光と影の胎動





雨の中にが消えた、あの日の翌日。
ルークが久しぶりに元の自分の部屋で目を覚ました時には、例の如く太陽は天高く昇っていた。
よって、応接室で大事な会議中だとの事で、父には会えなかった。
一日が終わるまでには会う事も叶うだろうと踏んでいたのだが、その後、父は登城してしまい、そのまま城で二泊する事に
なってしまったのである。おかげで、もう3日目。
出来るだけ早く掛け合いたいと思っていたのに、数字にすると随分日が経ってしまったものだ。
その間、が見つからなかったのは幸いだったと言うべきか。
別に心配なんかしてないけど、と言い訳のような思考を何度も反芻しながら、ファブレ公爵の執務室の扉をノックした。




しかし。
「……っんだよ、それ!」
あまり仲がいいとは言えないが、父子で落ち着いて話をしてやろう という、自分にしては珍しく殊勝な心掛けも無意味だった。
相手のその相変わらない態度に、あまり我慢のきかない心は脆くも決壊し、感情が剥き出しになる。
言葉遣いもすっかり崩れ去り、歯を出すルークと執務机を挟んで向かい合った公爵は、溜息を吐きつつ組んだ手に顎をのせる。
その両脇には大量の要処理な書類が山と積み上げられており、彼の疲労した様子に追い討ちを掛けていたが、
そんな事はこちらの知る所ではない。
お前の我儘に付き合うのは沢山だ、と明ら様に言いたげな様子を見せ付けられては、腹も立つというものだ。
「何で、殺そうとなんてしたんだって、聞いてるだけだろ!」
頭に血が昇って熱くなる語気に対しても、公爵は一向に動じる様子がない。
まるで相手にしようとしていなかった。「だから、」と、冷たく溜息のような返事が、億劫に返ってくる。
「お前に言ったところで、理解出来ない事だと言っているのだ」
そんな風に言われたら、余計に引き下がれないし怒りを煽るのだと、この父もいい加減理解しないものか。
「なんだと!」
その態度が、一番許せないんだ。
自分をないがしろにして。勝手に諦めて、無理だと決め付けて。相手にしてくれない、認めようとしてくれない。
俺だって!と、悔しい気持ちを握りこんだ拳に溜めた。
「ふざけんな!責任とれって言ったの、親父だろ!?説明ぐらい、ちゃんとしろよ!」
ダン!と、叩きつけられる拳を見ても、依然として父の温度の低い眼差しは変わらず、此方を冷ややかに仰ぐ。
「ルーク、慎みなさい。その振る舞い――貴族として恥ずかしいものだと解らないか」
「……っ! ……話を逸らさないで下さい、父上っ!」
尤もらしい事を言いながらも、彼は話題を摩り替えようとしている。ほら、いつも通りのパターンだ。
指されればぐうの音も出ないような事を持ち出し、こちらの意見を捻じ曲げて言い伏せるのが、常だった。
しかし、今回ばかりはその手に乗ってやるもんか、と、ルークは父親を睨みつける。
振る舞いが気に入らないというのなら、口調も正してみせてやろうじゃないか。
その頑とした様子にとうとう観念したのか、ややあって公爵は深い溜息を一つ吐いてみせた。
「……では、」
と、自分と同じ翠の瞳が、試すような色を乗せて鋭くこちらを向いたので、ルークは少しだけ居竦む。
「お前は、預言<スコア>というのがどういったものなのか、心得ているのだろうな?」
「……へ?」
また関係のない題目で話を逸らそうとしている――と、いう訳でもなさそうだ。いくらなんでも芸が無さ過ぎる。
もしかしたら、自分が問いただしている事の答えに関係しているのかもしれない。
そう考えて、一生懸命に記憶の中を探る――と言っても、自分の持っている知識なんて殆ど無いと言ってもよくて。
「な、何なんだよ、いきなり……。ス、預言って、アレだろ。えーと……天気がどーだとか、今年はどうなるとか、
 誕生日とかに詠んでもらう、占いみたいなやつ」
それを聞いて、ファブレ公爵は「やはり駄目だな」とでも言いたげに、先ほどよりも更に深い溜息を吐いた。
期待された答えを出せなかった事に焦る反面、だからそれが何だとムッとする。
「その起源はどこにあるか、誰によってもたらされたものか。そして、どういう意味を持つものなのか。
 ……家庭教師に習わさせたはずだが」
