拒むことは砦となって





昼過ぎに、なった。


びょう、と強い風が窓を叩きつけたかと思うと、ポツッポツッ、と大きな水滴が2、3と窓にへばり付く。
瞬く間に、ザァ、という音が強くなり、薄暗かったガラスの外の様子は濡れた景色へと早代わりする。
退屈だ。あまりにも、退屈すぎる。
荒れる外の世界とは裏腹に、やりたい事も特に思い浮かばなくて、宛も無しにルークは廊下をダラダラと歩く。
メイドの言った通りになったな…、と、大した感慨もなく、ボンヤリと窓に目を向けて考えた。
昼食も済ませた。相変わらず味気なくて、チキンのソテーをちょこちょこ摘まんだだけだ。
それを見た食事の世話をしているメイドが、いつものごとく顔を曇らせていたが、別に何てことは思わない。
さて、いよいよもってこれからどうしようか、と、溜息を鼻から抜く。
部屋に、そろそろ戻ろうか。
そう思い至ると、部屋を共有している厄介な存在の事を思い出す。
全く、相変わらず言う事の意味が解らない上に、腹が立つ、と、朝の遣り取りを思い出して苛立ちが再燃する。
久しぶりに言葉を交わしたかと思えば、やっぱりこうなってしまうんだ。つくづく反りが合わない。
どうして主人の自分が、公爵の息子たる自分が、口ごたえをされなければならないのだろう。
これまでずっと、誰も彼も、父と母以外の人間は大抵自分の言う事を聞いてくれたのに。
あんな、風に。


――――「…何も、思わなかった?今日までこれを…大切にしてきたつもりだった」


怒ったように、悲しいように、感情を混ぜながら何かを真剣に問い掛けられた事なんて、なかった。
確かに、言いたい事があるのなら言え、なんて思っていたけれど、いざそんな風に言われると
どうしても意地が先にたって、自分の非を認めるのが嫌で。


――――「この花、ひとつしか…」


解らないのが、悔しくて、その事を一生懸命考えてしまう自分が格好悪いように思えた。
…違う、自分は悪くない。あんな風に悲劇に浸って意味不明な発言をしてくるアイツが悪いんだと、そうやって。
間違ってない。間違った事なんて言ってない、してない。そのはずだよな、と、問い掛ける先は自分自身と、
その自分を認めてくれる誰か。ヴァンの顔が浮かんだ。
解らない事は、きっと全部師匠なら解る。何でも聞いたら教えてくれる。
無性に会いたくなったが、そうやって駄々をこねるのは非常にガキ臭く思えて気持ちを抑え付ける。
そうして悶々としながらも足を動かし続け、とうとう自分の部屋の前まで帰ってきてしまった。
扉の前に立つと、中がいささか騒がしい事に気付く。
(……何だ…?)
不思議に思いながらも、気にする事無く取っ手を捻って扉を開くと、部屋の中で数人の使用人達が
何やら動き回っているところを目の当たりにした。片付けというか、掃除というか、模様替えというか。随分仰々しい。
「何してんの、お前ら」
素直に驚きを声に出すと、主人の帰還にすぐさま気付いたメイドが作業の手を止めて丁寧にお辞儀をする。
「まあ、ルーク様、お戻りになられましたか。申し訳ございません、間も無く終わりますので、どうかお寛ぎくださいまし」
部屋が片付いてない事を咎められると踏んだのか、恭しく謝罪の言葉を述べるメイドの話について行けずに眉を顰める。
何とも、状況が見えて来ない。そんな事を聞いているんじゃない、と手を振って問いただす。
「いや、ワケ解んねーし。何かあったのか?」
それを受けて、あら、という言葉を顔に浮かべたメイドは、徐々にその表情を曇らせる。
「お聞きになられませんでしたか?……様が、お部屋で……その、…メイドが一人、襲われてしまったようで」
何だって?と、耳を疑った。
あんなに人を怯えるような奴が、どうやって誰かを襲えるというのか。
そんな事するわけない――――というような言葉が口から出そうになり、慌てて飲み込んだ。
なんだってこんな、庇うような事を自分が言わなくちゃならないんだと、そう咄嗟に気付いた。
「あ、あっそ。……んで?今どーなってるって?」
極力冷めた態度に努めて、メイドに問う。彼女は曇ったままの面持ちを崩さなかった。
「はぁ……あの、ルーク様にお断りもせずに大変申し訳なかったとは存じますが……お部屋も酷く荒れてしまって、
 メイドもあまり芳しい状態でなかったようで……危険だから、と様を騎士団の方々が、牢屋に連れて行かれました」
あいつ、また仮にしたって俺の部屋をめちゃくちゃに……、と、呆れて顔を顰めた。
出て行く前にあんな事になってしまったし、誓約の痛みをお見舞いして捨て置いてきてしまったのだ。
もしかしたら、それに対する腹いせというのも、可能性としてはある話かもしれない。
それに、結果こうなってしまった事を考えると、やっぱりの方がおかしい事を言っていたんじゃないかと思えてくる。
ほら、やっぱり自分は間違っていない。変だったのはだ、と、どこか安堵した。
「ふーん……ま、そんなら仕方ねえか。……これでやっと、部屋でのんびりできるわ」
大儀そうに伸びをしてみせて、内心には大して無い喜びを表してみせた。
メイドは「はぁ…」と曖昧に返事をしながら、主人の言葉に恐縮して再度お辞儀をする。
「あとは、塵掃除をすれば直ぐに終わりますわ。今日は屋敷のゴミを処理しますので、ご不要な物がおありでしたら
 申し付けくださいね」
ああはいはい、と適当に相槌を打ちながら、完璧に掃除の施されている筈の部屋に踏み入る。
毎日の掃除よりも本格的に行われたお陰もあって、何だか新しい部屋のようにさえ感じた。
そういえば、テーブルなどの家具もいくつか新しいように思う。

