過ぎたる退屈





その日も、空のずうっと高いところに浮かんでいる譜石までよく見える晴れた青空が広がっていた。

抜けるような青ばかりの世界をボンヤリ眺めて、少年は大きな欠伸をし、長い緋色の髪の毛を掻く。
極上の素材で出来た肌触りも寝心地も抜群のベッドの上に、何の感慨もなく寝っ転がって呆けている。
そんな気の抜け切った様子を見て、もう一人、窓辺にもたれ掛かっていた金髪の青年はやれやれと溜息をついた。
「全く……なんて情けない格好だよ、ルーク」
青年は、惜し気の無い欠伸をかましたルークに仕える身分にあったが、幼馴染という立場上、言葉を崩している。
年頃の女の子に注意を促す母親のような事を使用人に言われたものだから、ルークは少し身を起こして半眼で睨んだ。
「しょーがねーだろ、ガイ。これ以上ないってくらい暇なんだからよ」
身も蓋も無いルークの言い分に返す言葉もなく、ガイは肩を竦めてみせた。
今日は、ルークに週に三日程度の割合で剣の稽古を付けにきてくれるヴァンが、現れない日に当たる。
暇を持て余す彼の唯一の趣味とも言える剣も、そのせいで壁にもたれ掛かったままだ。
午前中は使用人の中でもかなりの手練れであるガイが相手をしていたのだが、昼食を済ませてから
休憩も兼ねて、こうして部屋でのんびりと午後をどうするかに思いを馳せていたのである。
しかしながら、一向にこの果てしなくも思える長閑な午後の時間を潰してくれるようないい案は浮かんで来ず。
仕舞いには暴れだしたくなるような暇な時間が過ぎていくだけだ。
あげく、そんな衝動を抑えようと頑張って、必死に寝転んでいるというのに。
情けない格好だ、なんて幼馴染兼使用人には注意されるし。どうしろというのだ。
恨みすら篭っているルークの視線から逃れるように、彼は目を泳がせると。
「……それにしても」
部屋の隅にそれらを見つけて、ガイは小さく息をつく。
「また結構溜まってきたな。捨てる前にちょっとは気に留めてみたらどうだ、アレ」
一応、其処を置き場所に、とだいたい決めてあるものの、ただ箱に放り込まれた状態で積み上げられている
品々を指すが、ルークはそちらを見ようともしない。
「はっ、興味ねっつーの。珍しい石だの、どっかの民族品だの、よく解んねーガラクタだの。…見てどーなるんだよ」
言葉で斬り捨てられたそれらは、学者や収集家なら垂涎ものの品々であり、
中には値段が付けられないような物もある。
叔父である国王の計らいで屋敷に軟禁され、外出を許されないルークのために公爵が冒険家や商人、旅芸人などに
献上させた物なのだが、何不自由なく育った彼の目には、唯のガラクタにしか見えなかった。
「うぜー」
まさに豚に真珠。
見当違いの人物の所有物となってしまった珍品稀少品達に、ガイは同情して苦笑を浮かべた。
「そう言うなって。公爵がお前のために用意してくれた物だろ。
 ……ほら、何か面白いものも、あるかもしれないじゃないか」
言いながら、自分の中に少なからずあった好奇心も手伝って、箱の中身を物色し始める。
そんな「面白くもない物」に興味を示しだしたガイに、恨めしげな視線をちらりと向けた後に、
また何も無い空を見上げる。
こうしていると、また、あの感覚が蘇ってきそうだ。
ここの所、頻繁に襲われる頭痛。
語りかけてくるような、微かな、声。
まったく、ウザいったらない、とルークは見上げたままの顔を顰めて見せたが、今日はまだその感覚に
襲われる事はなかった。

開け広げた大きな窓から迷い込む風が、カーテンと、赤い、長い髪を玩ぶ。
この穏やかな時間を、空気を、けれども嬉しいとは思えない。
閉じ込められた絶対安泰な場所。公爵子息といったって、勉強しろと言われる以外は特に煩わしい貴族の仕事も無い。
やりたい事だってやれる。欲しがれば、何でも手に入る。でも、
「……うぜぇ…」
特にやりたい事なんてない。欲しくて堪らない、なんて感覚も知らない。
もはや口癖のそれを、いまだにつまらない物が入った箱を漁るガイと、それ以外の何かに向けて呟いた。
いつだって、何かを渇望してる。
掴めない何かを、求めてる。
それが、そこに自由に行けるようになれば解るんじゃないかと思って空を見つめるけれど、所々白い以外は青いだけだ。

