街の至る所に設置された『天空客車』。 巨大なクレーターの中に、山のような形でそびえ立つバチカルならではの設備――――名物とも言える譜業である。 太く頑丈な鋼鉄のケーブルにぶら下がるようにして移動する客車の中。 赤い髪の少年――――アッシュは、座席に座って霧にけぶる光と称される町並みを眺めていた。 普段は観光客や民衆で賑わう車内は、天候のせいか閑散としている。 風が強く、時々車両が揺れたが、名だたる譜業産業を誇るキムラスカ製の機関だ。 動じる事なく、窓の外の景色に意識を飛ばしていた。 誰もがその全容を初めて見た時は、感嘆の息を禁じえない。そんな様相をした誇らしい都市であるが、 見ている分には、という話である。 「…………」 やや高い位置を行く天空客車の遥か下に広がる光景を目にすると、自然と眉間の皺が深くなる。 見上げる光景とはうってかわった、広大な貧困街、無法地帯。 まだまだ世界最大の都市も、改善されるべき所は健在だった。 もっともそれはもう、今となっては自分が直接考えるべき問題ではない。 その事を考えて、いささか荒れた感情を払うように、別の方向へと視線を向けると。 先程自分達が降り立った港が別の角度から見える。何気なく、暫しそこを目に映していたが。 (……?…何だ、あの船は) 港のごく端にはばかるように、見る限りは船籍が不明な、一隻のやや小さめの巡洋艦が停泊している。 万全の管理体制の下に入出港を行っているバチカル港にあって、何となくその中型船は浮いて見えた。 「おい」 警護も兼ねて、乗務員として客車に添乗しているキムラスカ兵に声を掛ける。 いささか高圧的な呼びかけにも大して気を悪くした風はなく、「なんでしょう」と、青年は近付いて来た。 「あの船は、何だ」 遠くにゆっくりと移動する景色の中のそれを指差し、思い浮かんだままの疑問を問い掛けると、青年もそちらに目を馳せる。 しかし流石に港からの直通客車が毎日の持ち場なだけあるのか、すぐに「ああ」と答えが返ってきた。 「時々、ケセドニアに向けて出港している貨物船ですよ」 「検閲はしているのか?」 貨物船なら、キムラスカとマルクトの両陣営の中継地点であるケセドニアから、公式の、もっと大型の船が出ている筈。 それ以外の民間船なら、大抵バチカル港以外に寄港している。 どう見ても公式のそれには見えないし、民間のものにしては物々しい、というような不審な船だ。 「はぁ、いえ…私有船らしいですから、内容に関してはあまり…。国境地域への支援物資だとは、窺ってますが…」 兵士の青年は困ったように眉を顰めるばかりで、曖昧な言葉しか出ない口を答えにくそうに動かした。 どうやら特にそれ以上の深い情報など、知るところではないらしい。まあ、キムラスカの貴族の船なら疑う事もないが。 (ケセドニア…) まさか関係もあるまい。しかも自分はそんなもの知った事では無い程、厄介な任務を押し付けられているし、と考えながら 青年に軽く手を振ってあしらう。そうして再び座席に腰を落ち着けなおして、バチカルの街を見る。 忌々しく溜息をつくしかない。 この巨大な都市の中で、たった一冊の本を探せ、などという雲を掴むような話。 それだけならまだしも、その内容ときたら「異世界から異なる存在を召喚する術」を記した、その名も「召喚の書」である。 眉唾物にも程があるだろう、確かに下らないものが好きな貴族は飛びつきそうだが、とげんなり考えた。 しばらくして、中心街のやや外れた場所にある停留所に到着し、降車する。 この区域にあるのはおよそ中の上、というか、一般の居住区よりはやや上に位置する繁華街である。 普段は様々な階層の人間で賑わう広場も、こう嵐がひどくては誰も好んで闊歩したりしない。 そうは言っても、ここには上流階級の人間も、関係者もやってくるので油断ならない。 万が一にも自分の「この容姿に思い当たりのある」ような人物に遭遇してしまっては何かと面倒だ。 