歌が聞こえる。 お母さんに、よく子守唄を歌ってもらったっけ。 髪を梳かれながらだと、5分もしないうちに気持ちよくなって、幸せで、眠くなって。 けれど、どうしてだろう。今、聞こえるのは、悲しくて悲しくてたまらない――――― 「…―――――」 またも、いつの間にか顔を膝に埋めて寝ていた事に、は気付いた。 目を開いてあたりを見ても、夜に明かりの消された部屋は暗闇に包まれ、カーテン越しの月明かりだけが頼りだ。 起きていた記憶の時間はまだ太陽も傾く前だったのに、突然の夜の到来に内心ひどく驚いた。 霞む目元を拭いつつ視線を巡らせると、部屋には自分以外の存在がある。 ルークがとっくの昔に部屋に戻って来ていて、既にベッドの中で就寝している。 やはり意識してなのか、此方に顔を向けないように横向きに寝ている彼の表情は窺い知れない。 今日も、一言も話せないまま。 あの日、構おうとするな、と言われてしまった以上、話しかけることなどは許されないだろう。 それでも一緒の部屋を使わなくちゃならないんだなぁ、と、苦笑が漏れた。 「……………」 青白い部屋の中は、何だか現実に目に映る風景ではないような気がする。 こうして自分が、広い部屋にいるのが不思議で。時間に追われて、眠ろうとしていないのが不思議で。 無音の空間が、尚不思議で。 本当に自分が存在しているのが、現実の空間なのかがとても疑わしくなってくる。 何気なく横を見ると、蕾を重たく下げた花の鉢植えがある。今日も咲かなかった。 もう収まりきらない中に詰った花弁が、蕾の一部からはみ出している。色は、どうやら白。 それでも頑として咲こうとしないそれが、とても恨めしかった。 しかし、それで水をやるのも日に当てるのもやめてしまえば、この花は枯れるのだろう。 そんな、ささやかな「自分が必要とされている事実」を噛み締める事が、今出来る唯一の救いだった。 (…なのに、どうして、咲いてくれないの――――) 問いかけても、応えなど、どこからも返る事はない。 目を閉じて、さっきまでそうしていたように、じっと蹲るけれど眠れる気配はない。 随分たくさん寝てしまったのだろうか、目が冴えてしまっていた。 「…………」 ぼんやりと、布団から覗く赤いその髪を眺める。 長く、しなやかで綺麗なそれに、憧憬さえ覚える。 髪だけではない。容姿も、富も地位も、愛される権利も。 自分とは逆で、どんなに望んでも手に入らないものを全て持っている彼が羨ましくて、憧れで、妬ましい。 そして、どんなに頑張ってみても、ことわざにあるような正反対の存在に手が届かないのが悲しかった。 (……寝てるんだもの、いいよね) 相手は寝ているのだし、「構った」事にはならないだろう。 思うばかりではうまく言葉がまとまらない。溜まっていく心の声を、少しでも外へ出してみたかった。 すう、と、この静かな空間に溶け込むように、抵抗がないように、声帯を振るわせようと、息を吸う。 「………ルー、ク君……だっけ」 初めて、その名を口にした。 囁くように、空気に馴染んだ言葉が、部屋に響いた。 あまりに落ち着いていて、穏やかで、何処と無くその声が心地よくさえ思えてしまって、自分の声だとは思えなかった。 呼んだ事はなかったけれど、確か彼の名前は、そうだ。 ルーク、という、名前。 日本にはまず無い名前で、発音するのが何だか気恥ずかしい。それはガイやペールにも当て嵌まる事だが。 にしても、相手はこちらの名前すら呼ばないのに、何だか悔しい。まあ、いいんだ。どうせ、漢字に込められた意味も含めて 私を呼んでくれる人達はもういない。本当の「」は、もう聞こえない。 「………ごめん、なさい……ね」 謝るのは、もうクセだ。 