雲のいずこか





「ほらよ、これがアンタんとこの料理長さんに頼まれてたモンだ。朝早くご苦労だったな、ガイ」
野菜や肉の沢山詰められた皮袋を肩に担ぐと、流石にずしりと感じる。
大きなバチカルの街で生鮮食品店を営む主人は、二カッと曇りなく笑いかけてきた。
こちらも負けずに、朝の新鮮な空気にも引けをとらない爽やかさの笑顔(※無自覚)で応える。
「ああ、いつも有難うな、おやっさん。料理長がこの店に拘ってるみたいで、世話になりっぱなしだな」
何回か使いに出されるうちに、いつしか馴染みになってしまったし、他の店より品揃えが良くて買い物しやすい。
「ハハッ、気にすんない!こっちも公爵家ご用達にして貰って、看板もデカくなるってもんだぜ」
何より店主の豪快な人柄に裏表がなく好感が持てた。
さずがに数ある食品店の中でも、一番の評判と賑わいを見せる店の主だけある。
今朝しめた鶏をさばく跡取り息子を横目に見遣る店主の前で、メモを出して忘れた物が無いかを確認する。
「……ところでな」
こちらから顔をそらしたままの店主から、不意の問い掛け。
「ん?」
代金はまとめて屋敷に請求されるので、自分の仕事は商品を受け取るだけだ。
いつものごとく礼を言って、さあ帰ろうという時に店主に呼び止められたのは意外だった。
「ちょ、ちょっとコッチ来な。………おい、ハッジ!俺ぁちょっくら厨房に入るから、番頼んだぞ!」
きょろきょろと周りの目を気にしつつ、息子に店番を押し付けて厨房に誘い込む店主の様子に、ガイはこの上なく
嫌な予感と不信感を募らせた。
相手を窺えば冷や汗が顔の側面を伝っているし、これは怪しい話の類じゃなかろうかという不安が頭をもたげる。
それでも闇雲に断る事も出来ず、しぶしぶ入った厨房で、調理台を前に落ち着きの無い様子の店主を見つけた。
「お前は口の固い男だと見込んで託すぜ、ガイ」
「は、はぁ……」
いきなり見込まれても、託されても困る。
しかも一体何をだ、と店主の手元を見ると、何かの包みのような物があった。
「いやな、料理長さんとは結構長い付き合いになるんだが……仕えている家のどなたかが、何を作っても
 ろくに食べてくれないって零してるのを聞かせて貰ってな……」
あー、ルークの事だな、とボンヤリと考えながら遠い目をするガイを他所に、しみじみと店主は語りを続ける。
「で、此方も色々と極上の食材を提供させて貰ってきたわけなんだが……先方もかなり手強いみたいでな」
手強い……多分店主の方はその誰かというのが軟禁されている公爵子息という事も知らないだろうし、血族の内の
超美食家だとでも思っているのだろう。料理長も毎回毎回無駄になる高級食材を嘆いて漏らした愚痴に違いない。
しかし頭を悩ませる店主には気の毒な話だが、単なるルークの超偏食癖と我儘の問題だと思う。
「半ば意地みてぇなモンだが、どんなに肥えた舌をも唸らせる食材を俺の方で取り寄せてみた。それが……コレだ!」
ズイと目の前にその何かを包んだ物が差し出される。ツンと鼻をくすぐった刺激臭に危険信号が直ちに発令された。
「……う!な、何だよ一体……これが食材だって?……そもそも、何をそんなに隠すんだ?」
鼻を摘んで顔を背けるガイに構わず、店主は目を血走らせ、震える腕で食材(?)を掲げる。
「この肉はなァ、脅威の栄養価と、この世の物とは思えないくらいの味を醸し出すってんで、トンでもなく貴重なんだよ」
あ、取りあえず肉なんだ、と無理矢理押し付けられて受け取るしかなかった包みを、恐々と眺め見る。
店主の冷や汗の伝う量は、何故かいよいよもって増えてきた。
「ただし摂取量を間違えばその魔も――…おっと、流石にこれ以上は言えねぇや。
 というわけで、何だかんだワケアリの食材でな。色々とヤバイんで、ガイ、信じてるからな」
禿げかけた額を輝かせ、力強く親指を立てる店主に、手の中の物体を思い切り投げつけてやりたい気持ちを必死に抑えた。
「何だかんだ」って何なんだおい。今「魔物」って言ったし絶対。
「オイオイ何食わせる気なんだ!食材としてヤバイという以前に、何か緑の汁が出てんのがヤバイって!!」
本来肉汁にとって代わるはずのものが、紙で出来た包みに緑の染みを作っている。
百歩譲って野菜だったならまだしも、肉が出す色としては失格もいい所だ。
「まぁまぁ………剣の道でも食の道でも、一筋縄にはいかないってェこった。じゃあ、頼んだぞ!」
言い足りないこちらの身体を無理矢理反転させて、ドン、と背を突き送り出してくれた店主に、反論を許す様子はなかった。
料理長は何気ないつもりの愚痴だったのだろうが、誤解を解かないととんでもない事になりそうだ。
あとで報告しておこう、とガイは深い溜息をついた。