と、教団支給の外套を、姿を隠すという意味合いも含めて頭からすっぽり被ると、雨のそぼ降る街中へと歩を進めた。 気が乗らなかったせいか、随分ゆっくりな行程で来てしまった。 天気の悪い日はいまいち時間間隔が掴めないが、午後もいいところの時刻には差し掛かっているだろう。 さて、ここから先は昇降機を使って、やや上流階級の区域に移動を――――と、考えている所に。 「……な、何だ、ありゃあ…!?」 「おい!向こうに行ったぞ!早く捕まえろ!」 「矢だ、矢!飛び道具でないと届かねえぞ!」 静かな街に似つかわしくないざわめきが近付いて来る。 賊でも出たか。この雨の中、ご苦労な事だ。 ばしゃばしゃと、水を跳ねる足音が近くに迫ってくるのが解った。建物をまたいだ、向こうの通りだろうか。 一体どんな屑だ、と、何気なく騒ぎが起きている方角を振り返ると。 とっさに上方からタン、という音がして、そちらに目がいく。 (―――――なん、だ) 斜め上の空に、人が飛んでいた。 …いいや、ちゃんと重力には引かれているようだ。ただそれが、人間として有り得ない跳躍をしているのだと解る。 身体能力を上昇させる効果のある『響律符(キャパシティコア)』を装備したとしても、説明のつかないその光景。 しかし。 「…あっ」 短い悲鳴を上げて、“それ”が体を強張らせる。 飛び移った屋根の上に足場を確保しようとした矢先、弱っているのか不自然にバランスを崩すと、やや先の石畳の上に 体全部で落下してきた。 崩れるように受身さえ取らない状態で、ぐしゃりと落ちた様を見る限り、人でなくても生きているとは考えられない。 嫌なモノをすぐ目の前で見てしまった、と、血と泥で汚れた“死体”から目を逸らそうとした、が。 「……っ!?」 程なく、うつ伏せのそれが僅かずつ動き出したのに驚いた。 ぐぐ…と、緩慢な動きで拳が握られ、地に腕を突っ張って必死に起き上がろうとしている。 (馬鹿な……生きてやがる…) 見る限り三、四階分の高さのある場所から落ちて、体を打ちつけたはずなのに、と、思わず屋根と地面とを交互に見比べた。 先程の身のこなしといい、やはり人間ではない――――魔物か、と意識の端が答えを弾き出し、反射的に湧いた警戒心が 右手に腰の剣を握らせる。 チャキ、という金属音はごく小さいものだったのに、“それ”の耳は音を拾ったらしい。随分と敏感になっている。 追手もついていたし、幾度も剣戟の間を潜ってきたという事か。体を汚す血は、落ちた時の傷ではないらしい。 ビクリ、と過剰な程に反応して振り向いた顔は憔悴しきっていて、恐怖に歪んでいた。 (何だ、こいつは……) 感情を持ち、それを表情に出来る生き物。手も、足も体も、自分達と同じ――――人間にしか、見えない。 深く被った外套の合間に見えるその姿に、これ異常なく不可思議な思いが湧く。 「な、にも……」 「?」 喋った、と、人であるなら当たり前の事に、少々驚いた。 その目が、こちらの右手、剣を握る手に寄せられている事に気付く。 「…しません……何も、しない、から……行かせて下さい…」 危害を加えない、敵にはならない。だから見逃せ、と言いたいのか。見る限り何が出来るとも思えないが。 それに、どんな事情があれ、見境のありそうな人間を殺すような趣味はない、と、手を柄からほどく。 「こっちだ!屋根から落ちるのが見えた!」 「仕留めたと思ったんだがな…」 一本筋の違う通りの方から、喚く声が近付いている。 すぐ向こうから聞こえてくる声に自分もそちらを向くのと同時に“それ”が、は、と顔を上げた。 おそらく街の警護に当たっていたキムラスカ兵だろう。 自分が手を下さなくても、どうやらこの生き物の先行きは決まっているらしい。 「……く、」 再び目を戻すと、危機的状況を察して動作に焦りを募らせている姿がある。 不格好にもがいて立ち上がろうとするが、落下のダメージがゼロではなかったのか、上手くいかずに何度も地面を擦る。 「……………」 「ここだ!……落ちた跡みたいなのがある。