「『死んでもいい』って、言ったわ」 ガイも、ルークも思わず息を呑む。 生きる価値を、 「牢屋で話した時……自分には誰も、何もない、もういいんだって………あの人、言ったわ」 ――それでも今を生きる価値を、意志を、その口から聞けたら納得出来たかもしれない。 ただの醜く生に縋り付く愚か者だったならば、迷いも無く殺すことが出来ただろう。 何かの為に強く生きる意志があると言ったならば、この恨みや憎しみを背負わせる事が出来ただろう。なのに。 苦しいのには、疲れた。 結局自分は、生まれた意味のない人間だから、と。 『……そうね。でも、もう、誰もいないから』 あんまりにも愚かで馬鹿げている答え。 思い出せば思い出すほどに腹が立って、悔しくて、悲しい気持ちになる。 「こっちがナイフ振り上げてるのに、感謝してるみたいに笑うのよ……変でしょう?おかしいじゃない」 そんな事を言う人なんか殺せるはずがないわ、と、嗤いながらも怒りに歯噛みするカルミアは、酷く複雑な感情を 噛み締めているようだった。それは、彼女だけではなかったし、それ以上に此方には混乱も加わっている。 「そん……、」 言葉にもならなかったその掠れた声は、自分の口からでたのか、ガイが呟いたのかも分からない。 以降、元々話を聞くのに半不参加だった自分の立ち位置の事もあって、ガイが何かの反応を起こしてくれる事に場を頼んだ。 重苦しい空気に、助けを求めるように前に立つ彼の背に視線をやるも、その頭は重そうに無言で下方に傾いている。 流石にガイも考える事があるのか、中々動けないでいるようだ。 「……………」 握った手の中に、嵌めたグローブの感触を確かめながら、落ち着いてカルミアの言った事を心の中で反芻する。 何故か、何処かで裏切られたような気分を覚えていた。 あんな奴要らないし居なくなればいい、関係ないと突き放して考ていた割には、 が「誰もいない」と口にしたという事に腹が立った。だったら、 (……だったら、俺は――……) そう考えそうになって首を振る。違う、そうじゃなくて。 (あいつ……ペールやガイと仲良くしてたじゃねえか) 自分の許可を得ず、勝手に人の居場所を浸蝕しておいた上で、何て発言をするんだ。 そう思い至って前方の幼馴染に目を遣ると、彼もちょうど顔を上げたところだった。 「……もしかしたら」 やがて発せられた声は、いつも落ち着いて自信のある口ぶりをするガイにしては珍しく、戸惑いを含んでいる。 「……ガイ…?」 「俺のせいかもしれない。あの日の前の夜、俺……結構キツイ事、に言っちまったんだ」 名前を呼ぶと、こちらにも僅かに顔を振り向かせながら言う。 苦虫を噛み潰したような表情に、焦燥の色が若干混じっているのがいつにない。 それよりも珍しいのは、狙ってもいないのに自然と女性には甘い言葉を掛けてしまうガイが、 曲がりなりにも性別は女であるに厳しく当たったという事だ。 いや、それどころか、ガイが他人に攻撃的だった事なんて記憶にあっただろうか。 「ついムキになって……追い詰めちまった自覚もある。だから、ここから逃げ出して……」 「違うわ」 少なからず動揺している所為か、いつもより結論を急ごうとしたガイの言葉が、ピシャリと阻止される。 もう充分驚かされたのに、この上まだ隠し札があるのか、と、慄きさえ覚えながらカルミアの顔を窺った。 そこには既に複雑な表情が無い代わりに、無表情だが気の強そうな双眸がある。 「もう諦めてたんだから、逃げる必要もないでしょう。あの人は、取り戻しに行っただけ。……そう言ってたもの」 「取り戻しに……って、何を……?」 そう聞いたガイを通り越して、少女の目は真直ぐと射抜くように此方を見据える。 ひどく物言いたげなその視線が、とても居心地悪いように感じた。 どうしてこっちを見るんだよ、と、嫌な汗が滲む。思わず顔を背けて、気付かぬふりを決め込んだ。 その様子に、彼女は大きな溜息を吐く。 「ルーク様、覚えてますか?