今度こそ、「うっ」とルークは苦い思いで言葉を詰らせた。
確かにそういった事も教わる事には教わった……はずだ。生憎と、その部分の記憶は全く無いので、言い返せない。
記憶喪失なんだから仕方ないじゃないかと反論したいものだが、説明しろとせがんだ手前、それじゃ格好がつかない。
第一、20歳になるまでは毎日代わり映えのしない絶対安泰の屋敷暮らしなんだから、そんなもの関係ないと思っていた。
ごちゃごちゃ言われて、覚えるのも面倒だったし。
「だから、お前には理解出来ない事だと言ったのだ。……話はそれだけなら、下がりなさい。私は忙しい」
「な、ま、待てよ!勝手に決めんな!話はまだ終わってないっつーの!」
これ以上の問答は無意味だ、と、此方から視線を外して書類の人束を手に取った公爵に、負けじと食いつく。
だがもうそろそろ、父親の関心を得る事が出来るのも限界のようだった。
この上なく渋い顔をして、ついでのように此方を見る父親の様子に、この投問が最後だと悟る。
「……何だ」
「あーっ……と、その」
なんとも言い難いばかりに最後になってしまったが、そもそも今回父親に掛け合った本題は、これに他ならなかった。
少なくとも、このままではいけないんじゃないかと、思っていた。どうなろうと自分には関係ない、そう言い聞かせつつも。
「め、命令、出したまんまなんだろ。それ……もういいんじゃねーか?」
自分でも要領を得ない言い回しになってしまった事を自覚して、心内で舌打ちをした。ああ、どう言えば体裁がいいのか。
どうでもいいと、思っている。けれども、どうでもよくないとも思っている。どちらも、確かだ。
「……どういう事だ?」
やっぱり伝わらなかった。ただでさえ、相手はもう此方を意識から外しかけているのに、何て歯がゆいのだろう。
ああもう仕方ない、と、観念して息を吸う。
「父上が出した、を殺せという命令!それをやめさせ……えっと、取り下げてください!」
勝手に逃げたんだし、好きにさせときゃいーじゃねーか、という言い訳を心の中で付け足す。
これが、自分に出来る事の限界だった。
言い放った途端、何だかどっと疲れた分、背負っていた重い荷物が少しだけ軽くなったような感覚を覚えた。
しかしこちらの決死の訴えに対して、ファブレ公爵は眉一つ動かさず、事も無げに答える。
「召喚獣の事か。確かに、早計だったと言えるだろう。だが、そういった心配は必要ない」
誰が心配なんて!と、素直に反応しそうになったが、それよりもあれだけの事態にまで発展したのに、この態度。
それに心配がないとは、一体どういう事だ。掴みあぐねて首を傾げる。
「“あれ”は殺さず、回収する。……そう、決まった。解ったならもう下がりなさい」
「な……」
何なんだ、それは。その変わり身の早さは。そして、まるで、物みたいな言い草は。
追求したい事が前にも増して押し寄せてきたのに、そう言い捨てた後、ピシャリと戸を閉めてしまったように仕事に没頭する
父親は、何も答えてくれそうに無かった。
しばし呆然としたが、変わらず気に食わない態度を取り続ける父親に奥歯を噛み締めて一睨みくれてやった後、踵を返す。
もう、いい。とにかく自分の目的は解決したのだ。こんな所に長居は無用だ。
退室の礼も欠き、無言で部屋を出て、乱暴に扉を閉めてやる事くらいしか、ルークに反抗方法は無かった。






(どーいう事だよ……)
父の言った事。「そう決まった」という事は、城の人間達とのここまでの長い話し合いの結果、そうなったという事だろうか。
何なんだ、一体。
なんてことはない、事故で突然迷い込んできた、単なる異世界の厄介者――それだけなんじゃ、なかったのか。
戦争だの何だの、とにかく面倒な事が片付いたら、還す事の出来る本を探して、自分が戻して、
そしたら全部解決して……それで終わりなんじゃ、ないのか。
分厚い父の執務室の扉を背に、しばしぼんやりと考え込む。
と、彷徨わせた数歩先の廊下の床に、見覚えのあるブーツのつま先を見つけた。
心当たりは付けながらも、視線を足元から上へと移動させると、ニヤニヤと笑顔を浮かべる幼馴染が目に入る。
「…………何してんの、ガイ…」