何も、ない。
なんにも、変化なんか。これから先もきっと、当分。


「へェ、こりゃ凄い。この石って結構珍しいヤツだぞ。…って、おお!?これってもう生産されてない音機関の
 部品じゃないか!骨董品として出回ってるとは聞いたが、こんなトコでお目にかかれるとは……」
一方、ガイはルークをお構いなしに、出てくる品々の貴重さに感嘆の声を上げていた。
それも仕方ない程の希少価値の高いものばかりである。
相変わらず無視を決め込んでいる持ち主の様子に、この宝の山を益々哀れに思う。
少しはこの価値を解ればいいのに、と無駄な事だと解りつつ、箱の奥のほうを覗く。と。
「………うん?何だ、本…か?」
例外なく放り込まれた中に、古めかしい本が埋もれていた。
ルークの方を、ちらりと窺う。
興味が湧かなかったのだろうか、それとももう読んでしまったのだろうか。
どちらかと言えば、前者だなとは思いつつ引っ張り出すと、古くなって茶色く変色したカバーが
パラパラと取れた。相当に古いが、本の中身自体はそう傷んではいないようである。
カバーの文字が読み取れなかったので、中表紙を開くと。

「……召、喚…の、書?」

擦り切れて読み辛いが、クセのない字でそう書かれていた。
ぱらぱらと捲って中身を確認してみると、難しい事がびっしりと書かれているという風でもなく。
シンプルな文章が、魔方陣のような図説と共に載っている。
「……何かの術のやり方…みたいなもんか…」
別に聞こえるように呟いたわけでもないが、横目に見て、外を眺めていたルークが此方に視線を
戻してくるのが分かった。
お気に召したのか、と内心ほくそ笑みながら、書かれている内容を朗読する。

「なになに?『ここに記すのは、"召喚石"と呼ばれる特殊な石を使い、"異なる存在"を喚び寄せる術式である』」
ガイはルークの目に興味の色を確認して、さらに続ける。
「『術者は対象である召喚獣<サーヴァント>を"誓約"を通し、契約をして使役する』」
大まかに、ざっと宣伝効果のありそうなものを声に出して読み上げてから本から顔を上げ、
いつの間にか此方へ移動してきて、本を覗き込んでいるルークに笑みを向けてやった。
「…だってさ、ルーク」
「へェ、何か面白そーじゃねーか。な、それって、俺にも出来んの?」
ガイの手から本を取り上げ、今や興味津々にページを捲っている。
現金なもんだと笑いながら、ガイは再び箱の中を探り出した。
「さてなあ……資質によるかもしれないし。何か石が要るって書いてあるぞ?」
その本に書いてあること自体、本当かどうか定かではないし、と興味を持たせておいて取り合わない
ガイに、ルークは食い下がった。
「ンだよ、別にそこら辺の石でもいーんじゃねーの?
 それか、そン中に入ってる意味解んねー石、どれでも試してみよーぜ」
やっと見つけた、こんな下らなくて面白そうな暇つぶし。
この何も無い日常に少しでも刺激を投じてくれるものならば何でもいい、と、軽い気持ちでルークは目を輝かせる。
ガイは、ともすれば実態の解らない術式を興味本位で執り行うなんて危険だ、とも思ってみたが、
どうせこの本も相当胡散臭いし、譜術の"ふ"の字も知らないルークが、術的な何かを扱える筈も無い。
こうして暇だ暇だと駄々をこねられて八つ当たりをされてるよりマシだ、と納得して溜息をついた。
そうして、丁度良く手の中に転がり込んできた透明な石を、これでいいやと言わんばかりにルークに投げて寄越す。
「…ったく、しょーがないな。無理だったとしても、俺に当たるなよ?」
"保護者"の同意も得た所で、ルークは早速、と本の文字を一心不乱に目で追い始める。
こういった事になると、物凄い集中力を発揮するのだから、とガイは窓際の定位置に戻って苦笑した。
まぁ、あの貴重品の山の中、日の目を浴びる事が出来るのもが一つでもあってよかった。



この時はまだ、そんな呑気な事ばかりを考えていた。


くだらない暇潰しが、全ての始まり。

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