鈍色のあしおと





「……!」
またいつの間にかそこにいる青年の姿を確認して、目を丸くする。
以前の部屋よりも開放感のある大きな窓辺には、「よっ」と片手を上げて爽やかに笑む金髪の青年が立っていた。
「よぉ、ガイ」
タイミング悪く口に物を入れてしまっていて、モゴモゴと挨拶を返せないでいる自分に構わず、ルークが軽く手を上げる。
「残念だったな、お前の分のメシは用意してねぇや。何なら、コイツの分手伝うか?」
早く片付いていい、とルークに親指で指され、口の物を呑み込みつつ慌てて皿を抱え込んだ。
「はっ」
抱え込んでしまってから気付く。
今しがた「食い意地がはってる」だの「他の女とは違う(悪い意味で)」だのと指摘を受けてショックを受けていたのに。
「……おっ、お早う御座います、ガイさん。あっ、よろしければコレどうぞ……!?」
ルークが意地悪い笑みを浮かべているのを恨めしい思いで見ながら、デザートの皿をガイに差し出す。
時既に遅かったか、堪えきれない笑いを含みながらガイが首を横に振った。
「いいって、遠慮しとくよ。俺はお前らと違って、ちゃんとした時間にしっかり朝食をとったからな」
最早昼に近い時刻を指す時計を暗に示して片目を瞑ってみせる態度に、ち、とルークが決まり悪そうに舌打ちする。
確かにだらしのない時間の使い方しているよなぁ、と、遅すぎる朝食を口へ運びつつどんより考えた。
ガイは窓辺から離れて此方へ歩み寄ると、テーブルに向かう双方の顔色を見て腰に手を当てる。
「気分はどうだい、お二人さん。風邪なんて引いてないか?」
「んだよ、突然。別に何ともねーぜ」
ルークがふてぶてしく答えると、まったく、と整った青い瞳が苦笑にゆがむ。
「驚いたぜ? 今朝、二人とも部屋にいないと思ったら、外で寝てるんだもんな」
「ん? じゃあ、俺達を部屋まで運んでくれたのはガイだったのか?」
目を丸くしたルークの前で、大儀そうにガイが首や肩を回しながら、溜息混じりに頷いた。
そういえば、気がつくと(というか叩き起こされたというか)ルークは勿論、自分も彼の部屋の中だった。
昨夜、意識を保とうとするのに手一杯で、そこからルークを元の部屋に戻してやる所までは出来なくて。
もしかしたら目を覚ましたルークが……なんて思ってもみたが、そうだったら捨て置かれるのが関の山だ。
「ああ、見つけてくれたのはペールだけどな。……ったく、朝っぱらから大仕事だったぜ。
 ラムダス様の耳に入ったらまた煩いだろうから、人目につかないよう必死だったし」
「そっか……まぁ、だろうな。他の奴だったら、コイツまで俺んとこ連れてくるような迷惑なこたぁしねーだろし」
ほうらやっぱりご本人様もそう言ってる……と、予想通りの主人の言葉に、引き攣った笑みを向ける。
「ごめん……迷惑なうえ朝御飯まで用意して貰っちゃって……」
目が合うが、けっ、と口を尖らせたルークに先に逸らされてしまった。
「そう言うなって。の方も元の部屋に戻してやりたかったんだが……悪いな、ルークの部屋までが限界だった」
一ミリたりとも、その、実に申し訳なさそうにしている表情に悪意など紛れてはいなさそうなのに。
だけれども、どうしてこう、言い方を変えてくれないもんか。返答にめちゃくちゃ困るじゃないか。
謝るガイを前に食事の手を硬直させ、力なく首を横に振るしかなかった。
「いいえ、いいえ充分です……充分ですとも……重いですもんね、私」
三階の部屋まで運んでやろうにも、自分の腕力では此処までが精一杯でした、と。そう言いたいのだろうか。
やっぱり此方へ来てから量も質もいいものばかり、急激に食べ過ぎた……と、我ながら思う。
そりゃ一時は餓死しかけたけれど、それまでは三食元気にかっ食らいながら汗水垂らす事も殆ど無かったし。
女としてヤバイなんて、そんな思考を持った事が無かったが、内面だけでなく外面も変わる機なんじゃかろうか。
(何が貧乏本能が黙ってない、よ。本当にこれじゃあ良い所来てガツガツしてるだけの人間だよね…ルークに常識が
 どうとか言えた義理じゃないってコレは。……よし、これからはもうちょっと考えて行動しよう。
 まあ……ここのメイドさん達みたく美人さんになれるとは思わないけど、でもこの二人からとにかく馬鹿にされない
 程度には……って、断じて ルークの言った事を気にしてるって訳じゃないのよ、うん、断じて)

