土を運んだり、枯れ草や除かれた雑草の束を処理したり。 底を這うような水準の暮らしといっても、一応都会暮らしだったにとっては中々に慣れない作業の連続だった。 この星で動く分には負担は少ないとは言っても、流石に滲んだ額の汗を拭って息を吐く。 「…ふう…体力、元から無いからなぁ…」 しぶとさには自信あるけど、と呟きながら付着した土が固まって白くなった手を、ぱんぱんと叩いて腰を上げ、ペールを探した。 あれからずっと、運搬だとか簡単な仕分けだとかの単純作業を申し付けられ、今の雑草運びで粗方そういったものは 見る限り終わったようだった。 「そうか…あとは、そうじゃの、……ううむ…」 案の定、どこか「終わってしまったか」というような言葉を含みながら眉を八の字にして唸るペールの様子が、心に引っ掛かる。 今だけと言わず、与えられた作業が終わる度に彼の手をとめて指示を仰がなければならないのが心苦しかった。 彼が頭を悩ませる、まだ慣れない自分にも出来る事を、と、申し付ける作業にも気を遣ってくれているからだろう。 かえって邪魔になっているような気がする。早いところ彼の手を煩わせる事のないようになりたい。 そう密か焦るものの、窺う先で老人は困ったような溜息をついて申し訳なさそうにこちらを見た。 「ふむ…仕方がない。それでは、そこの空いた袋に土を詰めて貰えるかの。出来るところまで… …もう直ぐガイが戻ってくるじゃろうて。今日の作業はここまでにしよう」 「…えっ?」 今日の最後の作業だ、と言うペールの言葉に、思わず目を丸くして声を上げる。 見上げてみても、太陽は真上から少し傾いただけで一日はまだこれから長い。 始めてから2時間半ほどしか、経っていないじゃないか。それなのに。 知らないうちに、何か失敗でもやらかしてしまって、それで今日の所はやんわりとお払い箱にされているのだろうか。 後ろ向きな思考に捉われそうになるが、失敗できる程の複雑作業をさせてもらったわけでもない。 「で、でも」 「む?何かの」 「別に、私まだ…」 たとえペールの言葉だと言っても納得できず、ここで引き下がるのは何だか嫌だ、と視線を彷徨わせると。 「あ、それ。お花植えるんですよね。私も手伝いたいんですけど」 指差す彼の足元には、新しい花の苗が沢山ある。 呼び止めるまで、彼の方はずっと一株一株丁寧にそれらを植えるという作業をしていた。 それでなくたって一日中、ペールはこの大きな中庭を始め、点在する屋敷の殆どの植物や庭の世話をしている。 これほど多忙な彼の元に就かせてもらっているというのに、自分だけが早くも暇を出されるのはおかしいし、申し訳ない。 好意にも似た思いでそう申し出たのだが。 「…すまんが、まだわしの作るものに触って貰うつもりは無いんでな。今日は、この場でして貰う事はもう無いんじゃよ」 「え…?そ、そんな」 間をおいて、目を伏せつつ息を吐くように放たれた言葉。 戸惑うばかりで、上手く返す言葉を見つける事が出来無い。 言われた事は解るものの、その意味が、理由が、解らなかった。 「だ、だったら、尚更じゃないですか。早く色々覚えれば、ペールさんの迷惑になる事も無くなるのに」 「…そうは言うが、"お手伝い感覚"で仕事をされる方が、よほど迷惑じゃよ」 その言葉には、怒気は全く含まれておらず、静かに、けれどえぐられるような鋭利さがあった。 思わず言いかけた言葉の先が、喉元に留まる。 「わしは、こんな老いぼれた身にも関らず、この公爵家の庭を任されておる」 彼が自慢げに目を馳せるそこは、きっと誇ってもいいくらい、自分の目にも綺麗だ。 「そのご恩に報いる事が出来るよう、精一杯手を入れてるつもりじゃ。名折れに繋がるような事をしてもらっては困る」 ただ静かに、言葉は厳しいものなのに穏やかなままの口調は、その情熱を物語る。 ああ、そういうものなのかもしれない――――何となく、彼の言いたい事が解った。 あの時、月明かりの中のいつにないガイの翳った表情を思い起こした。 汚されたくない場所、踏み込んで欲しくない場所、そういうモノを守ろうとする故に、厳しくなるのだろう。 恥ずべきは、やはり自分の方だ。中途半端な気持ちで、人の領域に踏み込もうとしているだから。 そんなつもりは無かったが、改めて心構えを指摘されれば、確かに自分は彼の大切なものに触れる事の出来る 資格を持ってはいなかった。 (…でも、なら、私だって…) 自分が出来る最大限の事を、やりたいと思っている…今は。 