「まだ捕まってないんですってよ」
「恐いわねぇ……いきなり襲われたりしないかしら」
店を出て、朝の市で賑わう街中を荷物を背負いながら人の間を縫うように歩くと、必ずどこからか同じような会話が
耳に入ってくる。昨日よりも更に、その噂は人々に浸透してしまっているようだ。
ただ、どんなに聞き耳を立てても、はたまた直接聞いたとしても、未だ有力な情報は入ってこない。
小さく嘆息した後、これから向かう目的地へと足を速めた。

三日目の朝が来るなんて、あっと言う間だった。
屋敷の修復や片付け、騎士達の穴埋めや、方々から頼まれる使いに奔走しているうちに時は過ぎていく。
こうして使いの途中の合間などに、幾らも効果の無い聞き込みをする事くらいしか行動らしい事が出来なかった。
荷物を担ぎなおし、自分の小間使いの身分の格好さえ浮いてしまうような、下層の町の通りを歩く。
やや遅めの朝の光が、余った材木で組まれた頼りない家屋棟の屋根に降り注いでいる。
そこかしこから朝食の後片付けの水音や、貧しさに学校に行けない子ども達が元気に戯れる声を聞きながら、
それらにも加わる事の出来ないような、道の隅に寝転がる薄汚れた男と向かい合った。
「……知りませんねぇ。あの日は酷い天気だったもんで、どこぞの軒下に引っ込んでやしたから……」
男は人生にさえ疲れたような、力なく乾ききった微笑を浮かべて首を横に振る。
「……そうか」
こちらの方面にも来ていないのか。ハズレだな、と、ガイは疲労感を含んだ溜息を吐く。
が逃げ込むのなら、騒ぎで警戒が厳しくなっている正門付近よりも、貧民街の方が可能性は高いと思ったのだが。
昨日の用事のついでに切り込んでみた場所では何の情報も掴めなかったので、こちらに期待していた。
それだけに、正直、落胆は小さくない。
「にしても、街の連中もそうですが、兵隊さんといい兄さんといい、“雨の日の怪物”の話で持ちきりですなぁ。
 聞けば屋根より高く飛んで走る獰猛な獣というじゃないですか。……本当にそんなもん、街中にいるんですかい?」
間違っていなさげな情報に、明らかに尾ひれが付いていっているのを感じて苦笑する他なかった。
(しかし……)
男の口ぶりからすると、自分以外――それも兵士も同じ着眼点で聞き込みをしているのか。あまり芳しい事ではない。
現状、白光騎士団員の何人かが召喚獣の行方を追っているが、男が言うのはバチカルを警備している軍の兵士だろう。
住民に広まるほどの追跡劇を繰り広げたのに、取り逃がし、まだ捕まえる事が出来ていないとなれば沽券に関る。
そして様子を見る限り、対象は「魔物」として一般には捉えられているようだ。
見つかれば、の態度によっては魔物に対する相応の処置が下されてしまうかもしれない。
事情を知っている白光騎士団に見つかっても、今の段階ではその場で処理、もしくは連れ戻され次第処刑だろう。
そう思うと、見つかって欲しいような見つかって欲しくないような。
「……さてね。姿を見たって人間が何人もいるし、これだけ噂になってるにも関らず捕まってないんだ。騒ぎたくもなるだろ」
白を切って他人事のように答えると、屈みこんでいた姿勢を伸ばして立ち、ズボンのポケットをまさぐる。
「悪かったな。有難うよ」
言いながら、取り出した銀貨数枚を男の汚れた手に乗せてやった。
「へへ、まいど………――ああ、そう言えば思い出しやした」
文字通り現金なもんだ、と、急に口を割り出した男の卑しい態度に呆れつつ、黙って見下ろし先を促す。
高潔を謳う正規の軍や騎士では、こう都合よく懐にものを言わせるわけにもいくまい。
其処だけがを追う三者の中での、唯一の強みとも言える。
「……赤い髪の男……」
「赤い、髪……?」
じっくりと、その時の事を思い出すようにポツリと呟いた男の言葉に片眉をひそめる。
赤い髪と言えば、ランバルディア王家の血筋を示すものというのが真っ先に脳裏に浮かんだが、間違ってもこんな場所に、
そこにいる浮浪者に縁もゆかりも無いだろう。広い世の中に赤み掛かった髪色が他に皆無かと言われればそうではないし。
こちらの思考に構わず、男は続ける。