嫌な予感と呆れの感情を強く抱いて、限りなく低い声で問うてみるが、彼の笑みは輝くばかりであった。
「いーんや。ペールに聞いたら、お前が旦那様のトコ行ったって教えられたからさ。非常に珍しいと思って」
若いくせに、顎をさすりながら頷く仕草が、とてつもなくオヤジ臭い。
何がそんなに楽しいのか、こちらのテンションとは裏腹な程の笑みを浮かべるガイを、気味の悪い心持ちで見遣る。
「あ、そ……。別に、大した事はしてねーけど?」
少なくとも聞いてて楽しい事を話していたわけでもないし、父と仲良くした所でガイが喜ぶ事じゃない。
片眉を顰めて訝しんでみせたが、いかにも大儀そうに、ガイは首と一緒に顔の前で右手を振る。
「いやいやいや……たかが奉公人の言い分を、ルーク坊ちゃまから公爵様に進言して頂けるなんて光栄の至りです」
「おま……っ」
聞いてやがったな!と、目を剥くと同時に、かっ と頬に熱が上る。
彼の慇懃な言い回しからすると、恐らく自分と父の会話を扉越しに聞いていたに違いなかった。
何というか、自分ときたら醜態だらけだったし、何よりガイの言葉。
奉公人の言い分とはつまり、以前「を殺さないよう公爵に言ってくれ」と提言をしてきた事に違いない。
「へ、変な事言うな!俺は自分のために言ったんだからな!とっとと解決してくんねえと、ヴァン師匠が来られないだろ!」
そう。そうなんだ。一番の理由はそれ――と、いうか、それ以外にないじゃないか。
断じてガイが思っていそうな事は何もない。いやそうじゃなくて、ガイは一体何を考えているんだ。
「よくあんなにハッキリと言えたなー。何だかんだ意地張ってたお前が旦那様に……頑張ったな、ルーク!」
わざとらしく、グッと親指を立てながら言ってくる。
「だーッ、やめれッ!!そんなんじゃねーっつってんだろが!!……んなことより!お前今までどこ行ってたんだよっ!」
嬉しくない。そんな褒め方されても、断じて全く嬉しくない。
とにかく話題を逸らせたい一心で腕を振り回しつつ喧々と吠えると、やっとからかい過ぎた事を反省したのか、
その笑みがいつも通りの苦笑に変わる。
「はは……まぁ、ちと使いを頼まれてな。これでも中々忙しいんだ。
 ……あ、そういえばルーク。お前またメシ残したんだって?料理長が嘆いてたって聞いたぞ」
「はん!マズいもんはマズいんだから、しゃーねーだろ!」
思惑通りに話が逸れたはいいものの、ガイからも説教を受ける事になるのは御免だ。腕を組んでそっぽを向いてやったが
ガイはそれを見て咎めるでもなく、何故か冷や汗を伝わらせる頬を指で掻きながら、口の端を引き攣らせた。
「あー……何と言うか……後々自分のために良くない事になるぞ多分……健康云々でなく、別の意味で……」
頬を掻く手とは反対の手袋に付いた緑色の汚れを、隠すようにズボンに擦り付けながら明後日を見る彼を、訝しく窺う。
一体何の事だと首を傾げてみたものの、いやいや気にするな、と、手を前に振る仕草に追求を阻まれた。
「ま、それは置いといて、だ。使いのついでに色々と聞いて回ってたんだよ。………の事、な」
直接その名前が耳に入ると、否応なしに複雑な心地が滲み出してきて、顔の筋肉が固くなる。
「……そーかよ。無理に捜す事はねーと思うぜ?ここが嫌だったから、出て行ったんだろうし……
 あいつ、殺されないって親父も言ってたしな」
聞き耳を立てていたガイなら知っているだろうが。父の言う事だと、は一応行方を追われているものの、見つかっても
殺される事はないのだ。なら、もう自分達の手からこの一件は遠のいた事だと言っていいだろう。
自分の意思で出て行った者を、無理矢理連れ戻す必要はないじゃないか。
「ああ……まあ、お偉いさん方の意向はともかくだ。お前、忘れちまったのか?」
何がだ、と、片眉を顰めてガイを見返す。
「が、ここが嫌で逃げたんだとしても、望む場所へは行けないって事をだ。……誓約ってやつが有る限り、な」
ああ、そういえばそんなややこしい決まり事もあったな、と脳裏に微かな記憶が甦る。
そんな見えもしない力が本当に働いてるのなんて、「誓約の痛み」くらいでしか存在を知る事がなかった。
それだって、結局自分の言う事は聞かないし、思い通りにならないし。果たしてちゃんと稼動してるのかどうか。
