奏でよう、泥沼コンチェルト


・番外編であって、本編とは設定が同じという以外、繋がりはありません。
・ルークとガイが既に夢主に惚れていてルークvsガイ描写があります。





「遅っせーよ!」
やれやれやっと息をつける、と思った矢先に降りかかってきたのは、何とも薄情な言葉だった。
いつもながらに首尾よく上の立場の屋敷人の目を盗み、大きな窓から侵入を果たしたガイを待っていたのは
ふてぶてしい顔で腕組をしている、部屋の、ひいては自分の主でもある赤髪の少年である。



国境は緊張状態にあるとはいっても、キムラスカ・ランバルディア王国首都バチカルは、今日も平和だった。
遥か天上に浮かぶ譜石が、暖かな光を受けて柔らかく霞むうららかな午後。
仕事さえなければ誰もが行楽に出かけようとするだろうそんな日も、邸に軟禁状態のルークには全く関係がない。
豪奢なソファにだらしなく身を預け、組んだ足を遊ばせて待ちくたびれている様子に、ガイも流石に呆れるしかない。
相変わらず、態度のサイズと整った造形の顔身体以外は、まるで身分にそぐわぬ人間である。
「お前なぁ。……一応言っとくが、俺は仕事中なんだからな」
その実、忙しいんだぞ、という事をアピールしようと肩に担ぐ大きな皮袋の存在をちらつかせる。
遣いだの調達だの買出しだの、方々から用を頼まれて、小間使いというのも中々に忙しい。
主に子守役の任を仰せつかっているとは言っても、もうルークも常時それが必要な年頃でもない。
目を眇めてルークにそう諭そうとするが、彼は興味の無さそうな一瞥をその皮袋にくれた後、フンと鼻を鳴らす。
「何言ってんだ。俺の頼み事なんだから立派な仕事だし、優先順位一番上に決まってんだろ」
他の使用人の出した使い事に、自分の依頼が負けて堪るもんか、と、憮然と言ってのける。
それを聞いて、綺麗な金髪を短く整えた頭が、脱力したようにガクリと前に落ちた。
顔には最早、呆れを通り越して苦笑が浮かんでいる。
「おいおい……『まんじゅう買って来い』ってのが、何よりも優先しなくちゃいけない俺の仕事なのか…?」
言葉にしてみると実に情けなくて、笑みの形の口の端が、ひくひくと引き攣る。
とか何とか言いつつも、早急に他の用事を全部済ませ、美味しさを維持したまま主人に届けるために
購入した後はその俊足を如何なく発揮し、ここまで馳せ参じるという我ながらの健気さが泣ける。
「ごちゃごちゃウッセーなぁ……で、ブツはどーしたよ?」
しかしてそんな涙ぐましい使用人の配慮を察する事も無く、こらえ性も皆無の主人は痺れを切らして眉間に皺を寄せる。
まったくコイツは、と、諦めて浅く息をつくと、ガイは荷の中から紙袋を取り出した。
こうして甘やかすから、我儘っぷりに拍車が掛かっていくんだろうけども。
「おっ!」
普段の世間を舐めきったような仏頂面が、こんな事くらいで ぱっ と明るくなるのが単純過ぎるというか。
憎めないのだから仕方ない。
ずい、とルークの前に突き出してやる。出来立てホカホカを期待させる、湯気によって湿り気を帯びた薄茶の紙袋。
表面には赴きのある文体で、『運命』というフォニック文字を変形させた刻印がある。
「最近、ますます人気が出てきたみたいでな……………………特に女性に」
ぼそりと最後の言葉を呟くガイの声は、限りなく暗く重い。
今や『運命印のデスティニー饅頭』といえば、バチカルの中流階級以下ティーンズを中心に、老若男女問わず
話題を呼んでいる名物品のひとつである。1つがお小遣いで買えるような値段なのに、味もボリュームも申し分なく
手軽に食べられる便利さ、更に具の当たりによっては丸得という心くすぐるゲーム性も受けて、人気に広がりを見せている。
上層に住む貴い人々の耳にも届く程で、密かに買い付けに行かされる使用人もいるのだとか。(ガイ自身その内の一人)
で、美味しい食べ物に眼がない女性なら尚更、今をときめく美食を求めて集まるのが筋というもので。
ぶるりと、甦った記憶に思わず自分の腕を抱きしめて震え上がる。
近付くどころか接触の危険に絶えず晒される中、ガイは何度、金色に光り輝く麦畑の平原を歩く幻覚を見たか。
「……本ッッ当に、マジで死ぬかと思ったんだからな!」
声を裏返らせて恨みがましく訴えるその目尻には、心の汗が光っていたという。
彼の女性嫌い(本人は大好きだと主張しているが)の体質を思うと、それはもう凄惨にして壮絶な戦いを経て来たんだろうが
所詮ルークにとっては他人事である。顔前の、念願叶った目標物を見つめる輝く瞳に、ガイの憔悴しきった姿は映っていない。
「おーっ!へへッ、やりィ!ちゃんとエビチキンマヨ、入ってんだろうなっ」
「そこまで知るか!……ったく…いたく気に入って貰えたようで、何よりだよ…」
軽い厚意のはずだったのに、まさか再び買いに行かされる羽目になろうとは。
舌は肥えてるくせに食べ物については比較的無頓着なルークが、あの一回で味をしめるとは思わなかった。
確かになかなか美味なものだったと思うが、それでも邸付きの一流シェフには敵わないだろうに。
つくづく自分の軽率さを恨めしく思うのと同時に、ルークへの皮肉の意味も込めて不機嫌に言い放つも、効果は無い。
「おーし!んじゃ、早いとこ連れてきて食おうぜ!」