大して気にもせずに歩を進めていると。



パキリ



と、音がした。
お気に入りのブーツの下に、硬質なものが潰れたような感触がある。
拾い損なわれたゴミでも踏んづけたか。
(……あ?何だ…?)
何とはなしに振り返り、確認をしてみたが、あまり見覚えのない物体が転がっているのに眉根を寄せて首を傾げる。
さすがに小柄な部類ではあれど、標準男子の体重の圧力に、金属と言えども耐え切れなかったのだろう。
中身が機械仕掛けのそれなら、更に無事では済まされない。
足の影から、出てきたのは。

「ま、申し訳ありません。拾い忘れが……あら……誰かが落としたのかしら…?」



元々のものより、一層ボロボロになって壊れてしまっている、銀のメッキの剥がれた懐中時計だった。










「ルーク!」

バン、とノックをする気など毛頭無かったような勢いで、ガイが扉を開けて入ってきた。
「おわ!?……な、何だガイか……驚かすなよ!」
いつにも増して強引な幼馴染の登場の仕方に、驚いて目を白黒させながらベッドの上に飛び起きる。
あれ、そう言えば誰にもまだガイを呼んで来いなんて指示は出していなかったのにな、と、首を傾げた。
そんな様子に構うこと無くガイはつかつかと気の急いた歩みで近付いて来ると、問い詰めるように身を乗り出す。
「そりゃあ、こっちの台詞だ!……一体何があったんだ?が、また牢屋に入れられたって聞いたんだが……」
ずいと迫ってくるガイに思わず気後れしてしまっていたが、要件が明らかになると、何だその事か、と体から力を抜いた。
恐らく、その辺のメイドからでも伝え聞いたのだろう。
しかしてそんなに慌てふためく事でもないだろうに、と、気を昂ぶらせているガイに少々呆れを含んだ視線をくれてやる。
「ああ、何かまた、騒ぎ起こしたらしいぜ。大丈夫だって。ここの床も牢屋の床も、対して寝心地変わんねーって言ってたし」
上質の大理石が荒石と屑レンガで出来た床の感触に勝っても劣る事などないはずだが。
小指で耳の穴を弄りながら何でもない事のように言う。
は、公爵の息子という地位を人物の部屋を荒らしたのに加え、その使用人にまで害を及ぼした。
確かに哀れだが、投獄されるのが仕方なくも然るべき流れだろう。取り立てて驚く展開でもなさそうなものだが。
けれども目の前のガイは、その思惑とは裏腹に何故か表情に焦燥感を募らせた。
「のんき言ってる場合か!……聞いた話じゃ、立ち会った白光騎士団が公爵に伺いを立ててるらしい。
 …――――を、殺していいか、……ってな」


―――――何だって?