働かなくても美味しいものが食べられて、自由な時間も沢山あって。そんな生活が夢みたいだと憧れていたのに。 その時の私に言わせれば贅沢だと非難されるだろうが、手に入れてみてそれが全くいいものじゃないと解った。 こんなに心が不安定になるものだと解った。だから、何でもいいと言ってしまえば聞こえは悪いけれど、何かをしたい。 そういう根元だけは、真剣なつもりだ。心構えがなっていないというのなら、いかようにも本気になってみせる。 「…なら、…どうすればいいんですか?別に私、どんなことだって、」 「」 ムキになる事と、本気を見せる事は違う、と、そう言われたような気がした。 名を呼ばれて、自分でも自覚があったからこそ思い当たったその諭しに言葉を詰らせる。 認めてもらいたいから仕事をしたいのに、それをするなと彼は言う。 どうすればいいんだと、そう問い詰めたかったのだが、年を重ねた貫禄のある目が自分を制していた。 仕方なく、姿勢を正す。 「…ガイが来てから、次にして貰う事は説明しよう。それまでは土嚢作りを頼む」 「………」 言葉と勢いをおさめたこちらを見て、良く出来ましたと言わんばかりの顔でペールは微笑んだ。 全てに納得は出来ないものの、けれど聞く限り自分にはまだ余地が与えられているのだと感じられて安心した。 安堵の息とも言えなくも無い溜息をつくと、降参です、と空いた編み袋に手を伸ばす。 「……はい。わかりました」 言われた通り、きっちりと文句の付け所のない程の完璧な土嚢を作ってやろうじゃないか、と意気込んだ。 それが認めて貰えるための第一歩だというのなら。 ほどなくしてガイが現れたので、結局完成した土嚢はたった2袋だけだった。 「お、頑張ってるな。ちゃんとコキ使われてるか?」 親しげな冷やかしに、少しばかり浮いた心で振り返る。 見ると「よ」と片手を上げたガイが、反対の手に荷物を持って立っていた。 (また手荷物持って……何だか、えーと…役不足って言うのかな…) 思えば昨日から彼が現れる度小脇に抱えているものは、自分関連の物ばかりだ。 執事服にしろメイド服にしろ、タオルやソープにしろ、この作業着にしろ。 色々良くしてもらっておいてなんだが、剣の冴えといい人柄といい、役柄が釣り合わないのではないか。 そんな考えを覆い隠しつつ、へらり、とまだぎこちない笑みを返す。 「い、いえ…あんまり大変な事はやらせて貰えないから、楽で困ってます」 それを聞いたガイが眇めた目で「オイオイ?」とペールに問いかけるが、相手はそれを受けても土いじりの手を止めないで ふん、と鼻を鳴らした。 「まだ、初日だとて、随分と余裕のある事を言うもんじゃのう……さて、よっこらせ」 そうして立ち上がると、ペールは庭の端の一角へと歩いていく。次の指示は、ガイが来たらと言っていなかっただろうか。 自分は一体どうしたらいいのか。 判断がつかず、取り敢えず完成した土嚢の口を紐で縛ろうと試みる。 ペールと距離が出来たのを横目で確認すると、そこへガイが歯切れの悪い声をかけてきた。 「あー…と、さ。何か俺が言うのも変な話だけど、さ」 「?」 ガイの顔には、またいつもの苦笑があって、人差し指が頬をかいている。 「ペールの奴、気に入った若い人間にはああなんだ。言ってる事とか、何かいきなり厳しいかもしれねえけど…ごめんな」 何を言い出すのかと思えば。此方こそ苦笑しか返せない。 何だってガイに謝られなければならないのか。そしてガイが謝っているのか。 とはいえ、彼の気持ちも解らないでもない。斡旋した立場から来る責任感に似た気持ちも、 ペールと親しい人間としての、彼をフォローしてやりたいという気持ちも。 言わんとする事は解るから、謝罪など必要ないのだから、首を横に振ってそれを伝える。 いつもこうした役回りばかりだ、彼は。苦労しているなあと思う反面、他人をそこまで理解出来る彼が、少し羨ましく感じた。 理解には、勇気が伴う。けれど自分にはそれが無い。 人を信じてもいいという余裕が、この窮屈な心には。 「…大丈夫ですよ」 ならば出来る事を、と、彼のよれた苦笑いをする回数を減らしてやりたいとも思うのだが。 「元の世界のバイト先の先輩達の方が、嫌味はキツかったですから」 事実であるが、フォローのつもりで口にした言葉に、またもガイにはよれた苦笑を返されてしまった。 「」 背に掛けられた声に振り返ると、いつの間にか戻って来ていたペールが立っている。 「これを」 そう言ってずいと差し出されたのは、小さな鉢植えだった。 