何も考えないで発言しようとすると、いつだって「ごめんなさい」と、言ってしまう。 ―――――そうやって生きているから悪いのよ そう、本当に。何かは解らない罪に脅えて、私は生きてる。生きていていいのか、解らない。 「いなく、なれれば………いい、のに……ね」 あの世界から私が消えたように。 この世界からも―――――いいや、この存在自体が。 もう、どこへ行っても、自分は笑う事が、涙をこぼす事が、出来ない気がする。 意味が、無いんだ。 呟いた言葉を脳内で反芻して、人として失格だとは思いつつも否定出来なかった。 だからってそれで、死ねるはずもないクセに。何を考えているんだ。 これは完全に頭が参っているなあ、と、首を横に振るった。 寝起きで、また溜まったストレスで、脳がオーバーヒートを起こしているのに違いない。 今度こそ水でも浴びてすっきりさせよう、と、立ち上がる。こんな時間なら流石に誰にも会わないだろうし。 大分暗闇に目が慣れてくると、ぼんやりと丑三つ時を指す時計が目に入った。 そういえば、今日はガイに風呂の断りを入れてなかった事を思い出す。 あの日から、相変わらず浴場は使えそうもなかったので毎晩ガイに例の音機関のレンタル使用を申し込んでいた。 もしも今日もガイが、自分を待っていたのだとしたら。いや、その可能性は彼のこと、限りなく高いのだが、だとしたら 悪い事をしてしまった。さすがにもう、寝ているだろうけれども。 虫も寝ているのだろうか。音の無い裏庭は、満月の光に静かに浮かび上がる。 それも、蛇口を捻って出てきた水の水音に破られてしまったが。 手の平で、ほとばしる透明な液体の温度をある程度確かめた後、そのまま頭を直接そこにつっこませる。 きゅう、と後頭部の血管が引き締まって、軽く眩暈を覚えた。 「……………」 その冷たさにも、時が立てばある程度慣れてくる。 冷えて冴えたはずの思考で、もう一度考えてみた。 『じぶんなんて、いなくなればいい』 これほど卑屈で、馬鹿馬鹿しくて、悲しい考えはない。 人として最も考えてはいけないし、口に出せば耳に不快なことこの上ない言葉となるだろう。 けれど。 誰もがとは、言わない。でも、一度たりとて考えた事がないのかと聞かれれば、否定出来ない言葉だと思う。 ふと、自分がいない方がこの世は幸せなんじゃないか、と考えてみた事がある。 それでも、今まで生きてきたのは。 (……許せなかったから…だから) ちゃんとした理由があったからだと、自分に言い聞かせる。 邪魔だから消えてくれと言われても、そうはいかない、と言い返せる立派な理由だった。 私の生まれた意味を奪った人たちを許さない。きっと、復讐してやる。今は無理でも、きっと……いつか。 「そうだよね………だから、早く、元の世界に帰らないといけないん、だよ…ねぇ……」 言い訳みたいに聞こえたごく小さな呟きは、髪の毛を伝って落ちる水温に溶けて紛れていった。 「……ッ?」 急に、降り注ぐ水の温度が変わった事に驚いて、頭を上げる。 どれだけ慣れても冷たかったそれが、肌に優しい温度になったかと思うと"お湯"になってしまった。 滴る水が肩口を濡らすのも構わずに背後の草をふむ音に振り返ると、やはり。 「な、何……やってるんですか、こんな時間に……?」 「そりゃあ、コッチの台詞だぜ、。そんな事してたら、頭の血管切れちまうぞ?」 微笑を浮かべながら、穏やかに咎めてくるガイが、月明かりの下に立っている。 予想外の遭遇に、驚いて開いた口を塞げないでいるこちらに苦笑を深めると、拾い上げたタオルを放ってくれた。 「わ、あ、とっ」 慌ててそれを受け取ってしまってから彼の方を窺うも、その様子は常のものと変わらない。 