「……で、結局、何でルークの奴はあんなに怒ってるんだろ?」 「さぁ……」 扉の向こうに、今しがた部屋から追い出した二人が囁き合う声を聞いて、いっそう腹の底に怒りが溜まる。 やりどころの無い苛立ちを抱えたまま、ベッドの上でゴロリと寝返りをうった。 どうでもいいと思っていたのに、今になって何だかとても悔しい気持ちになる。 ――――――ひとつしか無いんだよ いつだったか、そんな風に言ったのは、どこの誰だと思ってるんだよ。 こんな形でその意味を思い知る事になるだなんて、思わなかった。 目の前にでん、と、それを置いてやると、ルークのやる気のない垂れ気味の三白眼が、 いつにも増して不愉快そうに鋭くなる。 自分にしては珍しく積極的な行動に出ているのもあり、その反応に怯みそうにもなるが、ぐっと堪える。 「…と…いうわけで、この鉢植えを貰って来たんですが…」 我ながらいい案かも、と、その時は思ったのだ。少しでも、彼が自分に対する態度を軟化してくれたら、と、そう思って。 いや、社会的にも客観的にも到底自分とは釣り合わないルークに、接する機会を得たかっただけなのかもしれない。 午後も終わりへと差し掛かりかけた、いつもの彼の自室。 そこは恐れながらも自分の寝床でもあり、庭師見習いとしての仕事を終えると、当然そこへ戻るしかない。 最初はグチグチと文句を言っていた部屋主のルークも、最近では慣れてしまったのか特に気にした風も無くなってきた。 果たして、それはいい事なのか悪い事なのか。未だ意識しまくりの此方にしてみれば少し悲しい。 まあ、それは置いておいて、である。 「…んで、何が言いたいわけ、お前。よく聞こえねーんだけど?」 「い、いえ。ですから、その…」 絶対聞こえているだろうし、意味も理解しているだろう。野次を飛ばすように投げかけられる言葉が恐くて、口篭る。 「ウザイ!敬語がキモイ!はっきり喋れ!」 「すっ、すみま…じゃない、ごめん!だから、ルークも植物を育ててみたら、物の大切さが解るんじゃないかと思って!」 ベッドの上に胡坐をかいて腕を組む主人に喝を飛ばされ、ぴいんと背筋が張る。 勢いに任せて口を動かすと、意外にもすんなり滑舌のよい言葉が喉から飛び出した。 同時に、苛立ちの素をはっきりと明示されたルークの眉間に皺が寄り、目が釣りあがる。 「はぁあ!?ふざけた事言ってんな!何で俺が、んな面倒くせー事しなきゃなんねんだよ!」 彼の目の前に置かれた小さな鉢植えもろともに、罵声による衝撃波を浴びる。 思わずごめんなさいと謝りそうになるのを耐えて、それでも負けるか、と素焼きの器をルークの前に押す。 「い、いや、そんなに面倒くさい事はないと思う。もう花がとれて、実が大きくなるだけのヤツ貰ってきたの。 あとは、水やるだけでいいからさ…」 「…あ?“実”……って、ソレ、何なんだ?」 怒りを中断すると、今になって改めてルークが鉢に植えられている小さな植物を見て首を傾げた。 いくつか小さな花が咲いており、植物としてはそれで完成形にも見えなくもないが。 「イチゴ。…ルークの事だから『花なんか興味ねー』とか言うだろうと思って。得る物があった方がいいかな、と」 何だか最近妙にこっちの性質を見透かしてやがる、とルークが片眉をピクリと顰め、短い呻き声を上げて怯む。 確かに見ても何の足しにもならない花なんかよりはずっとマシだと思うが、と眉間に皺を寄せたまま黙り込んだのを見て。 「…って…………イチゴって知ってる…よね?」 「アホか。どんだけ馬鹿にしてんだよお前は。ケーキとかに乗っかってるアレだろ」 「そうそう…そう……ケーキとかにね…本当に奇跡だよね…イチゴだけでも馬鹿高いのにさ…… …スポンジと生クリームという至宝の土台に乗っかってるんだもん。