「はは……偉く張り切ってんなぁ」
何やら機嫌のいいルークを見ていると、顰めっ面も苦笑に変わる。
なるほどな、と納得する所があった。
人の好き嫌いというものは、食べた時の状況による所が大きい。初めて食べた時、どう感じたか。
食にいい思い出のない人間は偏食癖になる事が多いらしいが、ルークもその典型だろう(性格もあるだろうが)。
逆もしかりで、楽しい食卓は食物の味を本来のそれよりも脳に美化させる、という事か。
(…嬉しかったん、だろうなぁ)
まだ互いの事をよく知らなくて、探り合うばかりの仲だったが、あの日。
誰に遠慮する事もなく、文句を言い合ったり冗談に笑ったりして、行儀悪く手掴みで美味い物を一緒に食べた事。
教育係にテーブルマナーを注意されながら、ナイフとフォークを遣って、一人きりで豪華な食事をするよりは、きっと。
自分にとっても、あのひと時は優しい記憶であり、デスティニー饅頭は美味いし好きだ。(入手さえ困難でなければ)
そういう気持ちと、似た感情が心にくすぶるようになったのは、いつからだったろう。
言葉で言われてないのに、と過ごすと、そういう物事の本当に底辺、当たり前の筈の暖かい部分に気付かされる。
ルークもきっと、無自覚だろうが同じように考えているんだと思う。
「おう!饅頭食うために、朝も昼も抜いたんだからな!」
成長を見守ってきた者として彼の心の発展は嬉しいと思うものの、気持ちが同じ人物に帰化するのは余り喜ばしくない。
人の気も知らないで呑気に無邪気な事を言う主人を、苦味の混じった笑みで眺める。
(……ったく。それが複雑というか、何とい…)
「の分の」
「…ぅかって、おま…っ!何でに苦行を強いてんだよ!?」
思わぬ発言に咄嗟に突っ込む以外の行動など取れなかった。
何故。ただでさえこの、目の前のソファでぐうたらしていた少年と違って、庭師の卵として働いているのに。
ツッコミを受けると、途端満面の笑みが引っ込み、眉頭と口の端が下方に歪められる。
「この話したら、『ガイさんに悪いんじゃないか』だってよ。俺の饅頭が食えねーたぁ、いい度胸じゃねーかってな」
思い出すだけでムカつく、とでも言いた気にルークは腕を組み、長い赤髪を不機嫌そうに揺らせた。
いや、「俺の」と「饅頭が」の間に「買ってきて貰った」が抜けているが、まあ細かく突っ込むだけ無駄だろう。
それよりも、自分の身を案じたばかりに血祭りにあげられたが心配だ。
十中八九、つまらない嫉妬心からの仕打ちなのは間違いない。まあ、頑丈な彼女の事、倒れる事はまず無いとは思うが。
に、したって。
「……はぁ。それじゃ、一刻も早く呼んで来てやらないとな。お前はもう暫らく待ってろよ。俺が行ってくるから」
何やら面白くないモヤモヤした気持ちを心の内に押しとどめきれないのが、言葉と行動に出てしまう。
そりゃ、はルークのペットだし、彼のみが好きに出来るのは解っているけれど。
饅頭の袋を押し付けて(ガイ専用)出入り口に足をかけたのだが、けれども慌てたルークの声が背に掛かった。
「……え、…あ…お、おい!」
何となく湧いた対立心からくるごく僅かな含みを、言葉の配置とアクセントから感じ取ったらしい。
他人の気持ちというモノに極めて鈍感なルークにしては珍しいと言おうか、上出来と言おうか。
「何でしょう?」
ニッコリと笑顔で慇懃に振り返ると、ギクリと翠の双眸の揺れる少年の顔が緊張で強張った。
警戒の走った顔―――――ああ、やっと自覚してくれたか。
「な、何だよ、気持ち悪りぃな」
「そりゃこっちの台詞だ。早いとこ連れて来なくてもいいのか?」
冷戦。
まだまだ生暖かいものだが、鉄のカーテンで隔てられたような遣り取りを表現するのは、まさにその言葉である。
白を切るも、ルークの顔が苦渋を湛えたものに変わったところを見ると、こちらの意図、感情に完全に気付いたらしい。
「あ、う……その」
ここで彼が「いや、俺が行く!」とは絶対に言えないのを、ガイは知っていた。
プライドの高さ(だけ)は群を抜いているルークだが、対の場合はそれが頂点を極める。
「惚れたほうが負け」とはよく言ったものだが、あくまで立場や性格上、優位に立ちたがるものだから上手くいかない。
恋敵とは言いつつも、何ともそれが若々しいというか青臭いというか、微笑ましくも思える。
「おーい、何だよルーク?折角買ってきた饅頭が冷めちまうぞー?」
ま、その御蔭で先を越されずに済んでいるので有り難いと言えばそうだが。
引き止めたはいいものの、何も言えずに唸るばかりの赤毛主人に、余裕綽々と追い討ちを掛けてやる。
結局折れる事は出来やしないんだから、意地を張らずに任せとけばいいのに。
腹を空かせたままのが可哀想なだけだ。
しかし―――――。
「…ふっ」
ややあって、劣勢の風を呈していたルークの顰めっ面が幾分か弛緩したかと思うと、突然、不適な笑みが漏れる。
その様子に、ガイも眇めていた目を丸くしてルークを見遣った。
「あんな地味ゴリラなんか、わざわざ呼びに行くこたぁねーよ、ガイ」
「……え?」
目を据わらせたルークが、饅頭を抱える方とは逆の、もう片方の手でズボンのポケットをまさぐる。
意図の見えないガイは、首を傾げつつそれを訝し気に見守った。