「重い?……って、、何をブツブツ言ってんだ?時間的に余裕が無かったって話なんだが…」
ペールに知らされたのは朝日も本格的に昇り始めた頃、他の使用人達も仕事を始め出していた。
よって、意識の無いを背負って屋敷内を歩くには憚られたため、中庭に直結のルークの部屋に放り込んだ、と。
小首を傾げてそう言うが、横でルークが気だるそうに頬杖をついて鼻から溜息のように息を抜いている。
「ほっときゃいんじゃね?のやつ、聞いてねーし」
「………えっ…」
ガイは思わず、ルークの方を向いて目を瞠って言葉を呑む。
「……んだよ?」
今、何の違和感もなくて、逆に驚いた。
しかしそんな事は意識の内に全く無いのか、ルークが片眉を顰めて怪訝そうに此方を見上げる。
「……お前今、名ま……」
指摘しそうになって、慌てて口を噤む。
何しろルークの性格からして、ここで敢えて突っ込んでしまうと、また意地を張って駄目になってしまう。
折角、化け物だの地味ゴリラだのとしか呼ばなかった主人の口から、やっとその名前を聞けたのだから。
「あん?生?」
「ああ……はは。いや、何でもないさ」
そう言って苦笑いをすると、「何だよ一体」と、ますます翠の瞳に此方を訝しむ色が深まるが。
わだかまりもぎこちなさも、ここ数日の陰りが解消したような気がして安堵した。
いつの間に、こんなに打ち解けたんだか。先程からの遣り取りも、外野で見ていれば微笑ましい。
「おいコラ、地味ゴリラ!ウダウダやってねーで早く食っちまえよっ!片付かねーだろ!」
ルークはティースプーンで、半ば魂此処に在らずなの頭をカンカン叩く。
……うむ、微笑ましい。
(……"地味ゴリラ"は継続使用中なんだな……)
確かに昨日までの二人の様子を思うと喜ばしい光景だが、依然何だか不憫な事には変わりない。
「やめろって、ルーク。……まだ立ち直れてねえのさ。男嫌いなのにあんな事になりゃ、そりゃショックだろうし」
「はあ?あんな事って、何だよ? ガイ、お前に何かしたの?」
まるで察する所がない、といった風にルークが問うものだから、さすがに呆れと当惑が表情に募る。
「何言ってるんだルーク。お前だろ」
「俺?……お前こそ何言ってんだよ。俺のワケねーじゃん」
「いやいや、お前だって。何だ、覚えてないのか?」
「あのな……覚えてるも何も、俺がコイツに何するってんだよ。される事はあっても」
「お前が覚えてないってだけだろ?も流石にあれはちょっと吃驚したと……」
ブチッ、と、いう音がルークの額からした。
「だ――も――ッ!!しつけぇなッ!俺はコイツに何もしてない!したくもないッ!!」
言いがかりもいい加減にしろ、とばかりに頭を掻き毟りつつルークが吼えるのに、ガイも一瞬気圧される。
が、すぐにその目を細めて、ルークとは正反対の温度でもって返してやった。
「ほぉ、そりゃあ随分つれない話だなー。恐らくの事だから、耐えて耐えて、最後にゃ気を失っちまったんだろうに」
あの時の状況から察するに、という話である。
ガイが報せを受けて中庭に馳せ参じた時、苦笑するペール越しに見た光景は一瞬微笑ましいものかと思えた。
が、良く見ればは積年の苦労を重ねて老け込んでしまったような形相で、真っ白な灰になっていた。
それと対照的にその膝の上には、あどけなさの残る寝顔を晒しながら、居心地良さそうに眠り込んでいるルーク。
彼を起こさないようにというか、動くに動けなかったんだろうの心中が察せられて、
ガイは熱くなる目頭を思わずぎゅっと押さえたものだ。
「何の話だそりゃ。俺は知らねーぞ」
それなのに、このルークときたら。あまりにもが報われない気がする。
「ったく。……昨日の夜の話だよ。どういう訳かは知らねえが、お前がさせたんだろ?に膝まく」
「らあああああああああ!!!」
「うわあッ!?」

