相互理解はお早めに





何と言うか、思考が停止した。



はい、どうぞ、と悪意0善意100の笑顔で手渡されたそれを両手に持ったまま、はどうして自分はもっと
女らしい顔で生まれる事が出来なかったのだろう、と後悔した。それ以降、脳が活動を拒否している。

「悪いな。そういう服は慣れないかもしれないけど。屋敷の中で働く人間は、大体がその格好って決まってるからさ」
やっぱ私服はマズイだろうしなあ、と、大して申し訳ないと思っていなさげなガイは、後ろ頭をかきながら苦笑している。
だがはそんな彼に対して、床に頭を擦り付けて謝罪するまでの猛省を求めようかどうかと、本気で思案していた。

「……ガイさん」
「ん?」
仕舞いには、あまりにもなこの仕打ちに服を持ったままの両手が、怒りと悲しみとやるせなさにプルプルと震え出す。
押し殺したようなこちらの低い声の問い掛けにも気付く事なく、ガイは笑顔を返した。
わかっている。彼が悪いんじゃない。
生れ落ちる時に顔や体格を選ぶ事は出来なかったのだから、私も悪くない。
いるんだとしたら、神が悪い。
貧乏な星の下に生まれ落としてくれるだけでは飽き足らず、そんなギリギリの私を異世界に放り込み、よりにもよって
最凶に我侭で複雑なハートを持った貴族息子のペットに仕立て上げた神よ。この上にまだ、私に試練を与え給うのか。
ぐしゃり、と知らず力を入れてしまった手の中、パリッと整えられていた服が潰れて、皺がよる。
とても立派な服だ。ガイの持ってきてくれたのは。
今、自分が着ているものなんかとは、比較にならないくらい。品があって、使われている素材もいい。
昨日今日と度々見かけるが、着るだけでその人物の品位を底上げしてくれそうな、ここの使用人の服。
けれど、聞きたい。それが一体どうして、


「……何で執事服なんですか。何故に、男性用か。


「え?あー…だから、悪いって。俺の場合は屋敷の中っていうよりも、小間使いだからこの服だけど。
 掃除、なんだろ?…だったら、そっちの方がいいと思うぞ?」
ばつが悪そうに、さっきと同じような事を丁寧な説明と共に繰り返す。
持ってきた服を気に入らないと言われて困った、といったような反応である。
しかし、そうじゃない。
こんなに上等の服を与えられた記憶のない自分にとっては、袖を通すのが待ち遠しい程の代物である。
胸の内に生まれ、今や急成長を果たしている"ある懸念"さえなければ。
「…え…まさか、鎧の方が…よかった、とかか?」
ガイは笑みを消し、若干驚いた顔をする。
彼からしてみれば、こちらのいつにない我侭ぶりに対して、不思議に思って投じた何気ない言葉だったのだろう。
しかしそれすらも、胸に巣食う"ある懸念"を大きくしていくばかりで。

いいや、もう解った。
うん、多分こうだ。
ガイはこちらの性格と外見を、とても細かく丁寧に理解してくれたのに違いない。
ここの女性の服は、ある程度のレベルの顔でないと似合わないという罠を持つ。
それを着て、自分が惨めな思いをする事のないよう、わざわざ男性用の服を調達して来てくれたのに違いない。
なんて、いい人。そして罪な人。