明後日の方向を向いていた顔を、正面に、ガイの方へと戻した。
眉を寄せて、いつになく厳しい表情をしている馴染み深い青年の顔がある。
彼が何と言ったのか、あまりにも自分とは縁のないような言葉に、理解が追いつかなかった。

「は?……な、何、それ……いきなり」

やっと、状況を呑みこもうとしだしたルークに、ガイは無言で理解を促す。

「殺すって、アイツを?……地味ゴリラを、か…?」

自分でもまるで予測していなかった領域にまで話が及んでいる事に、驚きすぎて冷たい汗が滲んだ。
そう、本当に大した事とは考えていなかった。
せいぜい、少しの間の牢屋で反省させる…みたいな罰だとか、限りなく最悪の状況に至っても、
どこかの家に珍獣として売り飛ばされるぐらいだろう、とか。そのくらいだろうと思っていた。
いや、そのくらいしか、自分には想像がつかなかった。
殺すとか、殺されるとか、そんな次元の話は、自分の周りにはその臭いさえ無かった。なのに。



殺される?あいつが?

殺されたら……死ぬんだよな。

死ぬ?

まさか。


今日の朝、自分が言葉を交わしていた相手じゃないか。
そんな、馬鹿な。いきなりそんな事、信じられないし、うまく状況も呑み込めない。
「はっ、……そ、そんなワケねーじゃん。第一、親父もそんなん許さねーだろ」
空笑いが口をついて出るが、うらはらに、ちっとも自分の心は安心していなかった。
裏付けるように、ガイの顔には微塵の笑みさえ浮かばない。益々、眉間の皺が寄っただけだ。
「……何とも言えないな。最近、に関してファブレ公爵家への不審を訴える使者が訪ねて来てるらしいし。
 公爵もそれに関して頭を悩ませてるみたいだ」
「どういう事だよ……あいつに関しては、俺と同じで外に漏らさないように、って命令出てんだろ!?」
喚いてみたが、現実はそうじゃない、と宣告するようにガイが首を横に振る。
「この屋敷に、何人の使用人がいると思ってるんだ。の事は、ただでさえ隠し様がなかったんだ。
 ……口の軽い奴も、はたまた腹に一物抱えてる奴だっているさ」
そんな。……でも確かに、人が沢山いれば、その分……そういう事なのか?
言い知れぬ焦燥に駆られ始めたルークに気を遣いたいところだが、と顔に渋みを湛えながらガイが続ける。
「それと、お前は知らないだろうが、白光騎士団の方でも色々とゴタゴタがあってな。最悪の可能性は…」
言い淀んでいるのか、単なる息継ぎなのか。ガイはそこで僅かな間をとる。
知らずに溜まった口の中の唾を飲み込み、その先の事実の宣告を待った。
「……そう、低いもんじゃないと思う」
いつだって、ガイの言葉は冗談や軽口を除いては、希望観測を持たない事実に近いものだ。
それなら。
それなら、今は――――いや、そんな、まさか。
いつの間に、どうしてこんなに、自体は深刻になっていたんだろう。
「何だよそれ……どうなってんだよ、おい!?」
思わず聞き返してしまったのに、すかさずガイも応酬する。
「だから!お前に聞きに来たんじゃないか。……何か知らないのか?このままだと、弁護の余地もない」
進んで、この屋敷の中での側に付いてやろうなんて人間が自分達以外にいるはずがない。
何も反乱分子が無ければ、公爵もの抹消を了承する方が益があると判断するだろう。
しかし、そんなに鬼気迫って問われても返答に窮するしかない。自分は当事者ではないのだから。
「俺だって、聞いただけだ……知らねえ」