最早あれは小さな楽園でしょう…!」 恍惚と、熱の篭る頬に両手をあて、その甘い甘い記憶に酔いしれる。 先日、ルークのおやつの時間に便乗する機会があったのだが、そこで生まれて初めて 『スイーツ』なるものを食する事になったのである。 色とりどりの宝石の如きフルーツ、女神のベールを思わせるクリーム、繊細なガラス細工のような飴飾り。 幼い頃からずっと憧れていた、ガラスのショーケースに隔てられていた決して手の届かない世界。今、眼前に。 その大いなる瞬間に際して、どうして歓喜の涙を流さないでいられようか。 当然、目の前でそれを見たルークがケーキをつついていた手をそのまま、固まってドン引いていたが。 その時と同じ状況に陥った此方を見て、そこは同意しかねる、と、彼が咳払いをする。 「いや、解んねーよそれは。……にしても、イチゴって土から生えるもんだったのか」 は、自分がまたも気になる異性の前で醜態を晒していたことを自覚して、慌てて居直った。 さっきとは別な意味で頬が熱い。誤魔化すように言い繕う。 「…そ、そこは知らないんだね。私もペールさんに習うまでは知らなかったんだけど、イチゴって野菜に区別するのが 正しいんだって。…で、水を好むから、水遣りには気をつけなくちゃならなくて。でもあげすぎると根が腐っちゃうから…」 必至に説明をするのだが、ルークはその途中で既に正体の解った鉢植えに興味を無くしたのだろう、 時々「あーはいはい」と生返事を返しつつ耳の穴をいじりだした。 ああ、西日が眩しくも、うららかだ、と。あまりにも馬耳東風な様子を見かねて、恐る恐る伺わずにはいられなかった。 「…あの、聞いてます…?」 相手は、耳から出した小指の先端にふっと息を吹きかけた後、真直ぐ此方を見る。 元の世界で生きる限りは目にする事の無かった翠という色の瞳に見られて、思わず後ずさった。 しかし口から出る言葉は相変わらず。 「うっさい。とにかく俺はそんな面倒な事すんの、ヤだからな。やりたきゃ自分でやってろよ」 きっぱりと。にべも無い断りように、これ以上は食い下がっても全く可能性が無いだろう事が悟られる。 それでも何か言葉を、打開策を…とは暫らく唸っていたが、やがて大きな溜息と一緒に肩を落とした。 「解ったわよ……じゃあ、私が育てる」 折角、ペールが趣味で育てていたものから、我がままを言ってひと株分けてもらったのである。 むしろ嬉しそうに快く鉢植えに移してくれた彼の笑顔を思い出すと、返す気になんて到底なれない。 「へいへい。せいぜい頑張んな」 そう素っ気無く言うと、ルークはごろんとベッドの上に寝転がり、本を読み始める。 それを横目で見遣りながら、気付かれないようにもう一度落胆の息を吐くと、まだ日の当たる窓辺に鉢植えを置いた。 数日後。 ふと窓辺に寄ったルークは、新たに部屋の住人となっている鉢植えに目をやった。 柔らかく根付き心地の良さそうな土には、成長の邪魔をする雑草の芽さえも1つも見られない。 葉の所々に、小さなガラス玉のような水滴がツヤツヤと輝いている。 にかいがいしく世話をされて、緑の葉や茎、白い花は鮮やかに、とても元気そうである。 毎日他でも土いじりをしているというのに、朝起きても帰ってきても植物が相手とは。 それしか働ける口が、やれる事が無いとはいえ、哀れな奴だと思う。 あんな、汚れる上に面倒くさい事に一生懸命になれるなんて立派なこった、と鼻で息を吐きながら鉢植えに触れてみた。 ひと株の中、まだ花の散らないものが殆どだが、1つだけ赤を帯びてきたイチゴの実になりかけたものがある。 (…へー。ホントにイチゴになるんだな、これ…) 真っ赤な完成品がお菓子の上に並んでいるのしか見た事がなかったから、少し感心した。 その時。 「ただい………あっ!