今日もポケットに入っている召喚石へ、ズボンの布ごしに胡散臭い思いを孕んませた視線を送る。
「適用範囲はどれくらいなのか解らないが、そんなに広くはない筈だ。バチカルの外にまでは……行けないんじゃないかな」
「ふーん……そういうモンかね」
行動範囲の主軸となるルークが移動すれば解決する事なのだろうが、軟禁されている以上はそれも無理だ。
首に紐を付けた状態で街の中を逃げ回っている、という事に違いない。情けなくも、哀れな話である。
「今、城下の人達は怪物騒ぎで気が立ってる。とてもじゃないけど、が匿って貰えるような状況じゃないし」
そもそも、その自身が今をときめく怪物本人であるし、何より怪しい格好をした女が出てきた所で
匿うよりは公的機関に通報するだろう、というガイの考えは、奇しくもルークと同じだった。
尤も、極端に引っ込み思案というか、人間不信気味のの性格を考えると、あまり知らぬ人に頼るようには思えない。
「潜むにしたって、もう3日。食事も満足に摂れないだろうし、怪我もしてる。そろそろ限界だろう……なのに、見つからない」
白光騎士団と、国の兵士、それにバチカルの民。約50万人の目があるにも関らず、だ。
公爵の話ぶりから、の事は上で決定した事だろうし、軍の兵士に見つかっても殺されないだろう。
たとえガイが見つけられなくても、通報されて捕まっても、その方がまだマシだ。
「限界だ」という厳しい言葉に、息が詰る。依然として、危険な状態に変わりないらしい。
それもこれも全部、自分の所為みたいに感じられて、やりきれなさに垂れ下げた両の拳に力を込めた。
自分が此処にいる事で、が動けない。それではそのまま野垂れ死んでしまうかもしれない。
どうしたって自分が関ってしまうという事に、気分が悪い。
「チッ……何だってんだよ、くそっ!なぁ、何とかならねーのか!?」
「だから、動けないお前に代わって聞き回ってたんだろ。つっても外では、大した情報は得られなかったけどな。
 あとは……屋敷の中、だな」
そう言って、溜息を吐くガイに聞き返す。
「屋敷ン中ぁ? 何で中に居る奴に、外に逃げた奴の事なんて解んだよ」
あまりの希望の薄さに肩を竦めてみせた。無理に決まっている。占い師や魔法使いじゃあるまいし。
それとも、先程父の言っていたように、預言士にでも何とかしてもらうとでも言うのだろうか。
そんな不信感を募らせるルークの質問に対して、ガイは答えるでもなく更に質問を被せてくる。
「まあそう悲観するもんじゃないさ。……なあ、カルミアって、今日会ったか?彼女、最近の事に随分関ってるらしくて」
「……はぁ?誰、それ」
自分的には、一転の曇りも含みもなく、心にそのまんま浮かんだ疑問を口にしただけなのだが。
にも関らず、言葉をぶった切られたガイは、ルークの目の前で微妙な顔で固まった。
「……………」
「……おい?」
ポカンと口を明けた間抜け面が、端整な顔には勿体無い。暫し時を止めるガイに、こちらとしては首を傾げるしかない。
何だ、一体。変な事を言っただろうか。むしろ変なのはガイだと思うんだが。
「“おい”……って!オイそりゃ、こっちの台詞だ! ここんとこ毎日、お前の部屋の世話をしてくれてるのは誰なんだよ!」
やがて、止めていた時の分まで勢いに入れて言い迫るガイに、気迫負けして後ずさる。慌てて記憶の中を掘り返してみた。
部屋の世話?と、いう事は、自分の部屋係のメイドの事か。どんな奴だったろう、金髪?いや赤毛だったか?
容姿はおろか名前なんて全く……と、思い出そうとしている自分を、ガイが酷く脱力した様子で見てくるが、仕方ないだろう。
覚えてないものは覚えていない。
「お前なあぁ………物覚えの悪さにも程があるぞ……」
「うっせ!しゃーねえだろ!同じ服着て、同じような事しか言わねーような奴らの事なんて覚えられっかよ!」
喚いてみたものの、女嫌いであっても全フェミニスト代表とも言えるガイに、その理屈が通じる筈もなかった。


同じ服装の美人ばかりだったら顔覚えるの難しそうです

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