「…いっ、いい天気ですねぇ!」
突拍子もなく振った話題にも、穏やかな顔でペールは真面目に応じてくれる。
鳥が歌い、暖かい日差しに花びらが綻ぶ中庭。何もかもが長閑だった。自分以外は。
「そうじゃな。この陽気なら今日蒔いた種が芽を出すのも早いじゃろう」
ゆったりとしたその笑顔に、冷や汗を浮かべながらは何とかヘラッと笑い返した。
……よかった。どうやら誤魔化せたようだ。
不意打ちしてくる盛大な腹の虫の音を、不自然とも言える突然の大声量の話題提供で。
ほっと息を吐きながら、酷い仕打ちをしてくれた主人を思い出し、ぎりりとハンカチを噛みたい衝動に駆られる。
以前に食べさせて貰ったデスティニー饅頭とやら。
とても美味しかった事を覚えていて、ルークから話を聞いた時には少なからず心も躍ったが、しかし。
買ってきてくれるのはガイだと言うなら、出資元は彼なのだろうし、聞くところ女性に人気の食べ物だろう。
それらを思うと何だか気の毒すぎる、と、そうルークには訴えた筈なのに、何で怒られた上に飯抜きの刑なんだ。
確かに彼の思惑に水を差したのは悪かったかもしれないが、そこまでされる理由が解らん。心底解らん。
朝からずっと飲まず食わずなんてあんまりだ、横暴だ、理不尽だ。普通の女の子だったら具合を悪くしてるところじゃないか。
つくづく、彼に召喚されたのが、Gの文字を冠する虫に匹敵する生命力を持つ自分でよかった。(←そういう問題じゃない)
こっそりとブツブツぼやきながら、空きっ腹を隠して立ち上がり、手の土を払っているペールに倣う。
道具を仕舞って一息つくと、硬直した腰の筋肉をぐっと伸ばした。
「…あー、どっこいせっと…」
パキパキと間接が鳴って、強張った筋肉を伸ばす快感に思わず声を漏らすと、ペールが横で呆れて苦笑する。
「これこれ。まったく、いい若者が年寄りみたいに。……お前も嫁入り前じゃろうて、もう少し女らしくせんか」
やんわりとした窘めに、すみません、とこちらも苦く笑って返した。確かにそうだが、これ以上なく耳に痛い。
元々運動不足だった上に不摂生極まりなかったため、体内年齢は実年齢の倍あるだろう事は自負出来る。
それは多分、若者と形容されるどころか「適齢期」なんて余裕で突破しているだろう。
「…ははは……一生嫁入り前だったりしてね……」
それは激しく笑えない上に洒落にならない。
明後日の方向へ人知れずボソリと呟くと、聞き取れなかったペールが小首を傾げた。
「……は?」
「ああい、いえ!…ま…まあ、女らしくしたって、私の場合は不恰好になるだけですよ(謙遜抜きで)。
 ……見せたい人も、ちゃんとそういう風に見てくれそうな人もいないし…」
言いながら、背に暗雲を背負って遠く切なく甦ってきた記憶を思う。
忘れもしない、一度だけぶっちぎりに女らしい格好(邸のメイド服)をした時に、それはもう豪快に笑い飛ばされた事。
しかも、(中身は置いておいて)ぐうの音も出ないような文句なしの美形の異性二人に寄って集って。
生来のブスが生来の美人に笑われる事の、どれだけ惨めな事か。
だもんで、自信喪失どころか自信絶滅である。
地味はドレスを来たって所詮は地味だと、思い知らされたような(いや、笑われたあたり悪化なのか?)。
プライドなんて遥か彼方、もう二度と無理してお洒落なんてしたくない、トラウマだ。