土から伸びた細長い、若く瑞々しいシルエットの先端には、まだ出来かけの花の蕾らしきものがある。 茎の延長線のようなその下に、どんな色の花弁が眠っているのかは、まだ窺い知れない。 「……?」 押し付けられるまま受け取ってしまったそれを手の中で持て余し、ペールに視線を戻す。 先程の話では、庭を形作る作業…勿論植物などにはまだ触らせて貰えないものだと思っていたのだが。 そんな疑問の視線にも彼は動じずに、こちらの手に納まった花の蕾に穏やかな目を向けている。 「お前の、目下の仕事じゃ。その花を咲かせる事」 お試し、という事だろうか。それにしたって、鉢植えという形に収まっていても、向けられる眼差しは 庭にある他の草花へのそれと変わりはない。この花を枯らせる事は、彼の大事な物を壊してしまう事と同義なのだと感じた。 「でも私…花なんて育てた事が…」 だから作業に参加させて貰って覚えようというのに、とが訴える隙を許さず、ペールはもう一つの何かを押し付けた。 「…本?」 「方法については、この本に記されておる。他の植物の育て方についても、ほぼ全てな。 丈夫な花じゃから、その本に書いてある事を間違えなければ枯れる事はない」 ああそうなんですか、と、素直に頷けずに目を丸くしてしまったのは、その本が素人が読めるような本ではなかったからだ。 シンプルで余計な装飾などの類は一切なく、ただ題字と著者のようなものの表記のみという近寄りがたい装丁。 更にはその分厚さ。中身に至っては植物の図説は載っているものの、容赦の無い程の量の横文字、 …あの丸くてクネクネした、この世界の文字がびっしりと並んでいる。 冗談かと思ってペールの顔を窺ったが、いたってそんな様子はない。 こんな本を、読めって。何でそんなに簡単に言うんだ。ぶわ、と言い知れぬ感情に、冷や汗が湧いた。 「ご、存知…ないかもしれないんですけど」 無理だ。絶対に無理。出来ないに決まってる。 「ペールさん。私、文字が読めないんです…」 言葉が通じるから、文字も解読出来ると思われているのかもしれない。そう思いたいのに。 知っている、と、言葉にはせずに、さも当然と頷いてみせるペールを見て、泣きそうになった。 「…なんじゃ。どんな事でもすると、お前は先程そう言ったと思ったんだがの」 (そ、そんな…) 日本語で言うなら、五十音もさっぱり解らない状態の所に、大学の参考書レベルの本を読めと言われているのと一緒だ。 彼の意図が、解らない。いや、解りたくない。 いい人だと思っていた。ここでの数少ない味方だと、思っていたのに。 まさか。今更ここで突き放そうとでもいうのか。 無理難題を言う事で、本当はやっぱり、私の事を厄介払いしたいのではないか。 人の心なんか、解らない。表面ではそう見えなくたって、内側では嫌悪しているなんて事は、ざらだ。 生きてきて何度も覚えのあるその感覚が甦る。ああまたそうなのか、と、しかし今回ばかりはそうあって欲しくなかった、と。 心が緩んでいたぶん、震えさえきたしそうなのを耐える。 「……。…ペール、もう少し言い方を…」 流石にこれは、とショックを受ける顔を晒した自分を心配してか、ガイがペールに抗議の声を上げようとする。 けれどもそれは途中でペールに手で制された。 「人と話をする時は、顔を上げてちゃんと相手の目を見て話してはどうかな、」 「…!」 呼吸が一瞬だけ、出来なかった。 当たり前の事が、自分には出来ていなかったのが、無性に悔しくてみっともなくて、かっと顔が熱くなった。 「目で、感情を窺い知る事も出来る。相手の感情を知ろうとせずに、闇雲に怖がっていてはいかん」 厳しい言葉のはずなのに。 優しかったペールへの好意が抉られて行く分だけ、否、それにも増した勢いでまた新たな気持ちが蓄積される。 ――――めをみて、はなしなさい? 先生に言われたから、そうしようとしていた時期もあるけれど、みんな私から目を逸らしてた。 そう言った先生だって、クラスに溶け込めない私から目を背けていたから、私にだけは適用されないんだって、今までずっと。 正しい事だという事は解っていたけれど、そうしたら、いつの間にかちゃんと目を合わせる事が怖くなっていて。 恐る恐るだが、顔を上げてペールの目を見た。変わらず、静かな目だった。 彼の言うような感情など、具体的には解らなかったけれど、でも。 拒絶は、見て取れなかった。少なくとも、回りくどく自分を遠ざけようなどと考えているような目ではなかった。 そうだ、よく考えたら解る。その証拠に、託された鉢植えは彼の大事なものじゃないか。 