運命は臆病者に味方しない





「……あ?何、お前」

秀麗な眉根を至極うざったそうに歪めて、いかにも生意気そうにルークは問い掛けてきた。
それに笑みを返しつつも、彼に付いて日の浅いカルミアは口の端を引き攣らせるのを止める事ができない。
役目柄、何回か彼の食事の世話もする機会はあったが、何故に他のメイドの口から、彼に対する文句が
出てこないのか不思議なくらいだった。まあ、自分の器量の問題でもあるとは思うが。
(はぁ……やっぱ、顔なのかしら)
自分の元恋人には負けるけど、と思いながらも、それが負け惜しみになってしまうのは明らかな見目の公爵息子を窺う。
地位に見合った尊大な態度、人に気を遣わない根性、性根のあまり良く無さそうな言葉遣いの悪い口。加えて極度の我儘。
外見と中身が見事にプラスマイナスだ。
いや、もう外見に囚われる必要性のない自分からしてみれば、世話をしていてこれほどストレスの溜まる相手はない。
「ルーク様は本当はお優しいのよ」と、他の世話係は言っていたが、ここ一週間の彼を見ていると、とてもそうは思えないし。

「ル、ルーク様。私、お部屋係のカルミアですわ。ちょっとこのお部屋に探し物があるのですが……よろしいですか?」
「ふーん。部屋係。…今日からだったか?ご苦労さん。……ま、勝手にしろよ」

興味なさげ。

と、いう背後に背負った文字を隠しもせず、ベッドの上でダラダラと本を読むルークの姿に、青筋が濃くなる。
というか、覚えてないのか。完全なる初対面扱いの上に存在無視か。
よくもこんな付き合いにくい人間と、今まで(強制的にだが)は部屋を共にしてきたものである。
ある意味根性あるのかもしれない、そしてそれに同情を禁じえない。
「そ、それでは少しだけ、お邪魔致しますね…」
(……まったく、世話するメイドの顔くらい覚えておきなさいよね…)
本人も勝手にしろと言っているのだし、もう構わず無視して豪勢な絨毯の敷かれた床へと視線を走らせる。
とにかく、最期の願いを言付かったからには、無下にはできない。
「それ」を落とした可能性があるのなら此処だ、と、は言っていた。
まあ、思いっきり暴れた事は覚えているし…と、コメカミから後ろめたい汗が伝った。それにしても。
(よっぽど大事なのかしらね……)
最期の願いにするくらい…ましてや、敵として命を狙った自分に縋るほどに。
そういえば何故自分は復讐相手なんかのお願いを、素直に聞いてやってるのだろう。何となく、諦めを含んだ息をついた。
(…何か……あの人、調子狂っちゃうわ)
こっちは恨みまくっていたというのに、それに対して反抗してこなかったし。
殺そうとした自分なんかを庇って、怪我をするし。
憎んで敵討ちをしようという相手にするには、あの外見とは裏腹に小動物な性格のはあまりにもやりにくい。
そんな事を考えながら、血濡れの腕を掴んだきり、そういえば洗っていなかったな、とその手に何気なく目をやる。

(…――――え…?)

目に留まった違和感を前に、思わず眉を顰めた。
あの時。
べとりとして明らかに水ではない、生ぬるく粘性を含んだ液体を、確かに手の平に感じたのに。
もう一度そこを凝視し、ひっくり返して甲の方も確かめてみるが、どこにもない。
血痕はおろか、爪や皺の隙間に僅かでも残っていそうな、
赤い血の汚れが。もう一度、本当に自分は手を洗っていないか記憶に確認をとってみるも、答えは変わらず。
どういう事だ、と暫し固まる。
まるでそれは掻き消えたようだ。奇妙でならない。いや、そもそもそれだけじゃない。
致死量を遥かに越えた毒入りのスープを飲んだはずなのに、生きている。

(……ねえ…あんた、一体何なの…?)

の本質を少なからず認めてしまってからは、もう「化け物」とは思えなくなった。
会話していると、意外にも楽しかったし。あれは人間だ。少なくとも心は。
――――でも、身体は、明らかにそうじゃない。つくづく何者なのだろう、と、深く考え込もうとした矢先、背後から声が掛かった。
「なぁ」