ちょッ……イタズラしないでよ、大事にしてるんだから!」 背後で扉が開くと、帰還の挨拶もそこそこ、鉢植えを弄っている自分を発見したが声を上げる。 慌しく走り寄ってくると、守るようにそれを取り上げた。 「んだよ、人聞きの悪い事言うな!別に何もしてねーだろ!?」 腹が立ってそう喚くと、流石に咄嗟だとはいえ言い過ぎた事を自覚したのか、の眉尻が下がった。 「ご、ごめん。だってルーク、興味ないって言ったしさ…。それに、前部屋で育てたのも駄目になったから…」 ノストックの事か。過去の事例で、神経質になっているのだろう。 今回も中々気をつけて育てているようだし、そうなる気持ちも少しは解る。 「ルークのせいだ」とはも思ってないようだが、何となく味悪く感じてそれ以上の文句は引っ込めた。 「……しっかし…よくもまあ、飽きねーよなお前」 「え。は、はぁ……まあ、自分でもそう思うけど…さ。えーと…見たかな……1つ、赤くなってきてるのがあるの」 話題を逸らすと、嬉しそうに頭を掻きつつ持っている鉢植えを指す。ああ、とルークは頷いた。 「いやー、こんな私が世話しても植物は育つんだなーって感動しちゃって。食べる物を自分で作れるって凄いよねえ…」 買わなくてもいいんだよ、と、若干植物愛者とは違う見解からの喜びをホクホクと語る。出た、貧乏論。 いつも思うが、この女は何で自分と同じ、こんなにウンザリするほど物に不自由しない環境に居ながら ギリギリのラインからの視点で物を言うんだろう。しかも、いつまで経っても。いい加減慣れろ。 「…て事で、手間賃省いたってひと株につきその個数収穫できるんだとしたらさ、スーパーにあるパック製品なんて 横暴としか思えないよね。こんだけ自分で作れるんだし、そう思えばもっと少ない還元率で自分で売り出したら 利益になるまでは時間掛かるだろうけど確実に儲か―――――……はッ」 ようやく、果てしなく多大な呆れを含んだ半眼で此方が冷視している事に気がついたらしい。 「…え、えと、自分が頑張って接した物が立派になっていくのを見るのは、素晴しい事なのよ…うん」 今さっき、それを売っ払う話をしてたよなお前、という突っ込みは哀れなのでしないでやった。 いくつかの単語は解らないものだったので、多分『そっち』の世界の言葉なんだろうけど。 は咳払いをして取り合えず鉢を元の日向に戻すと、此方に向き直る。 「だからルークも育」 「断る」 即答した。 の入れ込み様を見ている限り、到底自分にそこまで出来るような根性も、植物に対する義理もない。 それに、やっぱりそんな下らない事で、の言うように考え方が変わるだなんて思えない。 イチゴがどうした、って話だ。 「水やるだけなのにな…」 「やだっつの。俺はヴァン師匠との修行で忙しいんだよ」 つん、とそっぽを向くと、まだ諦めきれていなかった事を否定されたが、再度の落胆に息を吐く。 何だってこいつは、構おうとしてくるんだ。別にこっちがどう思おうが関係ないだろうに、鬱陶しい。 「あれ、、部屋に帰ってたんだな。どした?二人とも窓辺に突っ立って」 爽やかな声に顔を上げると、金髪の使用人が窓の外に立っていた。 「ああ、はい。今日はもう暇を貰ったんで…」 「ガイ!どうしたんだよ、ここんとこ顔見せなかったじゃん」 ルークがそう言って口を尖らせると、ガイは困ったように後ろ頭を掻いた。 実際、彼がルークの部屋に不法侵入をしにくるのは久しぶりだ。 部屋の外で活動をする機会の多いにとっては接触の機会は少なからずあったが、屋敷人の目が厳しい中、 ガイとルークが気兼ねなく話が出来る場はここしかない。 「ああ、悪い。今ちょっと他の所の搬入出手伝っててさ。これが中々肉体労働だもんで、参った参った」 荷の重さに疲れた肩をトントンと叩きながら、息をつく。