そうして、都合のいい解釈を並べ立てつつ逃避…いや、自分を励ましているの心の内など知る由もなく、
ガイは首を傾げて顔に疑問符を浮かべる。
「おい!」
声の方を振り返ると、ベッドに胡坐をかいて座り、その上に頬杖をつくルークがイライラと赤い髪の毛を逆立てながら窺っていた。
「うっぜーんだよ地味ゴリラ!何着たってブスな事には変わんねーだろ!とっとと着替えて、出てけっつの!」
咄嗟に、てめぇこのやろ…、というような言葉が喉元まで出掛かったが、危うくそれを引っ込めて息を吐くに留まった。
口元とコメカミは大いに引き攣るが、確かにルークの言う通りだ。この上は、自分の我侭以外の何でもない。
「ブス」は、思っていても口に出さずに心にとどめておいて欲しい発言ではあるが、確かに何を着たって
自分のどこがどう華やかになれるという訳でもなさそうだし。
ボロ布や、見るのも恥ずかしい服を着ろと言われている訳でもなし、と納得して頷く事にする。
「その、ガイさん…この服でいいです。わざわざ有難うございました」
「あ…ああ…。本当に、それでよかったのか?」
こちらが軽く頭を下げて礼を言うと、腑に落ちない様子のガイが戸惑いがちにそれを受け入れる。
けれども彼の顔には、まだ「どうしたもんか」という思案をしている様子が見受けられた。
こちらがもう少しでも納得のいかない態度を見せれば、今一度何か別の服を取ってくる事も厭わないだろう。
なので、もう結構ですとばかりに、しっかりと頷く。
「じゃあ…着替えますけど」
「ああ」


……………………………………。


……………………………………。


ルークが憮然としてベッドに座ったまま、
ガイが爽やかな笑顔を浮かべたまま、
が真顔で執事服を腕に抱えたまま。
しばらく時が過ぎた。

チュン、チュン…と、高く軽やかに鳥が鳴いている。
どこからともなく、この屋敷の警護にあたっているだろう騎士達の、演習中の掛け声が微かに聞こえた。
鬼気迫る勢いの訓練をしているのだろうが、霞みそうな程のそれは穏やかなものとしてしか耳に入らない。
ふわ、とカーテンを揺らして部屋に迷い込んだ風は、真昼の太陽に温められ、少し香ばしい匂いを含んでいる。
この屋敷のものか、はたまたどこかの家の厨房からか。早くも昼の準備を始めたらしい、パンが焼ける美味しそうな香り。
ああ、でもそういえば、お米を食べていないなぁ、ここ暫く――――

(…じゃあ、なくて)
この違和感満点の空気から逃げ出したくて、思考が危うく脱線しかかった。
ルークとガイも、この不自然に止まった空気を訝しく思い始めたらしく、……ん?と、表情が動き出している。
しかし、一番早く呪縛から逃れたのはだった。
「あの、だから…着替えたいんですけど…」
「あ、ああ。どうぞ?」


……………………………………。


……………………………………。


パンって言えば、そういや食パンも最近買ってないなあ、安くならなかったから。
六枚切りで、最安値88円で…一枚およそ15円か…。腹持ちの事を考えると、何だか損したような気分になるのよね。
ああ、でも一度でいいから、四枚切りのヤツ、食べてみたいなあ。あの有り得ない分厚さは、最早犯罪――――

(だから、そうじゃなくて。)
相変わらずの状況の動かなさに、思考脱線も本格的になり始めた。
それどころか、嫌な予感と、かねてから抱いていた「ああやっぱりそうなの?」という感情が心の底から湧きあがってきて
その渦を大きくしていく。それを振り切って、最後の望み、とばかりに口を開く。
「だから私、着替えようと思うんですけど、どうす」
「だーッ!!もう、何なんだよお前!!ムカつくっつーの!ごちゃごちゃ言ってねーで、とっとと着替えられるわけがないでしょうが異性の前で!!!