(そこはさ……例え口が曲がっても、男として女性をフォローするところだと思うんだよね……って、あ。
 あぁー…そっかー…そうだよねー……私女としてあの二人に見られてないんだったよねー…。
 でも折角生まれて初めて可愛い格好してみたんだからさ、こっちだってそれなりにどうにかなるんじゃ?
 って、淡い期待を抱いてたわけでしてね。やっぱり虚しい幻想で終わったのは仕方ないけどさ…もうちょっとこう…)

「……どうか、したかの?…」
意識を遠く飛ばしながら、ブラックホールを生んで負のオーラを撒き散らす、または吸引しだしたところに
ペールが恐る恐る声を掛けてきてくれた。は、と我に返って慌てて体裁を取り繕う。
いかん、この穢れたネガティブが我が心の聖人ペールに悪影響を及ぼしかねない。
ごほん、と仕切りなおすように咳払いをし、
「とッ…とにかく、そういう事を考えるのは……こんな私でもいいって言う奇特な方が現れてからにします、よ」
頬を引き攣らせつつ、言う。
誰がいいとか、どんな人が好きかとか、聞かれてみれば正直に言うと好みというものもあるのだが、それ以前に。
自分がどうこう言えるレベルでない事が解っている以上は、何とも言えない。
誰にも女(…いや人間?)として見られないどころか、周囲の異性から不評な自分でもいいと言ってくれる、数奇な存在が
この世にいるのだとしたら。そりゃあもう、何を賭してでも全力で応えてみせよう。…いれば、の、話だが。
(…あっ、でもドメスティックバイオレンスな人生は嫌だな……あと酒博打狂いも勘弁よね……)
が、何だかんだ言いつつ注文は多いらしい、自分。