相変わらずのオヤジ臭い仕草で、品のある容姿が台無しだ。 「ま、もう今日は開放されたからな。疲れた体を押して、お前に会いに来てやったってわけだ。よっ…」 そしていつものごとく、鮮やかな身のこなしで窓べりに飛び移る…が。 久しぶりな状況において“いつも”は無い物に、彼が気付けるはずもなかった。 ごとッ と、何かに引っ掛かりかけたガイの足元から不穏な音がする。 「ん?」 「あ」 「!」 気をつけろよ、という言葉を発しようと、自分の脳が信号を送るのよりも早く。 何だろう、と、足に当たった違和感をガイが確認するよりも早く。 「ほぁぁああああああぁぁ――――――!!!!」 それは一瞬の事で、ルークにも止める事が出来るはずもなかった。横を、一陣の風と妙な雄叫びが通り過ぎたなと思うと。 「グフゥ――――――!!!!」 いつもの爽やかな幼馴染とは思えない無惨な悲鳴を上げて、ガイが吐血で軌跡を描いて中庭の方へ吹っ飛んでいった。 やがて。土煙の晴れた向こうに、頭から生垣に突っ込んだガイの末路を見つける。 「ぁ……あ?…………あっ!!ああああああぁぁ――――!!!ががががガイさん御免なさい御免なさい!!」 やっと我に返ったが、真っ青になって慌てて窓枠を飛び越えガイに駆け寄っていくのを、薄ら寒い心地で見遣る。 解らない。 心底、解らないと思った。 ぐぎぎ、と、やや錆び付いたように動きの鈍い首を回して、事無きを得た鉢植えをに視線を移す。 が突き飛ばさなかったら、ガイの足によって床に落とされ、駄目になっていただろう。 しかし。 「やっぱ、解んねぇ……」 そりゃあ、異性恐怖症も振り切って無我夢中にガイを助け起こすが、人命より何かを優先するなんて事は ないだろう。多分無意識すぎて加減出来なかったんだろうが、咄嗟にでも、そこまでするなんて。 の言う事は、この時点では、全く解らなかった。 まだ日の降り注ぐ公爵邸の自室で、ほの暖かい風に髪を遊ばれながら、ルークは呆然と 窓の外の喜劇なのか悲劇なのかよく解らない光景を遠い目で眺めていた。 時は更に流れて、数日後。 「だぁー…疲れたー…!おーい、ルーク……って、アレ?」 その日も、会いに来ないと暇だと言ってヘソを曲げてしまうルークのために、仕事を終えたガイがやってきた。 以前にした失敗をしないように、日当たりの一番いい窓辺に置いてある鉢植えに気を付け、部屋に侵入する。 「あ、お疲れ様です、ガイさん。ルークなら今、ヴァン謡将と修行中ですよ」 入って来たはいいものの、迎えたのが部屋の主ではなかった事に怪訝そうな顔をしたガイに答えてやった。 今日もまだ日は高く、一年を通して穏やかな気候もあって、部屋のカーテンを揺らす風は暖かい。 「そうか。裏の方を通って来たから気付かなかったな。そういや、朝見かけた時機嫌良かったからなァ…。 …あ、は今、休憩中か?」 「ええ…はい。ガイさんも?」 そう聞き返すと、ああ、と頷いたガイが、汗ばんだ服のボタンを1つ外して手で風を送る。 「はー…、今日でやっと前言ってたトコの手伝いも終わりだ。早く作業が済んだから、ご機嫌取りに来たんだけど…」 いないんじゃ仕方ないな、と、使用人にしてはなかなか図太く、部屋に備え付けのソファに腰を下ろしてくつろぎ始める。 「えっと、お茶、飲みます?ルークのおやつと、ついでに私にもお茶を貰ったんですけど、本人帰って来ないし」 そりゃあ、毎日いらなくても用意される茶や菓子なんかよりも、ヴァン師匠だろう。ルークが帰ってくるはずも無い。 「だな。それじゃ、帰って来なかったルークが悪いって事で、遠慮なく。ついでに茶菓子も食ってやろうか」 折角来たのにな、と八つ当たり半分冗談半分にガイが笑う。 「あー…でも多分修行の後、お腹減ってるだろうから残しておかないと怒られ――――……あ、そうだ!」 