「燃えるような赤い髪の男が……雨の中、死体を運んでいるのを見たんですよ……」
そう言って、薄気味の悪い笑みを口元に浮かべる。
好んで外に出る者など一人もいないようなひどい嵐の中、コートも身に着けずに歩く人影。
その男の肩には、黒い布に包まれた大きな“荷物”が担がれている。
雨をしのいでいた自分の前をその人物が通り過ぎた時、黒い布からはみ出た血まみれの人間の手をこの目で見たのだという。
「し、死体だって……?」
怪談でも話しているかのような男の口ぶりに、胡散臭さを感じつつも薄ら寒いものを背筋に覚えて思わず後ずさった。
「あっしにしちゃあ、いるのかも解らん魔物よりも、こっちの方が恐ろしくて敵いませんがね。
 ……まぁ、兄さんの欲しいような情報じゃないかもしれねぇが……」
「い、いや。助かったよ、話してくれて」
は脱出の悶着で怪我をしていたと聞いたし、“雨の日の怪物”の噂の突拍子の無さとも充分張り合えるだけに
関係がある可能性は高い。むしろ今回のこれは、アタリなのでは。
しかしながら、男の言うそれがの事だと確定されるのにも見逃せない問題点がある。
(いったい誰なんだ……何のために……)
まず、赤い髪の男の正体と目的が解らない。
の知り合いがこの世界にいるはずもなく、単純に誘拐犯だったとしても、残念ながら彼女は思わず攫ってしまいたく
なるような気品と美貌の持ち主とは言えない。本人の前では出来ないがそれは正直な話。
加えて、そこはかとなく貧乏臭が体から染み出ているから、育ちが良さそうな人間には見えないはず。
身代金の出所が期待出来ないのは明らかなものだし。(実際の責任元は公爵家なのだから誘拐だったら実は大当たりだが)
それより、なによりも問題とすべきなのは。
「ところで……本当に死んでいたのか?その運ばれていた人間って」
死体だと言い切るなんて、縁起でもない。それが本当なら、既に最悪の事態だということだ。
召喚に立ち会った者としては、後味が悪すぎるのと同時に罪悪感がある。実際今動いているのは、その精神からでもあるが。
「確かだとは言えねェが……恐らくは。だってグッタリしていて動かなかったし、状況的にそうでしょ」
男は決め付けているようだし可能性も低くはないが、どうやら絶対確実に死んでいる、というわけではなさそうだ。
取りあえず、そこのところには少しばかり安堵した。
「他に、その死体について気付いた事はあるか?」
「そうさねぇ、雨の中でよく見えなかったんですが……何か、変わった感じの袖口でしたかね。多分ありゃあ女の手だったと」
変わった服の袖口からのぞく傷だらけの女の手。
可能性は高めても、違うという因子にならないその言葉に、嫌な予感の的中率が跳ね上がる。
「その男は、どっちへ行ったんだ?」
今は余計な考えを振り切ることにして男に問うと、手の中で貰った銀貨を弄びつつ、くい、とその顎がある方向を指す。
「向こうの旧市街の方へ……廃工場とは別の方角だったかな」
示された方向に目を馳せると、貧民街の向こうに人気の無い色褪せた町並みがちらりと見える。
あの方向にあるのは、廃棄されて暫らく魔物が出るようになって封鎖された廃工場と、ゴミ処理施設を騙った研究所くらいだ。
暫しそちらを睨むように眺め見て、やがてどうしてもあんまりいい方向に捉えられないこの状況に、深い溜息が出る。
(……)
もう3日、か。
誰かに匿われているのだとしたら、いい。けれどそうでないのなら、弱った身体でどう凌いでいるのか。
あの格好じゃ、人前には出られないだろうし。万が一出れたとて、相手が良くなければ真っ先に通報されるだろう。
逃げ足は早いと言えども、軍も騎士も馬鹿ではないし、その組織力や情報網も優れているはず。
素人がどんなに頑張っていても、そろそろ見つかるだろうに。
「…………」
心の中で名前を呟いてみたものの、無事でいろよ、とか、どこに行っちまったんだ、とか、そんな事を語り掛ける資格を
持っていないように感じて、無言を通した。
結局、という人間と、召喚獣という怪物を、未だ秤にかけている自分を自覚してしまったからだ。