いつの間にか、思考に没頭していたらしい。
ふと気がつけば、ガイが禁忌に触れる事実を口にしようとしていたので、全身の血が凍った。
もう一も二もなく顧みることもなく、悲鳴にもならない奇声を上げて、そのしなやかな腰にタックルをかける。
何としてでもその言葉を打ち消さんとする志が無ければ、到底出来た行動ではなかったろう。
「おっわ!何だよッ!?」
吹っ飛びそうになるガイの傍らで、ひどく驚いて仰け反るルークが見えていたが、構っていられない。
「ガガ、ガ、ガ、ガガガガガイさんガイさんガイさん!!そ、それは……それは言わ、いわいわ……」
「え!?お、おい、岩……?」
必死にガイの腰に縋りつき、言うな言うな言わないでくれと、それが言葉にならないので千切れんばかりに首を振る。
ガイやペールに"あの状態"が見られたのだけでもショックだが、それよりも。
もしもルークに知られたら、きっと怒るに違いない。自分が膝を貸していたなんて、きっと許されない。
それ以前に、もの凄く、恥ずかしい。
こんな事は今まで生きてきて初めてだったものだから、きっとどうかしていた。昨日の自分はおかしかったんだ。
ずっと嫌われていると思っていたルークと仲良くなれた気がして、調子にのっていた。
我々地球人にとっては不思議な色の髪に触ってみたかったし、個人的に美形の顔ってやつを拝むいい機会だったし。
そんな、限りなくヨコシマな思いがあったからこそ、あそこで動かなかった所もあるんだろう。
それを知られてしまったらと思うと、自己嫌悪と羞恥と申し訳無さと恐怖で、どうにかなってしまいそうだ。
「わわわわ解った!解ったから!言わないからさ、な、……嬉しいけど、く、苦しい!」
意図を察して、必死にガイが言う。ついでに腕をまわした腰もめりめり言う。
そこでやっと我に返って「わあああっ」と、急いで手を離して身を引くと、開放されたガイは苦笑しながら咳込んだ。
「す、すッ、すみません!すみません!つい、頭に血が昇って」
必死だったとはいえなんという事を。恥を隠すために恥を重ねてしまうとはどういう事だ。
「は……はは……いや、いいから……」
がくがくと何度も頭を下げながら謝るのを見て、ちょっとガイも引いていた。
そこへ、フン、と鼻を鳴らすのが聞こえたのでそちらを向くと、ルークが腕組をしてそっぽを向いている。
目の前で隠し事をされて気分のいい事はないだろうから、当然だろう。
「はっ。なーにが俺のため、だ。気ィ失ったって、どうせ夜中の庭が恐かったんだろ。だっせぇの」
(いや、お前のせいだよ、お前の)
と、心の中で突っ込んだのは自分だけでなくガイもだというのが、その疲弊したような表情から窺えた。