ぽん、と手を打つと、窓辺に駆け寄り、鉢植えを手に取る。 ガイは不思議そうに目を丸くして、その行動を視線で追っていた。 あれからペールに相談しつつ、よく日に当て、適度に水を与えて育ててきたイチゴ。 1つだけ実になりかけていたものは今や、ルビーにも負けない彩を放っている。 そのヘタの部分に手をかけたのを見て、流石にガイも慌てた。 「お、おい!、何を…」 プチン、と小さな音と共に赤い実が手の中に納まる。それを、すっかり呆気に取られてしまっているガイへと差し出した。 ガイは暫し硬直していたが、我に返ると、酷く焦って首を振る。 「だ、大事に育ててたものじゃないか!気持ちは嬉しいが、俺が貰うわけには…」 「い、いやその…別に気にしないで下さい。自分で食べるのも何か勿体無いし、この前のお詫びです。本当に御免なさい」 この前、とは、イチゴのためにガイをぶっ飛ばしてしまったあの件だ。 その言葉を聞くと、ガイの表情も複雑そうに歪む。情けないような、困ったような。 あの後それはもう機関銃のように謝り倒したのだが、何度許す旨を言葉として返されても未だに何だか後味が悪い。 それならガイにイチゴを食べて貰えるのが一番いいんじゃないかと思うし、気が晴れるんじゃないか、と思う。 しかし、中々渋い顔をして受け取ろうとしないガイに対して、別の不安が湧いた。 「…って、ガイさんレモン嫌いでしたっけ。イチゴもあんまり好きじゃないなら、無理言いませんけど…」 「え?いや、イチゴは…好きだよ。レモンは別。でも…」 その答えが返ってくると、ようやっと自分が相手にとって重い事をしてしまっている事に気付いた。 そりゃ、何とも思っていない相手に其処までされたら引くしかないんじゃないか。自分としては厚意のつもりでも。 「…あ……えっと、」 そう思うと、急に恐くなって、差し出した手を引っ込めかける。 その思考に気付いたのか、ガイがふっと笑うとイチゴを持つ方の肩をポンポンと叩いてきた。 「な、本当に気にしなくていいんだ。…でも……まあ、そこまで言って貰えるなら、 お言葉に甘えるとするかな」 優しく微笑むと、手の平のイチゴを受け取ってくれた。 恭しく指の先のそれを眺めたあと、ぱくりと口に含んで咀嚼する。 わざわざゆっくりと味わってくれているのが、照れくさくも嬉しかった。 しかし、提案したのは自分なのに、何だか激しく落ち着かないというか身の置き場がないというか。 しかも一個しかないから味見出来てないし、見た目は良くても凄く不味かったらどうしよう。 「あ…ぁ…あー…と……ど、ど、どうですか?」 それ以前に、なんだこの状況は。相手はイチゴを食べてるだけなのに、なんだかやたら恥ずかしい。 感情に対して正直に赤くなっているだろう顔を逸らしつつ、苦し紛れにそう聞くと、食べ終えたガイが答えてくれる。 「…うん、有難うな、。すごく甘くて、おいしかっ…」 しかしガイの言葉は最後まで続かなかった。 不審に思って顔を彼の方に戻すと、こちらに向き合っていた筈のガイの顔が、別の方角を見て固まっている。 「……?」 その視線の方向へ倣うと、丁度部屋の扉が有り。いつの間にか、それは開いている。 「…………………」 そこには、赤い髪の少年が、開いた扉に手を掻けたまま無表情で固まっていた。 唇は別段いつもと変わらずへの字の形をしていたが、若干見開かれた目からは、何の感情も読み取れない。 そしてお互いが石になったまま、暫しの時が流れた。なんだか、妙な空気にあてられて自分も動けない。 とりあえず、ガイさえも「お、戻ったのか」とか、気軽に声を掛けられる雰囲気ではないらしい。何故だか、解らないが。 長い沈黙の後に、やっと精一杯出せた言葉は。 