あなたが捨てた懐中時計」 名指しで言われて、慌てて『懐中時計』とやらが自分の記憶の中に無いものか捜してみた。 そういえば、があれを持っていたのを思い出す。 それがが命懸けで脱走してまで取り戻したかった物だと言うのか。理解できなかった。 「な、何だよ。元々汚なかったんだし、だいたい、もう壊れちまったんだから、ゴミじゃねーか。そんなモンのために……」 「あれは、……あの人の両親の形見だったそうです」 あまりに淡々としていて、言葉の重さや意味が、いまいち解らなかった。 「……え?」 この7年で沢山の言葉の意味を、取りこぼしてしまいそうな程、教わった。 人と会話する中で、覚えた物もある。やっと日常会話に不自由しなくなった自分の語録にある『形見』とは。 「あいつ………親、いないのか?」 形見とは確か、死に別れた者が、生き残った人間に遺していく物だ、と理解している。 それで間違いないなら、じゃあ、には親がいないという事だ。 と言っても、両親共に健在な自分には、それがどういった感覚なのかはいまいち解らなかったが。 「そうか……誰もいないって……ああ、確かには、そう言ってたな」 以前にも聞いたことがあるのだろうか。ガイは自らの言葉と記憶を思い出して、確かめるように頷く。 カルミアが復讐を完遂出来なくても、「死ぬこと」は結局はに迫っていた。 どんな中傷を受けようとも、蔑まれた目を向けられようとも、それに抗う度胸も無くて、諦めた笑いを浮かべて。 意地も矜持も持てない、そんな生き損ないが、最後の最後で諦めがつかなかくて飛び出した最大の動機は。 逃げたかったからではなかったのだ。助かりたかったからではなかったのだ。 他人にとっては何の価値もない、壊れてしまっても大事なもの。 (……あ) 思い出した。 すっかり忘れていた。 たどり着いた記憶に、俯いていた顔が僅かに跳ね上がる。 (そういや、あの時計――……) あの古ぼけた懐中時計、どこかが歪み始めたのはあの朝、“そこ”からだった事。 「さわらないで」と払ったあの手は、自分を拒んだのではなく、ただ守ろうとしていたんだという事。 あの日、ガイやペールと話した時に感じた、言い知れぬ罪悪感の正体。 「大嫌い」と、が自分に言った理由。 でも、知らなかった。 何も知らなかったのだから、しょうがないじゃないか。 歯噛みし、感じる正体不明の感情に顔を顰める。何だろう、もやもやする。"悔しい"という感情にどこか似ている。 無性に、に対して今までとは異なる種類の苛立ちを感じて、舌を打った。 「そん、なん………知るかよ」 「……なんですって?」 正直な気持ちを呟いた自分へ、カルミアが信じられないとでも言いたげな眼差しを向けてくる。 ああ、そうとも、後から色々言われたって、そんなもの知るか。どうにも出来ないじゃないか。 大切な物なら大切なんだと、言っておけばいいんだ。そしたら自分も捨てたりなんかしなかった。 非が無いのなら、どうして大人しく牢屋に入ってるんだ。ちゃんとそれを言えば、釈放の命令だって、自分が出してやったのに。 こちらの生活の中にいきなり入り込んできたくせに、「誰もいない」とどの口が言うか。 親がいないとか、ダチがいないとか、だからそういう事をちゃんと言っときゃいいんだ。 (そしたら、俺だって……) と、考えようとした所でムッと眉間に皺が寄る。まあこっちだって、もうちょっと対応を考えてやらない事もない。 自分にも悪い所があると皆は言うけれど、今はそれよりも腹が立ってしょうがなかった。 色々と酷い目にあったというのはまあ、認めてやろう。でもそれが何で、死んでもいい、になるんだ。 だって、おかしいじゃないか。何を勘違いしいるのか。 「お前。カルミア……だったか何だったか知んねーけどよ、どういうつもりかって、聞いたな」 「なっ、……カ、カルミアでいいのよっ!いい加減覚えて下さいません!?」 此方を睨みつけて来る彼女の気迫に負けないくらい、尊大な態度で腕を組み、上から見下ろすような視線を返してやる。 