「………はぁ…」
涙の沁みこむ拳を固く結びながら色々と噛み締めているらしいを見て、ペールはやれやれと肩を竦めた。
相変わらずの、揺るぎ無き奈落の底へ直行便思考である。姿勢は前向きなのに発想がことごとく後ろ向きなのは何故。
育った環境が環境だったのだろうが、このしっかりと心根に食い込んだコンプレックスは、
実際に経験を経ないと拭われる事はないのだろう。
「………いつも苗木を買っている店の息子が、今年24になると聞いたんじゃが」
「は?」
ひっそりと呟くように切り出したペールの言を理解出来ず、は目をしぱたいて彼の方を顧みる。
「これが中々の奥手で、女人の好みも見た目より中身にうるさい性質らしい」
腕を組んで唸るように、ペールは宣った。
突然の話題転換に戸惑いつつ、意図も掴めないまま彼の言葉に相槌を打つ。
「へえ……それはまた、後にも先にも貴重な人材ですね」
記憶に知る限り、大抵の若い男の子なんて外見にしか興味がないものと思っていたし、相手がブスなら攻撃までしてくる
ような存在だと思っていたが…いや、思っているが。
全てではないと言ったって、残りの性格のいい素敵な男性なんて、やっぱり外見も中身も美人な彼女をゲットしている。
何というか、世の中難しいもんだ。まったく地味な女は生きにくい。ペールに倣って、腕を組んで唸る。
「で、どうじゃろう、。会ってはみんか?以前に一度お前の事を話に出したら、興味を持っとってな」
「へえ……それはまた、後にも先にも奇特な人ざ―――――………………はっ?」
会話の流れに乗って危うく聞き流しかけたが。確かに衝撃的な言葉をこの耳は拾った。
話に出した?私に?興味を持ってくれた?男の人が?
――――並んだ言葉が恐れ多くて、でも驚きの後にはえもいわれぬ喜びがふつふつと湧き上がってきて困った。
「え、え、え、え、ほ、本当ですか…!?」
本当に困った。こういうケースは初めてだ。思わず熱くなった両方を隠すように抑える。
頬に熱が昇る感覚というものが、実はこんなに顕著に感じるものだったなんて。
いや待てよ、よっぽどペールは自分の事を飾り立てて話してくれたのではないだろうか。
でなければ有り得ない―――――とは言い聞かせつつも、女としてはやはり胸を高鳴らせずにはいられない。
どんな相手かも解らないのに、という意見もあるだろうが、好意に疎遠な人間にとっては乾田に水である。
(が、外見より中身って…。そっちも自信はないけど、もしかしたら……もしかしたら)
気が早いのは自覚しつつも、遅い春の訪れの兆しに心が高揚してしまう。
恋をしたい、恋人が欲しい、なんて憧れてもそんな事言ってる場合じゃないと決めて掛かってきたが。
「…まあ、しがない農具店の男じゃ。わしとて、お前にもう少しいい所の若人を紹介してやりたいんじゃが…」
所詮わしもしがない庭師の分際じゃからのう、と苦笑いをするペールの言葉なんて、殆ど耳に入ってこない。
「は…………わ、私……」
まさかここで、運命の出会いという流れじゃないだろうな、私。
迷い込んだ不思議な異世界、光輝く城がそびえ立つ見知らぬ街で、偶然に知り合った農具店の男と恋に落ちる、とか。
最後の一部分だけ何か違和感あるが。
いまだ顔も解らぬままなのに、けれども遠い幻想のような夢に見るしかなかった光景が、脳裏を甘くよぎって恍惚とする。
そりゃ、一度会って気に入って貰えるなんて思わないけれど。
でも相手は中身重視と言うし、友人感覚で仲良くなって。
それで、この理不尽な日々に溜まった愚痴や相談にも付き合ってもらって、色々と相手の事を知って。
それでもって少しずつお互い大切に思えるようになって、恋愛なんかに発展したりなんかして。
いつかはこの非道な飼い主に虐げられる毎日から、身体を張って連れ出してくれたり、なんて事は流石に―――――