「…………どうも、お邪魔してます…」 「……………」 今更ながらに他人行儀な挨拶をしたガイに反応を示さず、ルークは淡々と部屋に入り、クローゼットの前に立つ。 「…あ、あのー……ヴァン謡将との修行……は…」 常でないルークの態度に、覚えのない冷や汗を掻きつつ、恐る恐る自分も訪ねてみた。 が、ガイの時と同じく反応は無く。やがて暫らくして。 「汗掻いたから、着替えに戻っただけだ」 間の後、低い声でそう言ったかと思うと、まるで此方など存在しないかのように着ている服を脱ぎ始める。 「だっ、わっ、私!外に出ますねスミマセン!!」 衝撃に思わずそう言って脱兎の如く扉の方へ逃げると、ガイも慌てて後に続く。 「あ…お、俺も長居してたら、見つかっちまうしな!」 バタバタと騒がしく撤収する此方に構う事無く、ルークは黙々と着替えを続けていた。 後ろ姿では、長い髪に隠されて、彼がどんな表情をしているのかも解らなかった。 「……怒ってる…?」 「怒ってる。かなり怒ってるぞ、あれ」 ルークの部屋から離れた、屋敷の一角。逃走の末、息を整えた後にガイと二人でヒソヒソと囁き合う。 「何かあったんですかね…」 「お得意の癇癪も無かったな。あそこまで機嫌が悪くなるってーと……ヴァン様に駄目出し喰らったとか…」 師匠と仰ぐヴァンの言葉でこそ、ルークは大きく一喜一憂するのである。 他の人間が何と言おうと、普段なら真面目に聞きもしない。 ルークの感情の動きの原因がそれ位しか思い当たらないも、成る程、と頷こうとした。 「あら…ちょっと、邪魔よ。廊下の曲がり角で立ち話なんかしないで」 と、先の通路をこちらに曲がって来たメイドの少女が、進路を阻害されて掃除用具を持ったまま此方を睨んでくる。 不可抗力だが、その際少し身体が触れたらしいガイは、飛び上がると例によって此方にしがみ付こうとした。 「うはぁぁああぁっ!」 「ぎやぁぁああぁっ!」 が、こっちも死に物狂いで寸での所でターンを決めて避わす。 ぜいぜいと肩で息をしながら涙目で震える両者を見て、メイドは酷く呆れた表情で息を吐いた。 「相変わらず失礼な反応ね……あんた達、仲が良いのも大概にしないと、いくら機嫌の良いルーク様でも拗ねるわよ」 モップを持ったままの手を憮然と腰に置くと、赤み掛かった金髪が揺れる。灰色の混じった碧眼が眇められた。 「かっ…カルミアさん…」 「へ………き、機嫌が…いい?ルークが?」 まだ目に涙を滲ませたガイが、辛うじて聞き取ったカルミアの言葉にたいして確認を取るように聞き返す。 しかしそれを受けて、きょとんとカルミアは目を丸く見開いた。 「?……謡将が来てるんでしょ?ついさっき中庭の出入り口で見かけた時、木剣に稽古着だったし それはもう満面の笑みだったもの。…解りやすい人よね」 「………」 「………」 と、いう事は。ガイと二人、無言で顔を見合わせる。 カルミアの証言を聞いて、困惑しているのは目の前のガイの方も同じようである。 黙り込んだ二人を前に、ひどく怪訝そうに訳の解らないカルミアは首を傾げた。 しかしそれにも構っていられない。むう、と顎に手を当てつつ、恐々思いついた事を呟いてみた。 「………イチゴ?……な、わけないですよね…」 部屋に戻って来るまでは上機嫌だったというのなら、それ位しか要素となるような特別な事はない。 そう咄嗟に呟いてみたが、でもどんなに言ってもルークは興味なさそうだったし。 「いや……そうとしか。多分イチゴだ。もしかしてルーク、食べたかったんじゃないか?」 「え…?な、何の話よ…?」 ますます解らない、と困惑して顔を歪ませるカルミアを他所に、よし、とガイが顔を上げる。 「しょうがない。それじゃ、これから城下に行って買ってくるよ。