こんな時間に起きて歩いているのがおかしいと言えば向こうもそうだが、加えて頭から水を被っているなんて 精神衛生状態がよろしくないのは明らかなのに。 「あの……」 「……ほら、とりあえず拭けって、頭。風邪ひくぞ」 上手い言い訳も思い浮かばず、気まずさに口篭るも、つとめていつもと変わらない調子で接してくれる。 それが申し訳ないのと同時にひどく安心できた。 「…………」 そんな気遣いに、言い訳も諦めて落ち着くまでは黙る事にした。 「月……ここにもあるんですね。私が知っているのとは、少し色が違う気がしますけど」 「月?……ああ、ここでは"ルナ"って言うんだよ。オールドラントの衛星。太陽は"レム"っていう」 二人。微妙に、距離を空けて。 特に大した事を何もいう事なく、丸い月を眺めながら、続かない会話をポツリポツリと楽しんだ。 この前、この世界で二日目を過ごした日の夜も裏庭でガイといたなあ、と思い出す。 今日のように、月が明るくて。 とても綺麗な出で立ちの後姿が、記憶にある。 冷たく冴え冴えとした剣の光が印象的だった。 けれどもそれは―――――人の命を奪うかがやき。 何度も浴びた血の赤をぬぐった、それでも美しい銀の色。 翳ったガイの表情と、冷ややかな声を思い出して背中がぞくりと、した。 今ここにいるガイにはそんな面影はないけれど、でも。 横に佇む彼の腰には、いつでも抜ける凶器がある。そう考えると、恐ろしかった。 「溜め込むタイプ―――だよな」 「……え?」 ふと、ガイの洩らした脈絡のない言葉に、首を傾げた。 一拍間を置くと、困ったように、けれども真摯な笑みがこちらに向けられる。 「この前、言ったろ。辛かったら、言えってさ。 ……何かルークの奴は最近調子悪そうだし、同室とはいえ、なかなか言えないだろ、泣き言とかさ」 「……………」 むしろルークが悩みの中心でもあるのだから言えるはずもないのだが。 答えあぐねていると、それをどう取ったかは解らないが、哀れむようにガイは眉を顰めた。 「あっちに、親とか友達だとか、残してきたんだろ?……帰りたい、よな」 「……」 おそらく先程の呟きを聞かれていたんだ。このタイミングで、確信めいた問いだという事は。 でも、その言葉はいらなかった。そんな事、聞かれたところで。 本音を叫んだところで、望みなんて叶うはずもないくせに。 蔑まれるのが辛いと叫んだところで、みんなが好きになってくれる事なんかないくせに。 帰れるはずがないんだ、どんなに訴えても。 どうして、私ばかり思い通りにいかないんだろう。 お金が無くても我慢しているのに。馬鹿にされても悪口を言われても黙っているのに。 何にも出来なくても、頑張る努力はしているつもりなのに。 望んでいるのは多くなくて―――――復讐して、見返してやりたい、ただそれが叶えばいいのに。 それなのに、異世界なんかにまで飛ばされて。神様だかはそんなに私の邪魔をしたいのか。 震える右手が、服越しにポケット中の懐中時計を握りしめる。やりきれない思いを、そこに吐き出すように力を込めた。 どんなに傍にいられるんだって、自分を慰めてみても、言い聞かせてみても。 彼らはもう、思い出でしかないのだから。 「………誰もいません。……でも、帰ら…なく、ちゃ駄目で」 「…え?」 押し殺した声は、返事と言える程の明瞭な響きを持っておらず、聞きそびれたのかガイは問い返してきた。 もう、抑えられなかった。感情が入り乱れる。これを聞けばガイはどう思うだろう。同じように同情してくれるのだろうか。 「……誰も、私を待ってなんていません。……でも私は帰らなくちゃ、ならないんです。 …―――――復讐…したいから」 それしか、今は理由が無いから。 辛くてもいい、一人ぼっちでもいい、幸せなんかじゃなくてもいい。 自分のこれから先の、嬉しい事も楽しい事も、幸せなことはきっと全部、尽きてる。 だったら、「やらなくちゃならないコトがあるセカイ」に帰らなくちゃ。 「だから……帰りたい。向こうに…許せない人が、いるから」 そう思い込めば、強くあれる。 自分の存在を、必要かそうでないかの次元から切り離して考えられる。 「…………………」 「…………」 長い沈黙が、降りた。 質問をしてきておいて、あれからガイは何か言葉を発しようともしてこない。 ただ、負でも正でもない顔が、こちらを向いて微動だにしない。 「………復讐…?」 ようやくの理解なのだろうか?ゆるゆると言葉を呟くガイに、ええ、と強めに答えて頷いてやる。 しかし、また暫しの沈黙が降りた。 雲が掛かって、少しだけ月の光が弱くなった。 微かに強く吹く風が、ざわ、と木を揺らし、静寂を奪っていく。 まだ濡れている髪の毛が頬にあたるのが冷たかった。 先程浮かべていた微笑も消え、何の感情も読み取れないガイの顔が無言のままこちらを向いている。 その様子を訝しく思いつつも目を見つめ返す勇気はなく、彼の首元のシンプルな装飾の周辺に視線を彷徨わせた。 (……何…?) やがて。 す、と、人が良さそうでそうは見えないが、実は結構釣り目がちな眼が細められる。 俯き加減になった顔に、翳が落ちた。 それが、あの時の冷たさを孕んでいるのだと気付いた時には、遅かった。 「…――――甘い事、言ってんな」 不意の一突きが、ずぐりと胸の内をえぐる。 「――――え…」 かすれて、殆ど息として出た声が、風の音に消えた。 「………復讐?お前が?……言葉の意味、解ってて使ってるか?」 とても低い声。 本当に、ガイが? ガイの口から出ているものだなんて、自分に向けられている言葉だなんて、信じられなかった。 「………軽い気持ちで、半端な覚悟でやろうとなんてするな。 …そんな奴は、"復讐"だなんて口にする資格すら、ないんだ」 どうしてしまったのだろう、ガイは、急に。 自分はそんなに、確かにマトモな事ではないが、彼を怒らせるような事を言ってしまったのだろうか?それとも、 目の前のこの状況は、嘘なのだろうか?夢?幻?―――――でも、でも私は。 例え誰であろうとも、「甘い」だとか「半端」だとか、そんな風に言われて黙ってなどいられない。 「わ、私は!本当に許せなくて―――だって、私には他に誰もいなかったのに…大切な人達だったのに!……だから」 知らないくせに。 私がどんなに彼らを愛していたか。彼らを失った時にどんなに泣いたか。 どんなに、暖かさを失った毎日が苦痛だったか―――――それでも生きてきたのは。 「大切な人のため?……復讐が正義だとでも思ってんのか?その為なら殺す事を厭わないって?」 「ち、ちが……だって、お父さんもお母さんも、きっと…」 きっと。復讐なんて望んでいない。…そういう人達だった。 けれども、そんなキレイな理由なんかで、赦されていいはずなんてない。納得もいかない。 くだらない物語の最後はいつだってそう。死んだ彼らは望んでないって、じゃあこの虚しさも恨みもどこへやればいい。 ……そうだ、これは、自分のためだ。 赦せないという自分だけの正当な言葉の元に、エゴで、私は生きているから。 「でも、私、そんなに軽い気持ちなんかじゃ……」 必死にいい返そうとする言葉を跳ね除けるように、目の前に ぐ、と突き出される物があった。 訳が分からず戸惑い、脅えながらも冷たい彼の顔を窺う。 「じゃあ、俺を斬ってみろよ」 顔の前に突きつけられたのは、あの腰に下げられていた滑らかな曲線を描く彼の剣。 