吠え立てるカルミアから視線を外して此方を振り返るガイの顔には、複雑な表情が湛えられている。 カルミアの反応が普通なように、聞こえだけなら非難されるべき言葉を吐いたこちらが心配でもあるのだろう。 何を言うのか、ハラハラと計りかねている顔だった。 耳を拡げて自分の言葉を待っている彼の様子に、後から「空耳だそれは」、なんて言えないのが、ばつの悪い所だ。 意地を張っていた手前、言い出しにくいにも程がある。喉の奥に蓋が出来そうな感覚を、気力で突破した。 「どうもこうもあるかっつーの。俺は"飼い主様"だろ、あいつの。だから勝手に死なせなんかするかよ」 しかと、大胆不敵に言ってのけてやる。 「……何よ、それ」 「……ルーク、お前」 呆れたようなカルミアの声と、ガイの驚いた、少し嬉しげな声が重なる。 自分を良く知る幼馴染兼使用人の顔に、じわじわと苦笑が募っていくのがむず痒い。 慌てて、ふん、とルークは腕を組む手に力を込め、憮然とふんぞり返った。 全部、後から知ったのだ。それでここでどうしようとも、本人が居なければ意味がない。 の口から聞いた言葉ならともかく、こんな所で反省してやるもんか、という反抗心が込み上げる。 だって、の「死にたい」なんて言葉が本当は嘘なのを、自分は知ってる。 自分だけは、知ってる。最後に相対した時、とても脅えていたから。 自分は悪くない。全ては何も言わなかった――言ってくれなかったの方が悪いんだ。 「まったく……あなたね、人の事を一体何だと…」 方向性はともかく、飼い主宣言に対してか、カルミアが非難めいた眼差しを向けてくる。 それを物ともせず、ずい とそこから前へ出てガイの横に居並んだ。 もう色々と考えるのが面倒になった。 誰がどういうつもりだったのだとか、何をどう悩んでいたのだとか、ここは悪った、あそこは悪くない、そんなの色々。 ただ、自分が飼い主であのヘボ人間がペットだという事。その事実だけ、何も変わらないのだけは確かなんだ。 「いーから、知ってんならとっとと教えろよ。地味ゴリラ、どこ行ったんだ」 連れ戻しゃいい。何が何でも。 ――それからなんだ。何もかも。 ルエベウスという名前が出た途端、ガイの表情が変わった。 何か思い当たる節があったのか、関連した情報を手に入れていたのか、その顔から些か余裕が消えた。 それでも一瞬目を伏せて考え込んだ後、まさか、というような面持ちでカルミアの言葉に首を振る。 「……そりゃないだろ。あそこは一度炉が閉じたら、中の物を処理し尽くすまでは、開かないんだぞ?」 それも数日間、という言葉を、呟いた彼自身が、重く感じていた。 閉じれば数日間、例え騎士や兵士達だけでなく、バチカル全民衆が一斉にを探そうとしたって見つからない筈だ。 「私だって知らないわよ、本当はどこに行ったのかなんて。……でも、あの人はそこへ行くと言っていたわ」 思わぬ形でガイに責められたカルミアは、目を吊り上げながら真実でしかない言葉を言い返す。 けれどそれは。 「じゃあ……」 前に、嬉々としてに語った内容を、ガイは思い出していた。 炉の中に設置された幾つもの音素増幅装置が干渉し合い、無数の第五音素の粒子を生み出す。 余すところなく降り積もるそれからは逃れる事叶わず、中の廃棄物は塵一つ残さず分解され、大気に放出される。 無機物だろうが有機物だろうが。生きていようが、死んでいようが。 閉じ込められれば、それで終わりだ。 「いや、そうだとしても、まさか中にいるなんて事は……きっと外に」 だったら、署員や監視システムに見つかっているはずだ。 きり、と、無意識に歯を唇の内側に突き立てる。僅かに鉄の味。 そこにがいるというのなら、もう既に死んでいるという事だ。 もはや、最悪の事態しか考えられない。 (……何言ってんだ……?) 肩を落として俯くガイを、ルークは不思議そうに眺め見た。 ガイだけでなく、復讐をしようとしていたカルミアまでもが言葉を濁して消沈しているのを、 変なものでも見るような面持ちで窺う。