「…っはい?」

探し物をしている上に考え事を重ねていたせいもあって、主の問い掛けに些か遅れて反応を返してしまった。
慌てて振り向くと、特に気に掛ける風も無く、相変わらず腑抜けたようなやる気のない緑の目が此方を向いている。
「お前さ、…あー……地味ゴリラがどうなるとか、聞いてない?」
何気なく…しかし、どこか気まずそうに言葉を発したルークを訝しく思う。
が。それにも増して、聞かれた事の不可解さに、思考が止まった。いきなり何の事か。
この少年は何というか、いつも言葉が足らないというか、でも理解してもらえないと機嫌を損ねるし。
今の場合、どういう事を言われたのだろう。地味なゴリラ?何かの冗談だろうか?下手に答えられない。
「…………は?……ジミゴリ、ラ?」
何とも図りかねて思わず返してしまった言葉を聞いて、またか、と業を煮やしたようなルークがばつ悪そうに頭を掻く。
あー、もう、だから…と、言われても。そんな珍妙な動物の名前は初めて聞いた。
「アレだよ。俺が呼んだ奴」
「…ああ、様の事ですか。……でも、何でお名ま…」
「い い か ら」
何故か照れたような調子で、すかさず強力に遮られた。
話について行けずに引き続き固まるが、取り敢えず=地味ゴリラの構図を頭の中に浮かべると。
(何かしら……妙に、合うわ…)
十中八九、品も何も無い失礼な名付けはこのルーク坊ちゃんだとは思うが、何故かいい名前をつけたように、思えてしまう。
悶々と考えていると、突っ込まれたくないのか、とにかくそんな事はどうでもいい、と、ルークは先程の問いの続きを促してきた。
「で、どうなんだよ。あいつに襲われたのって、お前らの仲間なんだろ?」
彼が先程の騒ぎの事を聞きたがっている事が、ようやく解った。
しかして、聞いているも何も、自分はものの見事にその当事者である。何というか、答えづらい。
「はぁ……ま、まあ…」
に襲われた、というよりも、を襲った、といおうか。
冷や汗を掻きながら、何とも曖昧な返事しか返せないでいると、聞いて無いんならいいや、と、ルークが手を振る。
「あ、そ。……んで?探し物って、あったのか?」
どことなく、落胆を隠すために振られたような調子で、別の話題が返ってきた。
そこで再び、自分がこの部屋に来た本来の目的を思い出して慌てる。
一応、一通りは探してみた。でも、塵一つ落ちていない其処には、の言ったモノは見当たらない。
「いいえ……見つからないみたいで…。ルーク様、ご存知ありません?……古い懐中時計、なのですけど」
余程ゴミに近しいものでなければ、片付けの際に拾われて何処かに取ってある可能性が高い。
そうなると、部屋の主なのだから、もしかしたらルークが知っているかもしれない。そう思って訪ねたところ。
持ち主を知っていたのだろうか。何でお前がそれを探しているんだ?と、ルークは言いたげな顔をしたが、やはり決まって
の事になると、不機嫌そうに口をへの字に曲げてみせる。
それは毛嫌いしているように見えるだろうが、何だかいちいち反応している所は矛盾している事に他ならない。
カルミアの思考は差し置き、ルークはつとめて何でもない風に仰向けに寝転がると、本に視線を戻した。
加えて、取るに足らない事とばかりに、言ってのける。

「あ?ああ……それなら――――」








―――――これなら、ずうっと、一緒に―――――








「……え?」

なくしてしまった、と自覚した時の何十倍も、頭が真っ白になった。眩暈さえ、した。
何も考えられない。
その事実を受け入れる事を、脳が持てる全力で拒否していたために、もっと別の言葉も、感情さえも出てこなかった。
ただ一言呻いたきり、何もかもが、麻痺して痺れてしまったように感じる。
漠然と、向かう先にはとても大きな喪失感が待ち構えていて、自分を飲み込もうとしているのが解る。

「…で、ルーク様が捨てたっていう、屑入れの中も探してみたんだけど……全部回収されたみたいで…
 ……ねえ、聞いてるの?」

放心しきって立ち尽くす自分を、格子越しにカルミアが覗き込んできた。
目の前に押し付けられた整った顔を辛うじて認識は出来たものの、ぎこちなく頷いて意思表示をする事しか出来ない。
こんな間柄だというのに、自分の頼みを聞いて探しに言ってくれた彼女に、気の利いた言葉も返せなかった。
カルミアはそんなこちらの様子を見て、心配そうな顔をしてくれるが、気遣える余裕が今はない。
捨てた。捨てられた。
何故?ゴミじゃないのに。要らないものなんかじゃないのに。
ずっとこの手にあって、ずっと守ってきたつもりだったのに。

「何?よっぽど大事な物だったの?……残念だけど、諦めた方がいいわ。多分もう、焼却施設に運ばれてるわよ」
宥めすかすようなトーンで、ぶっきらぼうだが声をかけてくれるカルミアの言葉が、かえって胸に刺さった。
大事だったに、決まってるじゃないか。人事だからって、諦めたほうがいいなんて言わないで。
見た目は汚いし、自分以外の誰にも、あの時計が何なのかなんて事を理解出来る者はいないだろう。
生きたまま死んでいるこんな自分の、かつては生きていたという痕跡。
大好きな人達が生きて、そしていなくなって、自分は一人だけれど此処にいると、知らしめてくれるもの。
悲しい朝も、孤独な昼も、寂しい夜も――――自分自身が嫌になって嘆くときは、慰めてくれた。
何度も何度も、思い出を与えてくれる、それがあるだけで、安心できて、



「……………そ、う…」



随分な間の後、無意識のような感覚で、カルミアの言葉に対してそう答えていた。
自分は今、見るも痛々しい顔をしているのか、目の前の彼女はひどく狼狽している。
仮にも仇を、慰めたりしていいものかと必死で思巡しているようである。