キレたルークに、思わずキレ返した。
何かもう、泣きたくなってくる。
そしてこちらの、怒りと悲しみの叫びに、動きを止めてパチクリと目を大きく見開いているガイとルークを見ると、
更に泣きたくなってくる。
これで先程の、ガイはいい人罪な人説は完全否定決定である。
そしてルークにしても、女性の前でいきなり着替え始める破廉恥野郎の汚名は返上された。
つまり二人とも、ひいては多分この屋敷の人間全員、自分を女として認識していなかった、という事である。
女だと言っても、その意味が無いような顔と体格をしている事は重々承知しているが。
それでも。
それでもこうして、こんな事になるまで、自分で告白しなければならないまでに追い詰められるようにする事はないじゃないか。
例えこんな格好をしてたって、女を捨ててると思われたって。一応ほんっの小さい努力はしていたつもりだが?
ちゃんと、女らしい口調で話していたと思うし、動作だって…学がない分ガサツにならないよう、丁寧を心掛けているつもりだった。

「…、その……」
「…地味ゴリラ、お前……」

みじめだ。
この気持ちは、小学校の遠足でクラスメートに弁当のお粗末さを指摘され、「うちは貧乏だから…」と告白せざるをえなかった事に
端を発し、幾度となく味わってきたものである。
その度に向けられる、あの哀れみの裏に侮蔑を含んだような視線が嫌でたまらない。
相手が自分よりも優位に立っているんだという事を見せ付けられるような。

「…………っ…」

気まずさに、唇を噛んで顔を逸らす。あの時のクラスメートと、同じような視線を感じる。ひたすらに悔しい。
同情なんていらない。下手な、慰めの言葉なんかも、いらない――――


「「……メスだったのか」」
「せめて女だと言ってください」


すかさずツッコミを入れる事が出来た自分はとてもエライし凄いと思う。
示し合わせたのかと疑いたくなるような、二人揃ってのナチュラルな暴言に、今度こそ目尻に心の汗が滲むのをは感じた。
やっぱり、男か女かという以前の問題だった。





何というか、再度、思考が停止した。

はい、どうぞ、と何だか随分ゲッソリとした様子のガイに手渡されたそれを両手に持ったまま、はどうしてあの時
再び出て行くガイに言っておかなかったのだろう、と自らの至らなさを悔やんでいた。その服を見て、脳が活動を拒否している。

「気付かなくて、悪かった。男にはどうも見えない…とは、思っていたんだが……」
ガイはそこで言い訳じみた言葉を切り、言いよどんだ。
どんなに取り繕おうとも、次に続いてしまうのは失礼な言葉になってしまう事が、途中で解ったのだろう。
つまり、女にも見えなかった、と。
後ろ頭をかきながら、気まずそうに中途半端な笑みを浮かべている。だがはそんな彼に対して、
この服だけは着たくない、と、そう我侭を言って許されるものかどうかと、真剣に思案していた。

「……ガイさん」
「…ん?」
不可能すぎるソレに――自分がこの服を着たらどうなるか――恐怖すら込上げてきて、服を持ったままの両手がフルフルと震え出す。
かすれて若干裏返ったこちらの問いかけにも気付く事なく、ガイは力のない笑顔で反応を返した。
わかっている。彼が悪いんじゃない。
むしろこんな服を持ってきてくれた彼を、ある意味で労ってやりたい。
さらに今回は自分の落ち度が大きい。それだけはやめてください、と、一言釘を刺しておけば、こんな事にはならなかったのだから。
まあ、相変わらず一番悪いのは、この私に一片たりとも美の欠片を与えてくれないまま生命として生み出した神であるが。
服を持った手から力が抜けて、思わず落としそうになってしまうところを何とか耐えた。
とても素敵な服だ。ガイが再び持ってきてくれたのは。
やはり女として、なんかも一度は憧れたような、優雅でいてとても可愛らしく、それでいて嫌味のないデザイン。
それを着た人間が行き交うだけで、屋敷全体の品格も上がっているとさえ言える。
けれど、聞きたい。それが一体どうして、