心の底から、二人が落胆しているのが不思議だった。 「ルエベウスって言うのか? いいからガイ、とっとと連れ戻して来いよ。俺はとーぜん出して貰えねーし」 そうせがむと、ひどく困ったような顔をしたガイが、言い難そうに此方を向いた。 「ルーク……その、な。は多分、もういないんだ。……きっと、身体も残ってない」 その言葉に、思わずカルミアが息を詰らせたように苦い顔で横を向くのが見えた。 けれどもルークは、もう一度考えた。「何を馬鹿な事を言ってるんだろう」と、二人の様子に呆れた。だって、 「あいつ、まだ生きてるぜ」 解りきった事が、勝手に口から滑り出る。 「………え…?」 けれどもガイに、ついでにカルミアに、これ以上無く訝しげな顔をされて、やっと自分の異常に気付いた。 一体ぜんたい、どうしてそんな事が解るんだろう。 慌てて自問したり、感覚を確かめ直してみたり、その根拠を必死で考えるが、一向に掴めない。 けれども、解る。どうやったって感覚的に解る。解りたくもないと言っても、どういう訳か解ってしまう。 気付かないまでに自分の中に浸透していた感覚を、力の限り嘆いて頭を抱えた。 (あ、あれ?……何なんだコレ……!?) 意識していなければ、それは聞こえない。 けれども望めば、確かめられる。“聞く”というよりも“感じる”に近い。 理由なんて聞かれても、具体的には説明出来ない、『誓約の痛み』を使う時と一緒だ。 「お、おい、ルーク……何でそんな事が解るんだ?」 しれっと言っておいて以降自身に激しいツッコミを入れるかのごとく頭を抱え込んでいるルークに、恐る恐るガイが声を掛ける。 うんざりとした面持ちで、持病なんか一つで充分だっつーの、とか何とかブツブツ言いながら、ルークが顔を上げた。 「知らねーよ……でも、聞こえんだ」 「……聞こえる……って?」 今は若干速い。だから、自分のものではないと、すぐに解った。 それは、鼓動だ。誰かの――の、鼓動に違いなかった。 「……あいつ、きっと、生きてるからさ。だから――」 はぁっ、と、肺に溜まった淀んだ空気を、は一気に吐き出した。 とはいえ、新たに吸い込んだ空気の衛生も、密閉されたこの中では良いとは言えないが。 とにかく、細い息では駄目なんだと、必死で呼吸をした。 抗いたい。生きて、幸せになりたい。 この気持ち、"あの時"と一緒だ。 心の痛みと共に身体中の怪我をした箇所に、感覚が戻ってくる。身じろぎだけで走る肩の激痛に、喘いだ。 許せない、復讐してやる、という強い感情――仮初でも生きる理由として、もっとも強く、もっとも愚かにして、もっとも勇壮。 否定されようが、冷笑されようが、蔑まれようが、感じた憎しみを一体何処に消せるものか。 ただ、"あの時"と違うのはその対象だ。特定の、誰かに対してではない。 こんな運命に対する怒り。 そんなに私が嫌いなら、生きて、意地でも幸せになって、何が何でも今よりマシな状況で笑って死んでやる。 決意した途端に、何も感じなくなっていた身体の全ての状態がガラリと変わった。 (熱っ……い……だるい…) 麻痺していたから解らなかったが、熱があるのだろう。寒くて、熱い。ぶわ、と汗が滲み出た。 包帯の巻かれた足が引き攣る。肩を中心として身体中が痛いと感じる。 よしよし、いいぞ――と、口の端が持ち上がる。こうして苦しいのは、持ち直した証拠だろう。 妙に心臓の脈動が強くて、速い。 耳に、ひどく響く程だ。 どくどくと、生きている音がする。 (大丈夫………大丈夫、大丈夫) 目を閉じて、何度も魔法の言葉を繰り返し唱える。 存在を確かめるように、自分の中に響く音に耳を傾ける。 けれど。 (――……あれ?) ふ、と微かに感じた。ゆるい風が、肌に触れて通り過ぎていくような感覚。 自分以外の存在。緩やかな、鼓動。それは一体、誰だったのか。 |
やっと、プラス方向になってきた感じです
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