嵐で若干の被害は被ったものの、優秀な庭師の対策の御蔭で、今日もいつもと変わらない美しい円形の庭が
穏やかな日ざしに照らされている。
その中庭の中央部の開けた場所に、ルークは得物を構えて立っていた。

木剣を力一杯握りこんだ手の中で、ぎしりと軋んだ音がする。
呼吸を落ち着かせ、筋肉に走らせる力を調律するように整え、己の内部に生んだ力を最大限に高める。
ただ単に剣を振るう時とは違い、周囲の大気に溶け込んでいる見えない力、音素を取り込んで体内で――
感覚的には腹の奥底で練って溜め込んだ。よく解らないが、すべては師匠に言われた言葉の通りにしている。

『素早く斬り落とし、斬り上げる。その剣筋が獣の牙のごとき鋭さから……』

師に言われた言葉が、目を閉じた暗闇の中、糸を張ったような精神世界に静かな声音で響き渡った。
刹那の瞬間だが、来るべきその「時」を待つ。
呼吸や、筋肉の躍動など、全てのタイミングが合致する時を模索し、「今!」という声無き自分の叫びと共に
一気に力を解放させる。

「双牙斬ッ!!」

いつになく凛とした声と共に繰り出した剣技が、淡く緑色に光る軌跡を描いて綺麗に決まった。
たん、と抜かりなく着地を成功させ、そのまま気を抜かずに体勢を整えると、相手からの攻撃を想定して素早く構えに入る。
が、相手からの攻撃なんて、今この時に返ってくるはずもない。
せっかくの構えを5秒足らずで崩し、はあ、と盛大な溜息を吐いてだらしなく肩を落とした。
(あぁーあ……やっぱ一人で修行すんのってつまんねぇなー……。師匠に見てもらえないんじゃ、意味ねーし)
我ながら先ほど出来た双牙斬は、伝授されて以来試みてきた中で、かなりきまっていた方だと思う。
散々注意を受けている集中力の乱れも動きの粗雑さも抑え、込める音素や力加減にも無駄がないようにしたし
フィニッシュも完璧。次の動作への繋ぎ方も反撃に対する対策も、ばっちりだったじゃないか。
ヴァン師匠が見ていてくれていたら、絶対に褒めてくれる事間違いなしだったのに。ちぇ、といじけて舌打ちが漏れる。
肩を木剣で軽くトントンと叩きながら、人気の無い中庭の真ん中で空を見上げた。
すっかり雲の無くなった空に、譜石が浮かんでいるのが見える。それを遮るように、数羽の小鳥が囀りながら戯れている。
自分の勇姿を見ていてくれたのはあんなのだけなのか、と、何とも情け無い気持ちになった。
手ごたえも遣り甲斐もないとなると、最早これ以上のやる気など湧いてくるはずも無い。
誰に遠慮する事のない大あくびをしながら、庭端のベンチにどっかりと体を放り込んだ。
日差しによって暖められた木の温もりが背に心地よく感じる。
ここが公爵家の中庭でなければ、頭の後ろに手を差し込み、足を組んで行儀悪く野外で寝転がっているその様子を見て、
誰が高貴な人間だと思うだろう。つい最近受けたガイの忠告の言葉なんか、まるで記憶の端にも残っていなかった。
「だりィー……」
極めつけの品の無い言葉遣いを口にしつつ、不貞腐れる。
本当ならば今日の午後には、ヴァン師匠が来てくれる筈だった。
けれどもここ数日のゴタゴタだとか、それに伴った世間での騒ぎだとか、屋敷内の修理だとかで
適当な理由をつけて、外部の人間の行き来を極力制限するように申し渡されているせいだ。
そんな訳で、数少ない楽しみな予定も落ち着くまではキャンセルなのである。
普段だったら断固として文句を言ってやるところだが、今回は何となく味の悪い所を感じて我を通せなかった。
おかげで一人寂しく習った事の復習に勤しんでいた訳だが、今の所課題は全てクリアしてしまった。
やる気も起きないし、慢性的な退屈な時間の到来にうんざりする。
でも今日は一応、やらなければならない事があるんだ――
と、ボンヤリと考えている所に、甘い香りのする微風を鼻先に感じて目を瞬いた。
つられる様に脇を見ると、白い花が群生する花壇が目に入る。
匂い元はあそこか……と、気持ち無く考えながら、再び姿勢を戻して目を閉じた。
日光が暖かいし、肌を撫でる風が気持ちいし、微かにいい匂いもする。
退屈だけれども、まあ悪くない空間じゃなかろうか。
思わず昼寝モードに突入しそうになった所へ、足音が近付いて来たのに気がついた。
誰だろう、と上体を起こすと、
「……何だ、ペールか。相変わらず花の世話か?」
予想外というわけでもない相手に、ある種の落胆を隠す事なく肩を竦める。
そんな態度にも気にする様子無く、真鍮のジョウロを抱えて、ええ、と老人は頷いた。
「それにしても、ルーク様……素晴しい剣の才をお持ちですな。先ほどの技、実に見事でしたよ」
見ていたのか、と褒められた言葉に照れくさくも嬉しくなった。しかし、何となく両手を挙げて喜べない気がして目を眇める。
「……つっても、ペールに褒められてもな……。お前、ただの庭師じゃん。どうせ剣の事なんて解んねーんだろ?」
そう思うと、嬉しい言葉も他の使用人達が口にするような社交辞令に聞こえて、何だか白々しい。
せめてガイか、最低でも兵士だとか、取りあえず戦い方を知る人間でなければ、自分の腕が認められた気がしない。
解らない奴が見たって、凄いか凄くないかの判断なんてつかないに決まってる。
「ふふ……そうですな。いやはや、個人的な感想を言わせて頂いてるだけですよ。本当にこの数年で、立派になられた」
こちらの行った事にペールは曖昧な苦笑を浮かべたが、まあ、そんな風に言われて悪い気はしないかな、と鼻を鳴らす。