「……何でメイド服なんですか。こんな私が着る服として用意されてきてしまったのか。


「だ…駄目なのか?」
ガイが今度こそ、心底困ったという感情を含んだ声を上げる。けれど一番困った事になっているのは自分なのだが。
さすがに、これ以上ガイに動いて貰うというのは申し訳ない。普通に考えて、「メイド服余ってる?分けてくれない?」
などという、どんなに丁寧に言い換えたところで変態度が増すばかりのセリフを彼に言わせてしまった事だろう。
自分のためにそれをこなしてくれたのであろうガイに対し、これ以上の強要は鬼の所業というものである。
何だか知れないが、妙に意気消沈してしまっている彼に意見する事も出来ず、取り敢えず改めて手の中のブツを見なおしてみる。
古き良き、シックなヨーロピアンテイストの。
腰の後ろで大きなリボンを結ぶようになっており、凝ったデザインの襟元、ドレス程華やかではないが、
二重になったフワリとしたスカートは、それはもう女の中の女のための――――…
これを着て歩くのが自分だとするなら、見る人にとってはそれこそ鬼の所業になってしまうのではないだろうか…。
「いや、いいんですけど……むしろ、いいんですか」
そちらの覚悟は出来ているんですか。
こちらとしましては、先程と同じくボロ布を身に纏えと言われている訳ではないので、こうなったら別に着てもいいですけど。
ある意味、史上最高に恥ずかしい服でもあるが、なんかもうヤケクソになってきた。
あ、でもやっぱり恐いかも、どうしよう。←やっぱり小心者
「…そう、か?それでよかったか…?」
いつもの爽やかな笑顔はどこか弱弱しく、口の片方が引き攣ったまま、ガイははにかむ。
そんな様子を見て、何かを懸念したような声をルークがかけた。
「ガイ…お前もしかして、直接…」
「あ、ああ…大丈夫だ。少し、絡まれただけだから…。さすがにラムダス様に、メイド服を用意して欲しい、なんて言えないだろ」
若干青い顔をしたガイが冷汗を浮かべつつ引き攣った笑顔で、珍しく心配そうな顔のルークを宥めようとする。
しかし言い終わると、何か恐ろしい記憶が蘇ったかのように、ブルリと震え上がった。
(ど…どうしたんだろう…ここのメイド服って、何か凄く恐い事でもあるのかな…)
同じく心配を顔に出していたこちらの視線に気付くと、ガイは何でもないよ、と手を振ってくる。
冷汗大量の顔で言われても。
もしかしなくても自分はガイに、何かは解らないが、とんでもない無理をさせてしまったに違いない。
だったら、似合わないだの、恥だの、そんな次元で悩んでいる場合なんかじゃない。こんな服着れません、なんて言えるものか。
あの、何があっても動じる事無く余裕の笑みでサラリとかわしていたガイが、ここまで辟易してしまう程の難関を突破して
手に入れてきてくれた服。例え見るものにとっていかに害になろうとも、着るというのが筋である。
こんなにまで、自分のために頑張ってくれた人は初めてだ。
は並々ならぬ感動を覚え、覚悟を決めたように手の中の服を胸に抱きしめる。
「じ、じゃあ、着替えますね。……ええと…、……あ、カーテンの裏、使ってもいいですか?」
もう着替える場所に関しては、こちらが譲歩する事にした。よく考えてみれば、自分一人のために出て行けなんて厚かましい。
むしろ言ったら、部屋の主であるルークが先にも増してキレそうである。
そうして目に留まったのが、窓辺にかかる裾の長いカーテン。即席更衣室には丁度いい具合である。
「ああ、そうしてくれるのか?別に俺達が出て行ってもいいんだけど…」
とことんフェミニストらしいガイが、こちらに気を遣おうとするが、それもルークの怒声に阻止される。
「冗談言うな!何で俺らがコイツのために出て行かなきゃならねんだっつの!
 見えても見えなくても大した問題じゃねーんだし、さっさとしろよ!」
やはり、キレた。しかも期待よりも1.5倍の悪態付きで。
「ぬぁっ……くッ…。すみませんね!」
悔しさに、けれど言い返すことも敵わず、余った怒りを拳に握り締めた。
ルークに言い捨てると、シャッとカーテンの中に逃げ込む。


ええ、ええ、そうでしょうとも!
ろくなもの食べてませんでしたから、出るとこ出てませんし、締まるとこ締まってませんしねぇ!