食い物の恨みなんて御免被るからな」 「それなら、私もペールさんの所に行って、食べられるイチゴが貰えないか聞いてみます」 こっちも、寝床を共にする人間が機嫌を悪くしたままなんてたまったもんじゃない。 結局事態がよく解らないのは仕方なくも、出来る事は全部やらないと。 じゃあお互い頑張ろう!とそれぞれの健闘を祈って別方向に別れると、相手をして貰えないままのカルミアが残された。 「ちょ……ちょっと…」 暫らく呆気に取られていたカルミアだが、この扱いに一度は憤慨するも、直ぐに馬鹿馬鹿しくなって溜息をつく。 「イチゴ、ねぇ……あ、タルト食べたくなってきた」 今度の休みに買いに行こう。やっぱり旬の果物はその時期に食べないと。 楽しみも出来たし、と、意気改めて仕事に精を出すことにした。 楽しい修行の時間も終わって、ヴァンも帰ったのだろう。 夕刻、自室のベッドに寝転がるルークはこちらに完全に背を向けている。 全く機嫌は直っていないようで、はましてや、ガイが話しかけても素っ気無い返事しか返さない。 困った顔で二人並んで横目で目配せし合い、お互い人知れず息をつく。 「なぁ……ルーク。もしかしてお前……俺がイチゴ食っちまった事を怒ってるのか?」 とうとう痺れを切らしたガイが取り繕う姿勢をやめて、核心に迫ろうと問いの言葉を放つ。 すると、ほぼ無反応だった無言の背中がピクリと揺れた。 「…し、知らねーよ。うっせーな」 「いや…やっぱり、そうなんだな。……なぁ、機嫌直せよ、ルーク。いいモンやるからさ」 ガイがそう言うと、やはり気になるのか、酷く仏頂面ながらもチラリとルークが此方に視線を寄越す。 この時を待ってました、と言わんばかりの笑顔で、彼は得意満面に後ろに隠し持っていた籠を掲げた。 「ほらルーク!エンゲーブ直産のイチゴだぞ!しかも、あの有名品種、スイートキングだぞ!」 「…って、ええええ!あの、赤くて丸くて大きくて美味いと有名な!?」 横で聞いていたは、ガイの出した物に対して煽りではなく素で驚く。城下に行くと言っていたが、とんだ上物だ。 食材の産地として有名なマルクト領のエンゲーブで作られた大粒の高級イチゴ。隣国からの輸送も容易ではないため、 バチカルで手に入る頃には一般家庭にとっては贅沢品の域に達する値段になっている。 しかしそれに見合うだけの価値を備えた魅力的なイチゴである。まさかそれを目の前にして飛びつかない人間なんて 「いらね」 いた。 「ええええええ勿体無い!!」 思わず叫ぶを無視して、ルークは再びプイッと向こうを向いてしまう。 ガイも少なからずショックを受けたようで、籠を持ったまま「何故だ…」と言ってガックリと項垂れた。 「…んな、誰が作ったか分かんねーようなモン食いたくねーし」 むすっとした声でルークが宣うと、それを聞いて今度はが意気込む番である。 ガイと同じく後ろに隠し持っていた布包みの紐を解いて、不揃いだけども美味しそうな実を露わにする。 「ね、ねえ!……なら、こっちはどうかな。ペールさんの所から沢山貰ってきたの。 絶対、ガイさんが食べた私のイチゴよりずっと美味しいから…」 そう言葉を続ける途中で、ルークが再びこっちをジロリと睨み返してきた。 「あの…」 妙な威圧感をビシビシと肌に受けて、顔の筋肉が半笑いのまま硬直する。 恐ろしい程に無言なのだが、怒涛の如く物言いたげな強い視線に圧倒されて言葉を続けられない。 今にも何か伝わって来そうなものなのに、皆目ルークの言いたい事に見当がつかなかった。 やがて、長い長い沈黙の後に。 「俺が食いたかったヤツは……いっこしか無かったんだよ!」 その言葉と共に、とガイは部屋の外に追い出されたのである。 |
福岡の方々、本気すみません。>スイートキング
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