ぼんやりとベンチに寝転がったまま頬杖をついて、庭師の仕事を後ろから眺め見ながら時を潰す。
水を与えられてツヤツヤと輝く白い花に、何となく見覚えがあるような気がした。
葉や茎の様子とか、蕾の形とか。
「なあ、そこに咲いてるのって、どういう花なんだ?」
「……――はい?」
我ながら珍しい質問をしたものだと思うが、全ては退屈という二文字の強大な敵に直面したが故の気の迷いだろう。
案の定、きょとんとした目がこちらを顧みてきた事に、一抹の気まずさを感じて目を逸らしながら問い直す。
「そんな丁寧に世話してても、咲かない事とかあんの?」
これがガイだったら、珍しいじゃないかと色々つついてくるのが目に浮かぶが、ペールはそんなに人の悪い事はしない。
驚きは見せるものの、素直に問い掛けた言葉に返してくれる。
「そうですな……世話をせずとも、野にあるものなら大抵咲きますが。
 ……というよりも、ノストックは月光がないと開花しない花ですからの」
水遣りの手を止めてこちらに向き直ったペールが、顎に手を当てながら答えてくれる。
ノストック、か。どこかで聞いた名前だ。
「ふーん。変な花だな」
「そんな事はありませんよ。そういう性質なだけです。月<ルナ>の光に含まれる第一音素に反応して開花する習性が
 ありましてな。開花時期にそれを得られないと、蕾が固くなって咲かない事もあります」
ほら、この蕾のように、と、ペールが手に取ったものを僅かにベンチからのり出して見る。
実は彼の言っている事の7割強が理解できなかったが、まあ、咲かない事もあるのだろう。
目をやった先には、他の花や葉の影になって、第一音素とやらを得られなかった蕾が、固くなった頭部を重たげに下げている。
あの、部屋にあったものとソックリだ。いや、名前もそこで聞いたのを思い出したし、同じもので間違いないだろう。
眺めつつ、欠伸交じりに「へえ」と相槌をうった。
「その性質から、古代イスパニア語で《月の唾》という意味です。ノストック、お気に召しましたかの?」
質問をしたと言う事で、珍しく興味を持ってくれたのかと嬉しそうなペールに、気を遣う事もなく正直に否定する。
「別に。花なんて、どれもこれも一緒だし。色と形が違うだけじゃねーか」
その白い花ばかりが生えている芸の無い花壇にあるものなんか、全部一緒でしかないと思う。
そんな率直な意見に苦笑を湛えながらも、流石に庭師として捨て置けない言葉にペールはやんわり首を横に振った。
「いやいや、同じに見えても一つひとつ形も香りの強さも違ってましてな。同じ花は、一つとして無いものですよ」
「……なんだそりゃ……」
同じような事を、似たような台詞を、一度言われている事が思い出されて嫌な気分になった。
やはりどう考えてみても解らない。似通ったものがこんなにも沢山あるのに、一つの物に拘る理由がどこにあるんだろう。
下らないことの癖に、思い出したくない筈の言葉が妙に胸に引っ掛かるのが、何か別件でムカつく。
「わかりませんか?」
極めて不機嫌な顔で眉を顰めていると、気を遣った言葉が掛けられた。
解るもんかという意味合いを込めて深めた眉間の皺を見て、ペールが苦笑を浮かべる。
「例えば……そうですな、その木剣はどうです?」
「はぁ?これが?」
花とコレとどう関係があるんだと傍らの剣に目を向けるが、全くその意図は見えて来ない。
「特別だとは、思えませんか?ただの木の剣ですが」
「いや、べつに……」
何が、特別なんだか。自分だって今、「ただの木の剣」だと言ったじゃないか。
しかし、咄嗟に否定の言葉が口をついて出たが、どうだろう。
確かにどうでもいい。新しい木剣が貰えるのなら、そちらの方が嬉しいのは当然だし。
けれど折角手に馴染んでいるものだし、愛着もあって手放すのは何となく惜しい。そういう感情なのだろうか。
でもわざわざ拘るまでの事はないと思うし。
「……………」
ペールに目を向けると、いつも通りニコニコ微笑んでいる。
何だか妙な疲労感を覚えて、溜息を吐きたくなった。
わるよーな、わからんよーな。