「え――――…なん、で…」 「例えばさ。俺を殺さないと復讐は果たせない…そうだとしたら、どうする? ……いや、そんな事をするまでもないな。軽くでいいから、俺の腕を斬ってみろよ。出来たら、認めてやるさ」 さあ、と、更に剣を近付けられるが、それを受け取る事すら出来ない。 鞘から抜く事なんて到底出来ないこちらに、ガイは親切にもスラリと抜いた刀身と、左腕を差し出してくれる。 「な、何で……?こんなこと……復讐には関係ない、じゃ、ないですか……!?」 間近で見る本物の、艶かしい刃に、唇が震えた。 どうしてもその柄を握る事が、否、…腕さえ上がらなかった。 その様子に、鋭い光の宿るガイの細められた瞳が更に伏せられ、悲しみのような感情が僅かにそこに垣間見えた気がした。 「……なぁ、。復讐なんて、そんなモンだよ。何かの建前にやるようなモンじゃない。 必要なら……いや、都合の良し悪しでも、関係ない存在を戸惑わずに斬らなきゃならないかもしれない」 「………っ…」 唇だけでなく、肩が、足が、手が、震えた。 目の前の剣と、「斬れ」と差し出された彼の左腕が、恐くてしかたなかった。 だって刃が、すごく鋭くて、これで斬ったらきっと、痛くて、血が沢山たくさん出て。 ううん、人間の皮膚を斬ったら、どんな感触がするのだろうと考えただけでも、胃から込み上げるものがあって喉が詰った。 動揺に呼吸が乱されて、無意識に首を横に振っていた。恐ろしくて、気持ちが悪くて。 「わた、し」 でも、だって。 憎しみの心は本物で、大好きな両親のためならば、どんな事にだって手を染める事ができる自信はあるのに。 「私……ッ」 だって、それを失くしてしまったら、私は何で生きてるのって、話になるから。 「違……」 けれど、でも。 ねぇ、私。 ほんとうに、できる? 「どうした。別にいいんだぜ。これでも鍛えてるんだ、多少傷付けられても問題ない」 手に当たった人の皮膚の感触が、耳に残る生々しい悲鳴が、流れ伝う血の赤が動かない体が恐くて、 恐くて恐くて、恐くて堪らない。その私が―――――出来るっていうのだろうか? ふるふる、と、顔を覆って首を横に振る。 (でき、ない―――…) きっと、生きているものを前に、それを奪う事は私には出来ない。そう、さとった。 じゃあ、私は、出来もしない事を掲げて生きてきたって事なんだ? 「自分だけが苦労してますって顔してりゃ、誰かが助けてくれる、ってか?」 自分の根底が分からなくなって、変な汗が滲んだ。 かけられた声に反応して、定まらない瞳が月明かりで逆行になるガイを捉える。よく見えない、けれど。 彼は笑んでいた―――――底知れない酷薄な色を、その唇に宿して。 何で、どうしてそんな顔を自分に向けるんだ。 いつだって彼は優しくて、助けてくれていたはずじゃないか。 「ご……な、さぃ…」 「……?」 全てが偽りだったのか?何もかも、上辺だけの顔と、言葉でしかなかった、と? ああ、そうなら、何て事だろう。 5年近くも経ちながら、全然私は成長していない。また、騙されてしまったんだ。甘い言葉と甘い顔に。 自分に好意的に接してくれた人は、笑顔を向けてくれた他人は、みんな最後に裏切るのだ。 信じた分だけ、踏みにじられるのだ。 だから、嫌だ、どうか近寄らないで。名前を呼ばないで。お願いだから私に期待させないで。 「ごめん、な、さい」 「…おい、、」 嫌いなら嫌いだって、最初から言ってくれれば良かった。 ルークみたいに、お前なんかいらないって、本当の事を言ってくれれば、壊れなかった。 生きてる価値も意味も、もうどこにもないんだよって、そう言ってくれれば、もう諦めるよ。