取りとめも無く、また他愛の無い会話を断ち切ったのは、上品なノック音であった。
それを合図のように、こ慣れた身のこなしでガイが素早く大きなベッドの影に隠れる。
一瞬驚いた様子のルークが慌てて表情を整えて居住まいを正すと、次いで扉の外からは清楚な印象の女性の声。
「ルーク様、お食事は終りましたか?食器を下げに参りました」
メイドだった。どうやら今回はカルミアではないらしい。
その問い掛けてくる声を耳にして、ガイは隠れて正解だった、と胸を撫で下ろしている。
「ああ、終ったぜ。入っていいぞ」
取り澄まして言うルークは、さすがに何度も体験したこの状況に慣れているのだろう。あまり動揺は見られない。
問題は自分の方だ。
言わずもがな特技のない自分が演技など上手い筈もなければ、むしろ下手だ、多分。
多分、というのは、過去に道端の石、枯れ木等、演技の必要無い役しかやった事が無いからだ。
不審な動きをしないよう、充分気をつけないとガイに迷惑がかかる――いやそれより。
「……って、まだ私食べ終わってないんですが!」
緊迫した思考は、ルークの淡々とした返答でぶっ飛んだ。
「知るか。遅せーんだよ。もういいから、片しちまえ」
「あ……あの……入っても宜しいのでしょうか?」
部屋の中の問答を聞いて躊躇ったのか、恐る恐るメイドが窺ってくる。
「ああ、いいっつってんだろ。ちゃっちゃと頼むわ」
「わ!待って待って……」
もたもたしていた此方が悪いのだろうが。
当然、そんな事は意に介さずルークが指示を出したので、慌てて残りのデザートを掻き込む。
出来ればもう少し味わって食べたかった、と、口一杯にフルーツババロアの芳醇な味を惜しみつつ、堪能した。
「む……?」
が、ふと向けられている痛々しいものを見るような視線に気付いて、ビクリと心臓に冷や汗を掻くような心地を覚える。
「……うまいかよ」
「……む……むん。」
疲れてすらいるような表情で眉を顰めて訊ねてくるルークに、頬袋を膨らませたまま頷いた。
後悔の涙と一緒にババロアを飲み込んで、スプーンをカチリと置く。
もう、いい。何かもうこのままでもいい気がする、自分。おいしい物を食べられて生きていけるなら。
いやいや、そうだ。次から。この次から行動には気をつけよう絶対に。ダイエットは明日からだ。
「ごちそうさまでし、た……」
「そーかよ。泣くほど美味くて良かったな」
ガイがベッドの向こう側で声無く爆笑しているのが、気配で分かった。
ルークがとどめの言葉をさしてくれるのと同時に、「失礼します」と、丁寧な所作で入って来たメイドが一礼する。
顔を上げた彼女は、テーブルの上の様子を見て瞳を僅かに見開いた。
「まあ、今日の朝食はお口に合いました?全部召し上がって頂けるなんて……」
まるで凄い奇跡でも目の当たりにしているかのようなその表情が不思議で眉を顰めると、慌てた声が続きを遮る。
「う、うるせえな!余計な事言ってねーで、とっとと下げろよ!」
メイドは、はたと口に手を当てた後、蒼白になって頭を下げた。心からの驚きがつい口から出てしまったという風情である。
数回しか共にした事はないが、こんな反応を返されるなんて、日頃のルークの食事振りって一体。
「も、申し訳御座いませんでした。すぐ、お下げ致しますね。それと……」
いつもは余計な言動も要らぬ世話もしない聡明な公爵家の使用人にしては、珍しく絡むな、と思い眺めていると、
チラとこちらに視線が向けられる。
(……あ、まだ警戒されてるのかな)
しかしそれはほんの一瞬の間で、直ぐにまた不機嫌そうなルークの方へ向かって言葉が続けられた。
「……旦那様が、お呼びでいらっしゃいますわ」
静かに告げる声に、チッ、と、さも忌々しそうに舌打ちが返された。
父親である公爵からの呼び出しは珍しくないのだろう。
また小言を喰らうのか、と予測したルークは顰めっ面を隠さない。
それでも、いくら彼でも逆らえないのは当然で、「わぁったよ」と、おざなりに了承の意を示した。
すると。
「失礼します。では、お連れ致します」
応えたのは、傍らのメイドではなかった。
低い声が部屋の入り口の方から響いて、具足の音と一緒に鎧を着た男が此方へ近付いて来る。
一体何だ、と驚いているのは自分の他にルークも一緒で、更に言うと物影のガイもだ。
そしてその風体にはどこか見覚えがある、と、心の中に僅かな取っ掛かりを感じた。
(確か、町で見かけた……?)
先日、城下へと逃れた際に、屋敷の中の白光騎士団に代わって自分を追い回した兵士達と同じ鎧。
バチカルの警護に当たっていた――ならば、国の兵士?
「おいおい、何だよ。城からも人が来てんのか?説教にしちゃ、大ゲサじゃねーの?」
屋敷の中で見るどこか気品のある騎士達とは違う、武骨な荒々しさを微かに感じたのか、虚勢を張るかのようにルークが
減らず口を叩く。男は屋内なのもあって当然兜を取ってはいたが、訓練されているのだろう、横柄なルークの言葉にも
表情は動かなかった。……もしかしてこの屋敷の使用人達同様、城の人もルークの態度に慣れているのだろうか。
となれば、ますます室内の気配を読む事なんかはお手のものだろう。更にメイドが片付けの為に動き回っている。
今にもガイが隠れているのがバレやしないかとハラハラした。