「ルーク様」

その時、柔らかい空気を割るように、女性の声がその場に響いた。
慌ててペールが身を引いて、花の水遣りに専念していたのを装う。
面倒だったが、ベンチから身を起こして何だ、と振り向くと、硬質な靴の音を響かせてメイドが近付いて来た。
「こちらにお出ででしたか。旦那様がお帰りになられましたので、お伝えに参りました」
「ん……ああ。ご苦労。もう行っていいぞ」
横柄な態度で追っ払うように手を振るルークを前にしても、では、と丁寧に頭を下げてメイドは中庭を去って行った。
その姿が見えなくなったところで、さて、と、と両手を頭上で組んで大きく伸びをする。
「そういえば、旦那様は今日お帰りになられたのですね。一昨日からずっと、登城なさったきりでしたか」
状況を見て再び話しかけてきたペールに、ぐりぐりと肩を回しながら応える。
「ああ。何か色々、話し合いとかだってな」
アバウトだが、そうとしか自分は聞かされていない。
さて行くか、とベンチに立掛けていた木剣を肩に担ぐようにして立ち上がる。
それを見て、ペールが目を丸くした。
「お帰りで直ぐ、ルーク様をお呼びになられているのですか?それはまた、」
珍しい、と言い掛けて、いつにない失言を口にしそうになった事に慌てているペールを見ながら、片方の口の端を持ち上げる。
そんな風に言われるのも尤もだし、「いいって」と溜息混じりに言ってやった。
たまの説教だって思い出したような頻度なのだ。父の方も自分の事を軽んじている節もあるし、こっちだってそんな相手と
好き好んで顔を突き合せたいとは思わない。
それでも、仕方が無い事に、今日は用があるのだから観念せねばなるまい。
だからメイドに、父の帰宅があれば報せろ、と言っておいたのだ。
多忙の身とは言っても、自宅に居る父親に息子が訪ねていく事が許されないなんて事がある筈が無い。
「……じゃーな」
訝しむような顔をしているペールに背を向け、明らかに重く感じる足を引き摺って中庭を後にした。


戻ってきた日常と、戻ってこなかったもの

←back  next→