いいんだよ、もう。 「――――嫌だ……もう、いや、だ。ごめんなさい…」 月の光が冷たくて、瞼を閉じた。 冷ややかな目も、蔑むような目も、化け物を見るような目も、私を残して全てが綺麗な世界も。 全部全部見たくなくて目をぎゅっと瞑った。 それが潰れてしまえばいいとさえ、思った。 風の音が恐ろしくて、耳を塞いだ。 冷酷な言葉も、侮蔑の言葉も、罵倒の言葉も、私以外の全てが幸せそうに笑っているのを。 全部全部聞きたくなくて、爪を立てた。 それが千切れてしまえばいいとさえ、思った。 「ごめ、なさい……ごめん…ッ」 「、なあ、聞けよ!お前は――――」 わけが分からなくなる中で、耳を塞いだ手を強く掴まれる感触があった。 もう、駄目だ。これ以上は心がもたない、と、馬鹿に冷静な頭のどこかが判断して、囁いた。 人を拒み続けてきたのは、拒絶されるのが恐かったから。 自分の心がとんでもなく弱いって、解っていたから、傷を負わないように人から隔離して、守っていた。 ああ、そっか、わたしは――――― 『全部、あいつらのせいだ』―――――自分の手を汚す事を恐れて 『ゆるさない。絶対に赦さない!』―――――自分の存在価値をなすりつけて、負の感情に逃して 『復讐してやる…いつか見返してやる!だから…』―――――だましだまし生きて、必死に守ってきた 守りたかったのは、思い出でもなく、復讐の決意でもなく、自分という存在ただ一つ。 掴まれた手にはかなりの力が込められていて、簡単に離れようとはしなかったけれど、 それでも化け物である自分の力には敵うはずもない。力任せに振り払った。 「!」 「ごめんなさい…!!」 もう、上辺だけで笑えなくなってしまうから。触れた暖かさを取り上げられたら、立ち直れないから。 ごめんなさい、ごめんなさい。何度だって謝るから。 もう気に障るような事は、いっさい言わないから。 「……っ」 踵を返すと、無我夢中でその場から逃げ出した。 そう、それでいい、と、自分が自分を嘲笑してくる。 ほら、いつも通り。いつだって、そうだったでしょう。謝って逃げちゃえば、それでお終い。 あとは、何にも残らない。 好かれなくて、いい。だから。だから、どうか――――― ―――――私が生きていく事を、誰かに赦して欲しいんです。 雲から月が完全に抜けると、所々の闇を残して、風の音しかしない裏庭が照らし出される。 走り去った人物の痕跡のように、閉めそこなわれた蛇口から、か細く弱々しい水の筋が伝っていた。 「……そうだな…お優しい奴なら、哀れんで助けてもくれるだろうさ。けど……違うよな、」 伝わらなかった、伝えられなかった言葉を、一人きりのそこで言い聞かせるように呟く。 「欲しいのは、薄っぺらな同情だとか、勝手な想像で押し付けられた悲劇の舞台なんかじゃないはずだろ」 きゅっ、とコックを捻って虚しい水の流れを打ち切った。 ざわ、と、葉が擦れる音が大きくなり、俄かに強く吹いた風に金の髪と襟元が大きく乱される。 ついた溜息も、それに一緒になって掻き消された。 す、と、空に静かに浮かぶ淡い光を放つ球体に目を向ける。 「…――――何、ムキになってるんだかねぇ」 それは自分に向けての言葉だった。 「甘っちょろい事しか出来ないでいるのは、てめえも同じだろうがよ」 抜いたままの剣の角度を変えると、刃が月の光を反射した。 今日もこうして結局、例の如く抑え切れない遺恨に、眠れない時間を潰していたくせに。 「なァ……ガイラルディア・ガラン・ガルディオス―――――…」 |
生き残ったのが罪なら、この日々は罰
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