……くそっ、逃げられたな……」 「外したか…矢が掠りさえしてれば、それで始末出来たんだがな…」 「いや、どちらにしろ近くに潜んでいるだろう。民衆に危険が及ばないうちに探し出せ!」 ひどく狭い路地裏。建物を立てる時には既に、そこを通路として使う気もなかったのだろう。 入り込む事は出来るが、そこは薄暗く汚れていて、雨と影しか落ちてこない。 聞こえてきた三人の男の声を耳に、アッシュは自分の行動にとことんうんざりしていた。 「……すみません」 思わず吐いた溜息に反応したのか、か細く情けない声が、小脇に抱える人物の口から発せられる。 「声を出すな。見つかりてえのか」 自分でも何故にこんな事をしているのか解らない。益にもならない上に関係ないじゃないか。 なので、改めて謝罪をされると余計に苛々する。助けたくて助けた訳ではないのだ。 「う、すみ、ません…」 元々つっけんどんな物言いになってしまう事は解っているが、気分が悪い事で更に拍車がかかってしまった。 それに対して反射的にだろうが、二度目の地雷を踏む“それ”に、またも眉間の皺が深くなる。 「てめぇ……耳はついてるんだろうな……謝るな」 「す、すみま……あ、いや、ごめ……じゃなくて、その」 最早何に対して、何を言おうとしているのかすら解らない。苛立ちと疲労感をふんだんに含んだ溜息をもう一度、吐いた。 というか、何なんだ、この頭の弱い遣り取りは。 「もういい……黙れ。それと、そんなに元気があるなら、自分で立て。重い」 もうこれ以上面倒を見るようなお人好しな事は御免だ、とにかく自分は関係ないのだから、と言葉少なに促す。 「お、重っ……いえ…はい…」 何故か傷ついたというような声を上げたが、そろそろと前の壁に手をついて立とうとしているので、支える手を離してやる。 少しだけ離れて、“それ”の全容を改めて見てみた。 外見に対して余り興味は無いが、ずぶ濡れの上に泥だらけの血まみれ。その様は失礼ながらも、そう表現するより他に無い。 思わず何があったと問いたくなるような有様を抜いては、目を惹く所の無い女だった。 しかし、目立たない、という事は決してない。何故なら。 (妙な格好だな……顔も) どの地域にも見られないような変わった服と、同じく顔のつくり。 美人だとか不細工だとかの次元から切り離して考えてみると、毛色が違うのは明らかだ。 話す言葉は流暢だし、行動は人間味があるし、けれど普通の人間とは何かが違う。一体――――― 「てめぇは一体、何がしたいんだ」 「い、いや……立とうとしてます」 がっちりとレンガの窪みに喰い込ませた手に力を入れ、ぶるぶると震えながら中腰で立つ…というよりはぶら下がっている。 その珍妙な姿勢をキープしたまま進化しようとしない女に、呆れと訝しみの視線を送ってやる。 いや、変なのは承知しているんですがと必死な顔がぎぎ、と此方を向いた。 「あの……何かこう……足が物凄く痛くて、異物感があるんですが……ど、どんな事になってるでしょうか」 また意味の解らない事を、と、片方の眉を顰める力を強める。 真っ青な顔に冷や汗を湛えながら唇を震わせる女に対して、「自分で見りゃいいだろうが」と視線で訴えかけてみるが、 相手はそれを察したのかブンブンと首を振った。 冗談じゃない、そんな恐ろしい事は出来ないんだ、だから頼んでいるんだという心の叫びが、嫌だが聞こえる。 ひどく脅えて首を振るばかりの様子に、傷を見慣れていないのかという疑念が湧いた。 仕方ない、と、女が指すそこに視線を落とす。 「……矢が刺さってる」 「さ、刺さっ……嘘ぉ!?」 大体は予想していたんじゃないのか。目を剥いて戦慄する様子に辟易しながらも、嘘をつく理由も無く頷いて返す。 確かに一本の矢が、ズボンを縫い付けるようにしてふくらはぎの辺りに見事にグッサリと刺さっている。 おそらく追われている途中で、あるいは先程、屋根に足を付けようとしたあの時かもしれない。 