悪ガキの言う事をいちいち気にする事はないと自分に言い聞かせるも、頭の怒りは冷めやらない。
一体、何を食べたら女性ホルモンが分泌されるのかを、教えてほしい。
栄養吸収に関しては、こと優秀な体を持っている自信はある。あんなギリギリの食生活にも関わらず、肉付きはいい方だし。
けれど、胴体に対して胸と尻の比率がほぼ同じというのは、女としては落第点である。
「色気のない体」。
悔しいが、自分の全体を見ると、それが最も適した表現であり、ルークは間違った事を言ってない(人として間違ってると思うが)。
隠す意味なんて確かに無いかもしれないが、このカーテンこそが、自分の女としての最後の砦だ。
ゆずるわけには、いかない。

カーテンの向こう側からは、機嫌が悪くなってしまったルークと、それを宥めるガイの声が聞こえる。
ああ本当に、ガイには迷惑ばかりかけてしまっているな、と、は本当に申し訳なく思った。
しかしガイの口のまわり具合たるや見事なもので、数瞬後にはまた馬鹿話に華を咲かせ始めた二人の声が聞こえてきた。
ガイもさることながら、ルークの方も相当につられやすい人間なのかもしれないが。



さて。
取り敢えずブラウスを着てみて…次はスカートをはいてみようと思ったのだが。
(うっ、こ…腰…ウエストがっ……)
お尻の半分より少し上の部分まではどうにか閉じる事が出来たボタンが、それ以降とまらない。
かなりほっそりとした仕上がりになっているのである。
これが世に言う、ブランドサイズ、ってやつか?
服のくせに、人間にこう有るべきだと無茶な物差しを押し付けてくるとはいい度胸だ。
(だ…大丈夫よ…上着を着れば、多分隠せるもの…)
もはやそれに望みをかけ、中途半端にスカートを引っ掛けたまま、上の服へと手を伸ばす。
袖を通し、所々のボタンをとめて、腰と胸のリボンを結ぶ。どうにか止まっていないスカートのボタンは隠す事が出来た。
だが。
(む…胸が……あまってる…)
中身が入っていないのが判るほど、不自然な形の胸元の膨らみを手でおさえてみれば、ぺしょ、と空気が抜けてそこが陥没する。
人として膨らむべき所がむしろ凹んでいるというそのシュールな光景を上から見下ろし、思わず自分で噴出してしまったのが悲しい。
あんまりにもなその胸の部分にタオルか何かを詰めてやろうかと考えたのだが、動いてズレて胸が4つ、なんてことになったら
公爵家に働く人間の末代にまで語られるお笑い伝説になりかねない。
仕方なく、凹んだそこに空気を詰めなおした。

「……………」

と、いうわけで。
これで出来た、というわけなのだが………出来たと、言えるのだろうか。
鏡が無いので確認する事ができないのだが、何とも言えず、着ているだけで違和感がある。
体が動かしにくい。胸以外はピッチリと体にフィットして、纏わりつくようで気持ち悪い。
足がスースーする。ズボン以外の服なんて、学校の制服以来である。
見せない事に慣れてしまったので、気をつけていないとむき出しの足が開く。
結ぶのに慣れていないのが丸わかりの、ちょっと縦に傾いてしまった腰と胸のリボン。
絵本に出てくるような、ふんわりと空気の入ったデザインの肩口は、いかり肩を強調している。
実は尻の半分やや上までしかとまっていないフェミニンなスカート。

…あまりのガラじゃなさ、似合わなさ、出来損ない加減に、眩暈さえする。
無理…これで人前に出て行くなんて恐すぎる。充分お笑い伝説の完成形ではないか。
やっぱりここは、脱いだ方が世の中のためにはいいかもしれない。こういう格好をするために生まれた人間じゃないんだきっと。
もはや不可能、と覚った頭で判断し、咄嗟にまず胸のリボンをほどいてしまおう、と手をかけたのだが。


