に、ルークからの救援要請をスルーして窓の外に遠い目を馳せる。 悪いが、この夫婦漫才に水を差して無事だった記憶がないので、関らないという事で勘弁して欲しい。 つれない言葉にいよいよもって言い募ろうとナタリアが身を乗り出したので、ベッドの上で支えていた腕が崩れる。 「ばっ……馬鹿!あんま顔近付けんな!」 「あら」 赤くなった顔で仰け反ると、ルークはバランスを失ってベッドの上に情けなくも倒れ込んだ。 不可抗力だったが、ベッドに寝るルークの上に迫るナタリア、という、何とも珍妙な構図が出来上がる。 「ま、まあ……わたくしったら……大丈夫ですの、ルーク?」 「だぁ――――ッ!!い、いいから早く退けよお前はああ!」 俄かに貌を赤く染めて問うナタリアに、同じく頬を上気させざるをえなかったルークが下から喚いた。 「おいおーい、俺もいるのにベッドでイチャつくのは勘弁して下さいよお二人さん……」 遠くで見守る事を決め込んだものの、如何わしさを思わせる体勢になった二人に、ガイは釘を刺そうとしたが。 「ん?」 ベッドでもつれる二人の向こう、開いた扉の隙間に、オロオロとする挙動不審な人影がある事に気付く。 「あっ……」 向こうも気付いて慌てたのか、目があった瞬間にその口から短く気まずそうな声が漏れた。 見覚えのある顔。先程連れて行かれて心配していた所だったが、話の通り「検査」はすぐ済んだようだ。 ガイの様子と小さな鳴き声に、折り重なっているルークとナタリアもそちらへと視線を馳せた。 |
ナタリア登場でした。凄く書いてて楽しいです彼女
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