「それに、迎えなんか寄越さなくたって別に俺一人で……」
「真に失礼ながら、ルーク様。元帥がお呼びなのは、ルーク様ではありません」
硬質な兵士の声に、ルークは端整な顔を疑問も含めて顰める。
元帥――軍属としての父親はそう呼ばれている、と、ルークは思い起こす。
上げた功績は数知れず、戦いにおいて華々しい活躍をしているファブレ公爵を皆讃えたが、それと比べられる
事につけてもルークはあまりいい気がしていなかった。
「あ?……じゃあ、何だってんだよ。父上は誰に用があるって?」
イライラと不機嫌に唇を尖らせて問う。
こう来ると、もしや本当に不法侵入をしている事がバレてやしないかと、も肝を冷やしながらガイの方を窺う。
流石の彼もベッドの陰で厳しい表情を浮かべ、息を殺していた。
「お連れ申し上げたいのは」
カシャ、と甲冑の触れ合う音が近付いたので振り向くと、眼前に鈍い色の鎧がそびえている。
あれ?と、汗が滲んだ。
「殿です」
「え?……わた、し?」
マジですか。
あんまりにも唐突な展開だ。
言われた事が理解出来なくて、加えて迫るようなフルアーマーの威圧感に圧されて、腰が抜けた。
ガイの方を気にしすぎていてキンキンに冷えた肝も、抜かれた。
(何故に……ってやっぱり、死刑です……とか?)
ご子息のルークを差し置いて親と対面なんて非常に遠慮願いたい所だが、呼ばれる理由がそれならおかしくない。
そう考えると、一気に全身の血の気が引いていき、冷たい汗が握る掌に滲んでくる。
それを、兵士の手がとった。
「ちょっと待てよ!を殺さないって、父上は言ったんだぞ!」
はっとしたルークが同じ事を察して声を上げたが、いたってあっさりした態度で兵士は首を振って答えた。
「そのような事はありません。単なる検査だと、窺っておりますから」
「検査って……いや、あの……ちょっ」
半ば強引に手が引かれたが、無意識に抵抗していたせいか、情けなくも引っ張ろうとした本人が前へつんのめる。
何だかシュールな光景に複雑な気持ちが湧いたが、抵抗の意を見せてしまったのもあり、慌てた。
「うわっ、すみません!……でも私、こんな格好だし、公爵様に失礼じゃないかと……」
確かに偉い人と会うのに、昨夜から着ている寝巻きでは具合が悪いんではなかろうか(貸してくれたペールには悪いが)。
とはいえ着替えもないし、ただの言い訳というのが大きい。
「……っ、いらぬ心配です。さあ」
ここへきてやっと、表情に苛立ったような感情の揺らぎを見せた兵士が、再び手を引く。
今度は此方の膂力を考慮した…というより、込められる力に容赦が無くなり、彼の指を覆う装甲が生身の皮膚を挟んだ。
「いたた……っ」
不可抗力だろう。斬られたわけではないが流石に痛い、と顔を顰め、堪らず兵士の催促に従って立ち上がる。
「おいっ、乱暴にすんなよ!俺のペットなんだぞ!」
そこへ、見かねたルークが横から怒鳴りつけてきた。
兵士はムッツリとしていて恐かったが、彼がそんな風に言ってくれるとは思ってもみなくて、並ならぬ感激を覚える。
でもこんな時まであくまでペットってのは一体、というのは、気にしない事にしよう。
「ル、ルーク。……あの、ありが」
「……失礼しました。では、殿、此方へ。さほどお時間は頂きませんので」
お礼を言おうとするのもそこそこに、居住まいを正した兵士に歩みを促がされる。
ルークの言及の御蔭か、腕を引かれる力は強いが痛みを伴う程ではない。
殺されない、時間もそうかからないと言う事で胸を撫で下ろしてみたものの、公爵とは最初の時以来の対面だ。
屋敷の人間の安全のためとはいえ、一度は自分を排除しようとした人の前に出て行くのは気分のいい事じゃない。
ペールやガイ、カルミアにルークといった、安心出来る居場所を得た今じゃ、そこから一人引き離されるのが少し恐かった。
食器の片付けを終え、同時に退出してきたメイドがルークの部屋の扉を閉めるのを、名残惜しく見ながら兵士に続く。
口調は自分に対しても丁寧であったが、何だか連行されているような気分だ。
連れて行かれる先の応接室は中庭を介する事になるので、それだけを心の癒しに進むしかなかった。

「……まぁ!それは、本当ですの!?」

暖かい日差しに小鳥が囀るのよりも遠く、けれど凛とした声が向こうの棟の入り口付近から聞こえてくる。
何とはなしに目を向けると、若く麗しい娘達が輪を作っていた。
きっと年の近いもの同士楽しくお喋りをしているんだろうな、と羨ましく眺めていたが
それも歩を進めるうちにやがて遠くなり、俯きがちに前を向いて無機質な鎧の背中を追った。
そういえば、と、先程の光景を思い出す。
(一人、ドレスを着てた女の子がいたような……綺麗だったなぁ…)
ここのメイド服も充分可愛いデザインなのだが、それに囲まれて一人、更に華やかな存在があった。
屋敷の中でドレスを着ている人といえばルークの母君のシュザンヌしか見た事が無かったが、他にも居たんだろうか。

太陽のような金糸の髪、後姿だったけれど、姿勢の綺麗な少女だったように思う。
まるで童話に出てくるお姫様みたいだったな、と、気まずくも退屈な道すがら、はそんな事をボンヤリ考えた。


姫さんギリギリ登場。

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