「?出来たか?」


思いの他、ごく近い所からガイの声が聞こえてきて、ビクンと心臓が口から飛び出しそうになった。
「はっ!?い、いえ、あの!ちょっ…待っ…」
「もしかして、着方が解らないのか?随分時間がかかってるみたいだが…大丈夫か?」
解らないと言った所でどうするつもりなんだこの人は。手伝ってくれるとでもいうのか。
それにドレスや着物じゃあるまいし、洋服に近いデザインの服の着方が解らないなんて事はない。
「い、いえ!…で、出来………ました」
パニックを起こした頭で思わずそう言ってしまい、しまった!と、これ以上ないくらい後悔する。
出来た、どころじゃない。脱ごうとしていた所である。
せめて、せめて。
一体今自分のメイド服姿の全体がどんな感じになっているのかを、他人に晒すよりも早く自身で確かめたい。

「なんだ、出来たのか。じゃあ、開けていいか?」

そう声が掛けられたかと思うと、返事を返す暇もなくカーテンの端をグッと掴んだガイの手が目に入り、
全身の血液の温度が一気に急下降した。
「いっ…いや待っ…待ってください!!」
引き開けられようとしたカーテンの端を、の方からも引っ掴み、必死で制止をかける。
その並ならぬ剣幕に、カーテンの向こうでガイが息をのんだのが解った。
「ど、どうかしたのか?」
「かかっ…鏡!!鏡を…っ、見せてもらえませんか!?それはもう、私今エライ事になってて!!!」
焦りと大混乱をきたす頭で、今自分が何を言っているのかも理解する事が出来ないまま、死に物狂いで叫ぶ。
相手からしてみたら、服に毒針でも仕込んであったのかと心配したくなるような錯乱ぶりである。
しかし、事はそれと同じくらいか、倍程の大問題状態だと言える。
やっぱり着るんじゃなかった!そればかりが頭を占めている。


「お、おおお願いします…人に見せる前に…どうしても自分で見てみたくて…」
恥ずかしがるを通り越して、脅えた様子のに、ガイは嘆息した。
今やカーテンを千切れんばかりに体に巻きつけ、着替えた後の姿を人に晒すまいと震えているに、
手を出す事もできない様子である。
彼からしてみれば、どうして、そんなに気にするんだか、といったような心境なのだろう。
さりとて、呆れられようが醜態を晒すよりはマシだと、はとにかく相手が傍から去ってくれるように、
カーテンの中で一心に祈っていた。
やがてもう一度参った、といったような浅い溜息が聞こえ、気配が遠ざかるのを感じる。
ほっと、息をついた。
やはり、分不相応な事はするものじゃない。
元の服のまま、どこかで仕事でも貰えないか、頼みまわってみよう。
それであわよくばお金を貰って、ちゃんと自分に合う服を買うんだ…。
そんな希望設計に思考を飛ばしていると。

(…ん?)
カーテンの向こう側から、何やら言い争うような声が聞こえる。
部屋に誰かが入ってきたという様子はなかったから、聞こえるのはガイとルーク、二人の声だろう。
言い争うと言っても、一方的にルークが何かを喚き立てているような感じだが。
さっきまで談笑していたはずなのに、一体どうしたのだろう、と耳を傾けようとしたところ。