「何かしたいと思うなら、まず学べ」 ぎこちなく合わされた目を離すまいと、力強い眼差しでペールが言葉を紡ぎ始める。 「わしから教えられる事ならば、何でも教えてやろう。…それでも、お前から試みん限りは、解決しない事もある」 「…………」 自分は、駄目な人間だと思う。でもだからといって、それを改善しようと思っていなかった。 自分が大嫌い…それで終わり。好きになろうとする努力もしなかった。自信なんて、つくはずもない。 もしかして、ペールがこの方法を示してくるのは、それを解決に導くためなのだろうか。 「お前は、此処に居て、何としたい?」 ここで仕事をしたいと、存在意義を得たいと望むのなら、この世界の事を少しは知ろうとしなさい―――そう言われているんだ。 「…ペール……さん」 本と鉢植えをを胸に抱き、そこへ力を込める。 何度、好意に見えた悪意に泣いたろう。 何度、親切な仮面に騙されて痛い思いをしただろう。 ここで私を陥れた所で彼らに得な事なんて一つもないけれど、こんなにまで親切にされる理由もない。 理屈抜きの好意なんて、あるはずがない。 解っているよ、この人達がいい人だって事は。けれど私はそうじゃない。私は、自分は―――― 「無駄な事だと思うかの、。それでも、言われた通りに働いて、働かされて、"己"を見つける事はできたかね?」 じゃあ、この言葉は何だろう。 「…まあ、ペールは難しい事言ってるけどさ。取り敢えずやってみたらどうだい、。出来る場所に、君は居るんだからさ」 この言葉に、理屈はあるのだろうか。 …理屈があったって、構わないと思った。ただそれが、嬉しいというだけで、いいのだ。 ペールの言葉を継いだガイだが、言い終わってからばつが悪そうに頭をかく。 「つっても、確かに最初からその本ってのも厳しすぎるよな…。…て訳で、はいコレ。 …頼まれたもの、それでいいんだろ、ペール?」 ガイから渡されたのは、二冊の本。 先の本よりも随分薄くて色鮮やかで親しみやすそうな…一冊は、見る限り子供向けの教材らしい。 たどたどしい文字の練習跡と、赤いインクの添削の跡がある。 もう一冊は、くすんでややボロボロだが、より低年齢向けの…幼児向けの絵本だった。 の手元にあるそれを確認し、ペールが頷く。 結局今回もガイが持っていたのは、私のための荷物だったんじゃないか。 それなら、ここに私がこうしているのも、ガイが此処に来たのも。 「じゃあ、最初から…」 この流れは決まっていたんだろうか。 呆然と呟いた問いかけに、ペールは読めない穏やかな笑みを、ガイの方は苦笑を浮かべた。 「お下がりばっかりで申し訳ないんだけどな。役に立てて貰えると、嬉しいよ」 「…………」 頭から水を浴びせかけられたみたいに、拳骨で叩かれたみたいに、目の覚める思いだった。 にわかに生まれたのがとてつもなく大きな感謝の念だというのが、理解できなかった。 半ば放心状態から立ち直ると、大きく深呼吸をして心を落ち着ける。 「あ、ありがとう、ございます」 心からの言葉は、慣れないそれでも自然に出てくる。 増えた荷物に苦戦しながらも、本を脇に抱えて鉢植えをしっかり持ち直し、もう一度、今度はしっかりとペールと目を合わせた。 その奥に脅えが無いといえば嘘にはなるけれど、隠す力が、今はある。 「私…頑張ります…勉強」 本当に出来るのかは解らないけれど、決意の言葉に、彼は笑んでくれる。 老人の顔に、いつかの誰かが与えてくれた感情に似たものを、垣間見たような気がした。 それが自惚れでも、気のせいでも、勘違いでも、それでも――――嬉しいと思った。 ずっと、屋内にいたせいだろうか。 午後になったばかりの日の光が、随分と眩しく感じた。 意味があるのか知れないが、出入り口の両脇に立っている兵士達の敬礼を無視して、ルークは中庭に踏み入る。 結構早く準備が整ってしまったから、多分師匠はまだ着いていないかもしれない。 ふわ、と柔らかな風が長い髪を引っ張った。結んだほうが邪魔にならなかったか、と思うが、大した問題ではないだろう。 むしろ、問題なのは。 「それじゃあ私、すみませんけど部屋に戻って早速―――――…」 ああ、そうだ。ここで出会う確立が最も高かったんだ。 何だか長く聞いてないように感じる声に、ルークは苦虫を噛み潰したような顔をした。 |
学ぶ事の大切さって何だろうと、自分も悩みました。
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