「……―――――っ!」

…ス
と、静かに、背筋から頭の頂点に至るまでを、鋭く尖った何かでなぞられるような感触。
ぞくり、と身体が反り返り、強張る。
その微かな兆候を、気のせいかと思った。いや、気のせいだと、思いたかった。
でも、もう、この感覚が何なのか、悲しいが解りきっている。何度も何度も、その身に刻み付けられたから。
(ま…さ…か…!)
それでも上辺の意識だけは、受け入れ難いと、驚愕を心内で訴えるが、まさかも何も、
もう身体の方は確信して、ガクガクと震えを大きくしていっている。
無駄な抵抗と知りつつも、自分の身体を抱きしめた。
「お、おい………?」
「ぺ……」
突然様子のおかしくなったを案じて、ペールがそう声を投じたけれども。
涙目で心の安らぎの庭師の名を口に出そうとしたが、それも叶わず。

「っ、すみません!!」

瞬間、物凄い勢いで頭を下げ謝罪すると、猛然とはその場から駆け去った。…ルークの部屋のある方角へ。
ごう、という音を立てるかの如き勢いで居なくなった後に残されたのは、虚しく立ちこめる土煙のみ。
「…………」
いやはや、何と天晴れな駆け付けっぷりだろう。忠義に篤いのかといえば、そうではないのだろうが。
ペールはしばらく唖然としていたが、やがてやれやれ、と肩を落として溜息を吐いた。
「奇特な方……か。どうやら、すぐ傍に居られるようじゃな……」
太陽の光に温もった風が土煙を薙いだ後は、先程と変わらぬ、小鳥の戯れる平和な空。
天候、温度湿度共に良好、降水のきざしは当分なし。
腰に手を当てて見上げたペールは、眉をハの字にしつつ、微笑んだ。
「……難儀なものよ」










全身全霊をもってして、広い中庭をひた走る。
向かう先は、ペールと共に居た位置とは対極の方角、離れになっているルークの部屋である。
確かに距離としてはそんなに大層に描写する程でもない。しかし今回はタイムリミットが短すぎる。
偶然中庭に居た使用人達に目撃されて恐怖の目を向けられようが、何もかもかなぐり捨てた酷い形相を見られようが
今はそれどころではないのだ。とにかく走るしかない。
だんだんと「それ」は強くなってきている。下手をしたらルークの部屋に着く前に床に沈む事になるかも。
そんな恐怖と戦いながらも、やっと。

バンッ!ごっ……」

盛大な音を立て、扉を壊しそうな勢いで開け放つ。
それに対して、部屋の中に居た驚いたような顔のガイと、パッと顔を明るくするルークが此方を向いた。
ルークのその手には、赤く染まりかけた召喚石が握られている。
「ほーら、な!呼びに行かなくてもよかっただろ!」
「お…お前なぁ……」
得意満面なルークの様子を見て、ガイが何とも面白く無さそうな顔をする。二人の言っている事も解らないが、ともかくだ。
入り口から転がり込んで、戦闘時には決して出来ないような鮮やかな身のこなしで、土下座の姿勢に華麗に流れ込む。
ぐっと床に当てた手の隙間に三角形を作ると、そこに額を打ち付けるようにして頭を下げた。
「ごめんなさい!!申し訳ありません!!この通りですから!!せ…『誓約の痛み』だけは勘弁して下さいぃ――――!!」
うん、毎度の事ながら、あの生理的にも厳しい程の痛みをまともに喰らう位なら、プライドなんてクソ喰らえだ。
どうやらルークは、『誓約の痛み』の遠隔操作を完璧にマスターしたらしい。
こちらには全く知らされぬ所で勝手に発動されるのは、本当に堪ったものではない。
「な…なあ、……そんな、理由も解らず謝るなんて良くないって……」
一も二も無く、開口一番床にひれ伏して許しを請う自分を哀れに思ってか、ガイの声が後頭部に降りてくる。
此方が必死なのも解るのだろうが、ルークが悪い遊びを覚えてしまわないかという懸念もあるのだろう。
まあ何と言うか傍から見ていてこの構図、限りなく健全ではない。
「は……いや、でも…怒ってるんじゃ……冗談でも運命の人と駆け落ちを企ん、」
恐る恐る顔を上げて窺うと、きょと、と無垢な疑問符を貼り付けている男二人の顔がある。
口走りながら、はっとした。印籠とも言うべきルークからの度重なる制裁に、すっかり虐げられ体質になっている。
痛めつけられたら、意識せず洗いざらい白状するようになってしまっているらしい、余計な事まで。