「……そう、なんだ…」
捨てられて、しまったのか。



確かめるように。諦めるように、もう一度深い息をつくように、小さく呟いた。

重く感じて、瞼を、顔を、伏せた。
目は見える。冷たい石床、硬い鉄の格子、こちらを窺うメイドの少女。けれどもそれに色を感じない。
自分が何処を目に映しているのかも解らない。
強烈な脱力感に襲われて、立っているのが億劫なのを、ギリギリで耐えた。

諦めよう。話を聞く限り、その他出来る事なんて、なんにもない。

そう思い至ると、急速に自分の中が無になってしまった。あらゆる「有」に対する全てが、馬鹿馬鹿しく思えた。
まだ死んでもいないのに、限りなくそれが近しい所にあると感じられる。

どうでもいいじゃないか。ちっぽけな汚い時計なんか。もういやしない人間、たった二人の事なんか。

心のどこかから、異様なまでに思い出に固執する自分を、客観的に見て嗤う自分がいる。
もういいんだ、もういいから、と、気持ちの奥底とは裏腹に、無理矢理心の上辺で叫んでみた。
そう、どうにもならない。自分なんかにはどうする事もできない。今回も、諦めよう。
いつも通り、諦めに任せて生きよう。時が経てば、きっと忘れられるから。
目を閉じる。瞼のうちに暗闇が広がる。

そう

それで、いい。それでもう、気が晴れる―――――










―――――はずだった。





「…離れて下さい」
「…え?」




駄目だ。そんな事、駄目だ。




あきらめる、だって?






何にもない、無になった心の中に、自問する声を投じた。
馬鹿みたい、と嘲笑してくる自分に、格好をつけるな、とたてついた。



何を、言ってんの。自分。



執着して、何が悪い。縋りついて、何が悪い。自分が醜いなんて、百も千も、万だって承知だ。今更何だ。

馬鹿にされて悔しかったのなら、言い返せばよかったのだ。
打たれて腹が立ったのなら、殴り返せばよかったのだ。
自分を苦しめてくる周囲の全てに仕返してやればよかったのだ。
でも、何故それが出来なかったのかと言えば、大きな変化を恐れていたから。
奮い立って行動したあと、今よりもっと苦しく辛い事になったらどうしよう?そんな思いが、絶えず自分に歯止めをかけていた。
口を閉ざして言葉を呑み込み、目をそむけて現実から逃げ、身を硬くしてされるがまま。
でも。


「そこは、危ないから離れて下さい。…あそこの、階段の所まで下がって、柱の後ろに」
「な、何よ……何だって言うの…?」


よく考えてみたら今、「自分にはもう何にもない」じゃないか。
必死で体裁を保たなきゃならない日常も、気を遣わなきゃならない人間も。失うものも、壊す事を恐れるものも。
最後の、たった一つを除いては。



ガラスケースの中

店員の、微妙な笑顔

銀のメッキ加工の、安い時計

笑っていた母親と、自分と、夕焼け空のしたに、長く伸びる二つの影


「―――――ありがとう、」

嬉しそうな父親を見て、どんなに自分の方が嬉しかったか





まったくもって、楽しい事など一つも無いのに、口の端が上がった。
諦めろと馬鹿にして嗤う自分に、嗤いかえしてやった。
あきらめる、だって?―――――冗談じゃない!


「ここを、出ます。大事な物だから……取り戻しに行かないと」
「で、出る…って、ちょっと…!?」
すっ、と上げた手を拳にしたのを見て、カルミアは慌てて指示通りにその場から飛び退いた。
そんな彼女に、全てを「諦めた」空っぽの笑みを向ける。

諦めたのは、「変化を恐れる事」だ。
もう、変わらない事を、必死で守ったりなんかしない。
そもそも、異世界なんぞに来ておいて、変わらないもへったくれもあるか。
全ては、変わった。何もかも。その中で自分が、一つも変わらずにいられる筈なんて無い。
けれども、人には譲れない何かが、引けない領域が、どこに居ようともあるものだ。
何にもない自分の、最後のたった一つは、それだ。


ぐ、と手に力を入れる。
見た目は絶対に壊れそうもない、黒光りする頑丈な鋼の格子。
果たして、今回も上手くいくだろうか。失敗して痛かったら、なんてちょっと恐い。
何にしろ、ここを出る分に不可能な事はない程度の怪力を、自分は有しているはずだ。
ずっと不可抗力であったが、今は初めて自らの意思で、結んだ拳に破壊の意を込めた力を溜め込んだ。
元々は軟弱者の自分だが、この先死んでも、この能力をあの世まで持っていきたいものだと思う。
そうして、天国にのり込んで、神様って奴を絶対に殴り倒してやる。

でももしも、そんな事をして、そこで暮らす父母の肩身が狭くなったりしたら、


「………ごめんね」
組み合わさった鉄格子の中心部に、ありったけの鬱憤を含んだ力を叩き込んでやった。



…ああ、もう、何もかも、どれだけ理不尽なんだろう!


主人公、33話目にして遂にキレる(遅すぎる)。

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