「お、おいっ、ルーク!待てって、今は――――」
「うっせー!止めんな!!もういい加減にしろってんだ!!」


一際大きな、そんな怒鳴り声が聞こえたかと思うと、ドスドスドス、という床を踏み鳴らす音がして、誰かが近付いてくる。

あ、まずい、と―――そう思う暇もなかった。


完全に、油断してしまっていて。





カーテンに掛かった手を見て、頭が真っ白になる。



その手が、の最後の砦の端をグッと掴み、力が込められる。





瞬間、



バサァッ――――と、容赦なくカーテンは取り払われた。



突然開いた視界には、怒りの形相をしたルークと、
制止をかけようとした格好のまま、少し離れた所で呆気に取られているガイ。


翻るカーテンが、妙にスローモーションにはためいて、元の位置へと戻っていく。を、取り残して。


「おい!地味ゴリ――――」
噴き上がった怒りの感情をこちらにぶつけようとしたルークも。

中途半端に上げた手を所在無さげに彷徨わせるガイも。

そして、白くなった頭の中で、――――ああ、もう、終わったな――――そう、絶望を感じる自分さえも。



時が、止まった。
全てが。空気さえ、動かない。


「……………………」

「……………………」

「……………………」



永遠とも、一瞬とも言える、その空白。
誰しもが、一体どれだけの間、そうして硬直していたか分からない。

しかし。





ルークが、その翠の目を見開き、こちらを真顔で凝視したまま肩をピクピクと震わせ出したので、
の固まった意識もサラサラと溶け出した。


例えるなら、波打ち際に作られた、砂の城のように。

サラリ、サラリと小さな波にすくわれて、その形を優しく、もの悲しくも崩していく――――




が。



「ぶっ!!!」

次の瞬間、突如として襲いかかったビッグウェーブに、砂の城は「儚い」という言葉を当て嵌める猶予も与えられぬまま
の脳内で跡形もなく潰され、さらわれていった。

「ぶぁはははははははは!!!」
真顔のまま噴出したという事は、今コイツ脊髄反射で笑いやがったな、と、顔にかかったルークの唾を拭きながらは考える。
「あーっはっはっはっはっは!!ひ―――っ!ひ―――っ!…っ、うはははは!!!」
いつになく、むしろ心配なほど笑い転げるルークから、その向こうへと目を移すと、
同じく腹を抱えて蹲り、けれども必死で声を抑えながら、ばしばしと床を叩いているガイがいた。
ルーク程開けっ広げにしていないものの、ウケ具合は同等である。
よって、声を押し殺している分、彼は無駄な努力に損をしている事になる。

ふう、と、深い息をついた。
ほうら、やっぱりね。似合わない事はするもんじゃないのよ、と、窓から見える空に遊ぶ鳥達に、虚ろな笑顔を向ける。
怒るべきなんだろうが、なんというかもう、疲れた。

「す…すげっ!…お前……はぁっ、…似合わなさすぎ!!…ぶっ……こんな面白れーモン初めて見た!!」
「………そうですか。それはよかったですねぇ………」
笑いで息も切れぎれに、この上なく不名誉な賛辞を与えてくれるルークに、取り敢えず心にも無い礼を言う。
引き攣った笑いのこちらの顔を見て、ルークはもう、更に耐えられないとばかりに顔を伏せ、
バシバシとの肩を叩きながら大爆笑をした。
「こ…これ!これもつけてみろよ!ぜってー面白れぇっ!!」
呼称など知る由もないが、恥ずかしくて流石に却下した、あのメイド独特のいかにもなヘアバンドまで持ち出し、
期待一杯にせがんでくる始末である。あのルークが、この私に。
(うわぁ…凄い嫌な打ち解け方……)
先程まで、ルークが友好的に接してくれない、とイジケていた自分を蹴り飛ばしてやりたい。
ガイは自分で持ってきた服のくせに、今やソファに顔を埋めて笑っているし。

何度目か分からない溜息をついてルークからヘアバンドを受け取り、仰せのままに付けてやる(どうやら自棄になったようです)。
更に高まる笑いを遠くに聞きながら、もう一度空を仰ぎ見た。

美しい青――――…天国が其処にあるのなら、きっと幸せだね、お父さんお母さん。
ねえ、聞いてもいい?
これって、新手のイジメ?


何気に、一番夢主をいじってるのはガイ様なんじゃないかと思う今日この頃。

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