「………運命の人……?」
「………駆け落ち……?」

ややあって、ピクリと、二人のその端整な顔それぞれに、青筋と翳がさす。
眇められた目が此方を射るように見下ろし、一段と低くなった問いかけが方々から掛かってきた。
怒ると恐い美人が、×2である。恐ろしい、文句なしに恐ろしい。収まった身体の震えが、前にも増して甦ってきた。
「あ、い、いや……でもほら、農具屋さんだから、ふ、二人の強さには全然敵わないだろうし、さ…
 って、そうじゃなくて、向こうは全然なのに、私が勝手に舞い上がっちゃってるだけでして……」
冷静に考えてみれば、戒めの力をコントロール出来るとはいえ、ルークが自分の脳内妄想など知る由もないだろう。
完全に墓穴だ。が、しかしてそれで彼らが怒る理由の見当がつかない。
ふつふつと迫る黒い圧迫感に耐えかね、喘ぐように弁明を重ねるが。
「ほぉー……農具屋、ねぇ…?」
「へぇー……是非とも、もう少し詳しい話が聞きたいなぁ、…?」
墓の穴が、広がっただけだった。
腕を組み、または腰に手をあて、翳る瞳に冷たく鋭い眼光を湛えた二人の威圧に、後ずさる。
ていうか、本当に何を怒ってるんだ。そして何でガイまで恐いんだ。
こんな地味な女でも手の届く範囲で幸せになる事くらい、夢見たっていいじゃないか。
朝昼抜きの空きっ腹でも逆らわずに働いてるじゃないか。余りに横暴な呼び出しにも、迅速に馳せ参じたじゃないか。
誠心誠意、地面に頭擦り付けて謝罪までしたのに。
「なあ、この地味ゴリラ」
元のトーンに戻し、比較的穏やかな声音で、ルークが自分呼ぶ。す、と、折角元の色に戻った召喚石を眼前に掲げた。
「な、何でしょう、ルーク様…」
冷や汗を大量に掻きながら返事をすると、にかっと、滅多に見せない表情でルークが笑った。
しかし罪も悪意も無さそうなそれに、邪悪なまでの嫌な予感を感じて、いよいよもって全身が総毛立つ。
だいたいルークがいい笑顔をすると、ろくな事がない。その横で、同じような笑みを湛えたままのガイも不気味だ。
案の定。

「思い知れ」

カッと閃光奔るかの如く瞬間に、凶悪犯のような面構えになったルークが石を握る。
未だかつてない程勢い良く、透明なクリスタルが真っ赤な光を発した。
「一体何を!?…って、ぎゃあああああああああ――――――――――!!!」
弁護人も証人も召喚されぬまま、判決のち即死刑執行は成された。
けれどもとりあえず、断頭台とも言うべき土壇場で理不尽な所にツッコミを入れてから、は床に沈んだ。


陽気穏やかなバチカルの午後は、まだ長い。


一度やってみたかったんです。ルークvsガイ、またはルーク→主人公←ガイってヤツを。
…で、オチから何まで見事に纏まりのない話になってしまった。でも満足です私が。

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