「……そうか…」
可能性が低いのは解っていたが、とガイは肩を落とす。
考えられない。あんなにまで、人を害する事を恐れていた人間なのに、と昨夜の夜の事を思い出す。
剣の柄すら、握れなかった。血を思えば震えていた。
の事を考えると、聞くだけでは信じられない話だ。ただし、それは彼女が常の状態なら。
解っている。
もしかしたら、自分の所為かもしれない。追い詰めたという自覚はある。
(……それなら、白々しい同情の言葉でも、掛けてやりゃあよかったのか…?)
思わず、苦いものを奥歯で噛み潰したように顔を歪めてしまう。
何であんなにムキになってしまっていたのだろう、昨日の夜の自分は。どうとでも上手く受け流す事も出来たろうに。
今更何にも。使用人ごときには、何も出来ない。




「なぁ……ルーク、お前から公爵に言ってみてくれないか?」
ぽつりと、提案された言葉に驚いて顔を上げる。
自分が?に関して、何かをあの父親に申し立てろって言うのか?
まともに話すら聞こうとしないから、ただでさえ顔を合わせるのも嫌だっていうのに。
「俺が!? 何言えってんだよ……あいつがやった事は事実なんだろ!俺は関係……ねえし…」
そう、だ。
考えてみれば、死ぬって事は、居なくなるって事なんじゃないか?
簡単に、言うなら、そうなんだよな?
居なくなればいいって、思ったじゃないか。気に入らないって思ってたはずだ。
が居なくなる――――自分にとっては、たったのそれだけなんじゃ、ないのか?


混乱して、たった7年の間に得た知識と、自分の心がごっちゃになる。
頭痛さえ、感じる。


「……ルーク」


しかし、そんな思考を読んだかのような、いつになく落ち着きを含む戒めるかのような声音に、思わず居住まいを正す。
ガイは真直ぐに此方を見ていて、視線で射竦められる自分の方が間違っているみたいに感じられて心地が悪い。
だって、あいつだって悪いところは悪いじゃないか。あんな風に、人を苛立たせるような挙動をしているのも悪いし。
反対の事ばかり考えていると、ガイの言葉は言い聞かせるような言動とは裏腹に、自分の神経を逆立てていく。
「……関係無くなんかないだろ?は、お前がこの世界に…」

「ンだよ……俺ばっか悪いみたいに言うな!何も知らなかったんだ!……こんな事、俺は望んでなかった!!」
ガシガシと頭を掻き乱しながら、心を取り巻く嵐のような感情を振り払いたくて、怒鳴り散らした。
思わずガイも言葉を止める。
考えれば考える程、頭の中が散らかっていく。だって、「死ぬ」とか、突然解らないし、そんな事あるはずないし
居なくなればいいって思いもしたし、でも、こんな形なのは何だか嫌だって思うし。
どうしてこんなに、いっぺんに色んな事を考えなくちゃならないんだろう。
「あん時、お前がいいって言ったんじゃねーか!それに、本も石も親父が用意したんだろ!?
 何で俺なんだよ……俺には関係ない!」

殺す、殺さない、そんなの遠い話だ。
自分の目の前で殺されるわけでもない。今までだって、一度会ったきりの人間は沢山いる。
そんな人物が、やれ何の陰謀で殺されただのと聞いたって、少し驚きはするけど、何だか実感がわかない。
「……ルーク、」
何かを言いかけるように、その唇が動くが、結局言葉を結ぶ事はなかった。
ガイはそれ以降、諦めたように言葉を発する事を止めた。
その様子が自分を無言で責めているようで気分が悪くて。
何もかもが、早く過ぎ去ってくれればいいのに。と、それだけが混乱する頭を占めていた。


「死」を、いつ頃から理解出来るんでしょうか。
ルークもこの時点では理解出来てない。それ故の発言なのだと思います。

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