見ていてかなり痛々しいのは確かだ。 事実を知らされて尚、いや更に確認するのが恐くなったのか、女は「矢が…」とか「刺さって…」とか、先程よりも大量の 冷や汗をダラダラと流しつつ、明後日の方角を見ながら呟いている。 「…………」 何をいつまでも鬱陶しい、と、おもむろに手を寄せようとすると、ビクリと脅えて不器用に後ずさる。 が、案の定患部に走った相当な痛みに、顔を歪めて思い切り歯を食いしばったのを冷ややかに眺めた。 馬鹿か、こいつは。 「い、い、いや、いいです!このまま行きます、時間も無いし…!」 白々しくブンブンと手を振る女に、眉を顰めた。 「……どこへ行くつもりだ」 そういえば一体こいつは何者で、何をするつもりで、何処へ行こうとしていたのだろう。 どこからか逃げてきたのか、傷を見るのも恐いような人間が、何をしでかしてこんな有様になっているのだろう。 あまり他人に干渉したくもないし、あの生意気な第五師団長にも「勝手な行動はするな」と言われているのだから 聞く事もなかったが、何となく。 問うた先で、女は困ったように口を開くのを戸惑っていた。向こうとしても、助けを求めていいものかを推し測っているらしい。 随分と思巡していたようだが、やがて意を決したような眼差しが、此方を向いた。 「あ、あの……旧市街の…ルエベウスっていう研究所、どこにあるかご存知ですか?」 「……ルエベウス?」 問いに、記憶の中を探るが思い当たらない。この街には久しいし、遠く教団の本拠地であるダアトに何処其処の施設の名前 など、いちいち伝わって来る事などない。しかしながら研究所に心当たりは無いが、旧市街なら知っている。 幼い頃…この地に居場所があった頃に、その辺りに大規模な施設の建設が進められていた事を微かに覚えているが、それか。 しかしここからあまり近い場所とは言い難い。傷を負った体で、追手もつけた状態なら尚更。 そうは思うが、流石にここに至って眉間に深い皺を寄せた。 よく考えたら、たった一人の会ったばかりの他人に、これ以上入れ込む必要も理由も無いだろう、と冷静な思考が訴えかける。 自分にはやらなくてはならない事が他にあるのだし。 とにかく、慣れないお人好しもここまでだ。あとはコイツ自身がどうにかするだろう、とは、思うが。 「……ごめんなさい、変な事を聞いてしまって。…じゃあ、これで……本当に、すみませんでした」 問い掛けに対して応えかねている此方の様子に、女はやがて落胆した様子で肩を落とすと路地の出口をヨロヨロと目指す。 何となく気にはなったが、それこそらしくない、と自分を律して見送ろうと後姿を見ていた。 つとめて、もう関るつもりもなかったが、何というかあんまりにも危うい足取りに、何となくムズムズする。 結局、矢をぶら下げたまま。 異物が身の内にあると分かって、そちらに体重を掛けないようにするあまり、殆ど一本足で動いているようなものだ。 あんな状態じゃ、まともに歩けもしないだろう。 ムカつきと苛立ちが、沸々と募っていく。結局、自分のこの余計な行動が無駄になってしまうではないか。 「おい。せめて足をどうにかしてから行け」 そう声を掛けてやると、心底驚いたような顔と、「え」とも「へ」ともつかないような間抜けな返事が返ってきた。 何だか、こちらが心配しているみたいに思われて酷く居心地が悪い。 「あ、その………でも」 ちら、と、その目がやっと自らの足を見た。しかしその瞬間「ヒィ」と息を引くような声を上げて、蒼白になった顔と手を ブンブンと力一杯横に振って否定する。 「いえいえお構いなく!本当、こここのままで特に問題はないですから…!じゃ、急ぎますのでこれで――――うぐあ!」 今てめぇ確かに悲鳴上げたよな、と目で突っ込む先で、女は早口に断りを喚き立てながら |
久々にギャグテイスト。外套被ってるから夢主に顔は見えません
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